「核なき世界」を…戦争を知らない世代へ 被爆者から記憶を語り継ぐ高校生 北海道
8月15日は79回目の終戦の日です。
戦争を経験した人の高齢化が進み、戦禍の記憶を伝える「語り部」の存続が難しくなっています。
記憶をつなぐことが課題になる中、語り部の後継者に名乗りを挙げた高校生の活動を取材しました。
被爆者の講話をきっかけに「語り部」の後継者に
(上坂芽生さん)「核兵器の廃絶と平和の世界の実現に向けた署名活動を行っております。ご協力お願いします」
核兵器の廃絶を求めて行われている署名活動。
道行く人に署名を呼びかけているのは、上坂芽生さん17歳です。
(上坂芽生さん)「これから一筆でも多く集められたらいいなって。もうちょっと平和大使のために貢献できたらいいなと思っています」
2023年、全国から募る「高校生平和大使」に選ばれた上坂さん。
被爆地である広島や長崎、さらにスイスを訪れるなど、核兵器の廃絶、世界平和の実現に向けた活動を続けています。
(上坂芽生さん)「私は被爆者ひとりひとりの経験を絶やさず、きのこ雲の下で何が起きたかを多くの人に伝え続けます。そして何があっても戦争は起こしていけない、二度と被爆者をつくってはいけないと訴え続けます」
上坂さんは札幌市内の学校に通っています。
戦争のない世界を目指したいと、進路を模索し始めた高校2年生の夏。
被爆者の思いを伝えていければと学んでいます。
その姿を見てクラスメイトはー
(同級生)「信念があるから、芽生は。1回決めたら絶対やり遂げる。なんでも徹底してやる感じ」
中学生のときに聞いた被爆者の講話が、戦争を考えるきっかけだったと振り返ります。
(上坂芽生さん)「本人(被爆者)から聞かないとわからないところもあって、苦しみも含めて当事者の声を、気持ちを聞くということ。ひとりひとりの話を聞いて経験を理解してということが、本当の意味で広島や長崎を理解することだなとすごく感じて」
4歳で被爆 語り部として活動する83歳の男性
1945年8月6日、広島に落とされた原子爆弾。
マチは壊滅的な被害を受け、その年のうちに亡くなった人はおよそ14万人と言われています。
(大村一夫さん)「ぴかーって瞬間に閃光とともに続いてどかーんと音がしたとともに爆風でうちが一気に崩れた」
札幌に住む大村一夫さん83歳。
7年前から全道各地で語り部として活動を続けています。
大村さんは4歳8か月のとき広島で被爆。
爆風で家を失い、家族とともに命からがら避難し生き延びました。
(大村一夫さん)「核というものの本質は何なのか、人間として使うべきではない。つくるべきではない。それをなんで気づかないのか、まどろっこしいし、悲しいし、腹立つ」
しかしいま、被爆者の活動は存続の危機にあります。
被爆者の高齢化で協会が解散へ
原爆の悲惨さを伝える遺品など、およそ100点の資料が展示されている札幌白石区の原爆資料館。
運営する北海道被爆者協会は2024年5月、苦渋の決断を迫られました。
(出席者)「被爆80年を前にして区切りをつけるというのは、申し訳ない気持ちと悔しい気持ちと両方ある」
(出席者)「寂しいなという感じがします。よりどころが…」
これまで大村さんら道内の被爆者は、原爆の脅威を証言してきましたが、会員の減少に逆らえず、2025年の解散を決めたのです。
広島や長崎で被爆し、道内に住む人は3月末時点で185人、平均年齢は86歳を超えました。
原爆の惨禍を証言できる人は減少の一途を辿っています。
(上坂芽生さん)「署名活動を行っています。ご協力お願いします」
大村さんは7月、署名活動を続ける上坂さんを訪ねました。
「語り部」の後継者に…高校生が送った1通のメール
(上坂芽生さん)「被爆後アメリカに何回か行かれた話を資料を読んでいて見たんですけど、もっとそこについて詳しく知りたいなと思って」
(上坂芽生さん)「内面的な被爆後の放射線とかの苦しみを伝えるというのも含めて、継承活動や語り部をしていると思うんですけど」
中学生のときに大村さんの被爆体験を聞いた上坂さん。
大村さんに1通のメールを送っていました。
“少しでも語り継ぎ、平和の輪を広げる一員に私もなりたい。私に被爆体験の伝承をさせていただけないでしょうか”
(大村一夫さん)「ものすごくもらったメールはうれしかったですよね。語り部を語り継ぐことは自分はおこがましいけど目指したいという文章があったでしょ」
(上坂芽生さん)「すごく強くお話しされてくれたのを改めて思い出して、やっぱり大村さんの話を、強く生きた一人の被爆者の大村さんという人生を語っていくということに、ものすごく意味があることだなと思いました」
「広島原爆の日」。
上坂さんは札幌で開かれた犠牲者を悼む会に出席しました。
北海道被爆者協会は解散後、被爆者らでつくる新たな団体に引き継がれ、原爆資料館は道内の学校法人に譲渡されることも決まりました。
大村さんは語り部の意義を訴えます。
戦争を経験した世代から戦争を知らない世代へ
(大村一夫さん)「本当の核の怖さは目で見てわかるものではない。我々語り部が正確に伝えないと、核はなぜだめなのか、なぜ脅威なのか、廃止すべきなのか伝わらない。心の底は語って伝えないとわからない」
(大村一夫さん)「放射能の影響が広島の生き残りにあるよと言われ出して、私自身もすごい不安に思った。私の姉も怖くて子どもを産めなかった一人だし、いろんな悩みを被爆した人間が持っている事実を、ビジュアルで伝わらないものを私たちが語って伝えないとだめなんだ」
“焦らないで地道に続けてほしい”
大村さんは自身の体験を継承することを決断しました。
(上坂芽生さん)「ひとりでも多くの方に、大村さんの経験や人生を通して平和って何だろうとか、核兵器って本当にあってもいいのか、このままでいいのかという問題提起の意味も込めて、これから同世代とか下の世代に被爆体験を伝えていけたらと考えています」
戦争を経験した世代から戦争を知らない世代へ。
「核なき世界」を願う思いとともに、その記憶が受け継がれていきます。