「まずいコメの産地」から躍進! 北海道米が全国に認められるようになったワケ コメ高騰続くなか今年の収穫は?
様々なナゾを解き明かす「ナゾトキ」で食の魅力をお伝えします。
今回のナゾは「おいしくなった北海道米」です。
コメ不足と言われる中、徐々に新米がスーパーに並び始めました。
いまやブランド米として食卓に並ぶ北海道米ですが、そもそも北海道はコメ作りが不可能とされていました。
なぜ、全国トップクラスの産地へと躍進することができたのか。
まずは北海道米のルーツを紐解きます。
(宮永キャスター)「道内有数のコメどころ・蘭越町です。ことしの新米の収穫が始まりました。黄金色に輝く田んぼ。そしてたわわに実った稲穂。ことしもおいしいお米ができたようです」
ニセコ連峰や羊蹄山に囲まれる蘭越町。
町内で最も早いコメの収穫を行っていたのは、五代続くコメ農家・国岡正人さんです。
国岡さんが丹精を込めて作り続ける「ゆめぴりか」と「ななつぼし」。
過去には皇室に奉納する「献上米」にも選ばれました。
(国岡正人さん)「去年は高温障害、天候は悪くなかったけど…ことしはパーフェクト!」
(宮永キャスター)「パーフェクトですか!店頭ではコメ不足なんかも言われていますけど、このあとは心配ないですね」
(国岡正人さん)「心配ないですね」
パーフェクトだという2024年の新米。
この日はコメ作りを手伝う家族と近所の人も集まり、一緒に昼食をいただきました。
(宮永キャスター)「おいしい!お米だけで?この新米の甘み。お米だけで、ご飯をおかずに食べられるくらい」
道内の中でも最高ランクの評価を受ける蘭越町のコメ。
なぜ、おいしいコメを作ることができるのでしょうか。
(国岡正人さん)「ニセコの山麓の山の形を見てもらえばわかるけど、偏西風を遮るような良い盆地。偏西風の影響を受けづらいのと、なにより水。尻別川の水。それがミネラル分が多いし稲にはすごくいい」
しかし、常においしいコメが作られてきたわけではありません。
国岡さんの先代も、コメ作りには苦労したようです。
(国岡正人さん)「麦をまいたり、そばをまいたり、何回も耕して耕してようやく田んぼ。三代目からか」
(宮永キャスター)「三代目のときからようやくコメを?」
(国岡正人さん)「うん」
蘭越町でコメ作りが始まったのは明治31年。
当時は寒さに強いとされた「赤毛」という品種からコメ作りが始まりました。
さらに時代をさかのぼると、赤毛米の始まりは蘭越町ではありませんでした。
向かった先はー
(宮永キャスター)「北広島市の島松です。ボーイズビーアンビシャスで有名なクラーク博士の記念碑。その横に、寒地稲作この地に始まるという碑があるんです。実は北海道のお米が広がっていった、そのきっかけとなった赤毛米がこの場所で保存栽培されているんです」
寒さが厳しい土地では不可能と言われたコメ作り。
そのコメ作りを可能にした人物が、現在の北広島市島松に入植した中山久蔵でした。
(宮永キャスター)「中山久蔵さんが北海道にコメを広めた最初の人?」
(北広島市エコミュージアムセンター 畠誠学芸員)「そうですね。安定的な収穫を得られたので、明治6年に成功して全道的に広まったのは明治12年ということです」
中山久蔵の生涯を描いた漫画があります。
その中身を見てみるとー
(中山久蔵)「種もみもらってきたのに…発芽せんなぁ…」
明治6年、寒い北海道の地で始めた「赤毛」のコメ作り。
水が冷たすぎたため、お風呂のお湯を使うなど試行錯誤したのちー
(中山久蔵)「緑の葉、出てる!」
(北広島市エコミュージアムセンター 畠誠学芸員)「中山久蔵さんのその努力とこの赤毛が寒い所で育つのに適していたというか、そういう遺伝子を持っていて、その両方が合わさってより寒い地域に普及していったと思います」
この赤毛米をきっかけに、現在に至るまで品種改良が進んでいきます。
すると…
いまや北海道が誇るブランド米「ななつぼし」や「ゆめぴりか」へとたどり着くのです。
中山久蔵の努力と赤毛米の発展がなければ、いまのおいしい北海道米は生まれていなかったのかもしれません。
赤毛米が北海道米のルーツ、いわば先祖というわけなんですね。
そこから地道な品種改良が行われ「ななつぼし」や「ゆめぴりか」といった北海道を誇るブランド米が誕生しました。
しかし、北海道米の品種改良は止まることはありません。
いま「ゆめぴりか」などのブランド米に匹敵する新たなコメの品種が誕生しています。
土鍋で炊きあがった白米はつやがあり、コメの立ち具合も抜群です。
(客)「ご飯足りないかもしれない」
札幌市内の焼き肉店では、ほとんどの客が土鍋ご飯と焼き肉をほおばります。
(客)「粒立っていて見るからにきれいで、つややかですよね」
(客)「ふたを開けた瞬間(香りが)広がってきて甘みもあって、お肉とすごく合う」
いったいなんという品種なのでしょうか。
(ホルモン酒場 風土。 木谷喬料理長)「旭川にある市川農場という農場の、ゆきさやかというコメを使っています」
この店で提供していたコメは、あまり聞き馴染みのない「ゆきさやか」という品種。
これは食味試験のデータです。
ゆめぴりかと比較してみても「つや」や「粘り」はほぼ互角。
「白さ」は「ゆきさやか」の方が上回っています。
旭川市西神楽で農業を営む市川範之さんこそが「ゆきさやか」の育ての親です。
(市川農場 市川範之さん)「ゆきさやかは程よい粘りがあって、なおかつ粒の食感がしっかりしているんですよね」
10年ほど前、北海道農業研究センターから食味の良い品種があると紹介され、市川さんはその味にほれ込みました。
品種名を掲げて流通させるために、自ら農林水産省に申請。
規定をクリアした2016年、「ゆきさやか」として販売が始まりました。
(市川農場 市川範之さん)「自分が今まで栽培したなかでは本当に完成形のコメですね、ゆきさやかは」
実は、ゆきさやかは成長が遅いという弱点を抱えています。
そのため栽培方法もひと工夫。
(市川農場 市川範之さん)「これはですね、高窒素肥料といって、普通の肥料の約3倍の窒素成分が含まれています。追肥がドローンによってできるという肥料ですね」
これは市川さんが3年前に開発した、稲の成長を促す肥料です。
実際に使っている映像を見ると、ドローンから次々と肥料が。
ドローンと肥料の開発が安定した収量と品質を高めていました。
(市川農場 市川範之さん)「(ゆきさやかの)種の量がまだ少ないので、希少価値のあるコメに今後もなると思う。急激に種は増えないので」
かつて「まずいコメの産地」と言われた北海道。
しかし、こうした栽培技術の発展やいまも続く品種改良で、全国トップクラスの産地へと変貌を遂げました。
そしてそこに熱意のある生産者がいなければ、北海道米の成長はなかったと専門家は話します。
(北海道食文化研究会 川村周三会長)「新しい品種が出てきた、もしくは新しい栽培技術がある。それと同じくらいもしかするとそれ以上に大事な要因があって、それは生産者・農家なんです。技術を理解してそれを実行するという。それが一番大きいんじゃないかと思います」
これからも生産者の理解と努力はおいしいお米の産地・北海道を守り続けます。
かつては温暖化の影響で暖かくなったからおいしくなったとも言われていましたが、いまも良いものを出そうとする地道な品種改良と栽培技術の向上。
そして何より、コメ作りに対する生産者の理解と努力が、全国に認められるコメを築きあげてきたのです。
こういった生産者の存在も、北海道米の魅力なのかもしれません。