特集「霊峰 御嶽と生きる」③噴火災害の遺族と山麓の民宿が紡ぐ10年 山あってのご縁 一緒に山頂へ
シリーズ「霊峰 御嶽と生きる」③
御嶽山麓で50年以上続く民宿に年に何度も泊まりに来る男性がいます。噴火災害で次男を失った男性と民宿の主、ともに歩んだ10年です。
御嶽山麓の民宿。
「ハッピーバースデイトゥーユーハッピーバースデイトゥーユー、ハッピーバースデイディア・ゆりちゃん~」
5歳になった祐鈴香ちゃん、3歳を迎える遼匡くん、家族みんなで祝う誕生会です。民宿・藤屋を営む藤本直大さん。2人の孫にメロメロです。
喜ぶ家族の様子を、カメラに収める男性がいました。遠く愛知から年に何度も泊まりに来ています。男性は御嶽山に、特別な思いがありました。
噴火から1年。御嶽山2合目にある民宿。
噴火から1年が経った頃…。
藤屋は昭和42年に創業。2代目の藤本直大さんと妻・美代子さんで客を迎え入れてきました。かつて宿泊者の大半は御嶽山の登山客。しかし噴火のあと、客は激減。観光で成り立ってきた村の先行きさえ見通せなくなりました。噴火前に32軒あった宿泊施設は今、16軒に。半減しました。
誕生会の日。藤屋はにぎやかな1日でした。家族の記録写真を撮り続ける青い服の男性は愛知県一宮市の所清和さん。
10年前のあの日息子の祐樹さん。そして祐樹さんが結婚を約束していた丹羽由紀さんを失いました。
噴火のあと藤屋を常宿に選んだ所さん。今では家族ぐるみの付き合いです。所さんは祐鈴香ちゃん、遼匡くんにプレゼントを用意していました。
「山の日」。藤本さん一家は去年から、御嶽山に登ることにしました。
家族登山を知った所さんは「一緒に登ろう」と、この日のために愛知から駆け付けたのです。
標高3067メートル。王滝村の田の原登山口から頂上まではおよそ3時間。娘の友人を含めると20人。夜明け前に出発します。
直大さん
「なんかね、こんな、こんな感じになっちゃって。最初は家族だけで登るつもりが。」
美代子さん
「所さんがね、参加してくれて」
ゆりちゃん
「所さ~ん」
母・梓織さん
「あ、手振ってくれた!」
誕生プレゼントのお礼に祐鈴香ちゃん、(所さんに)エールを送ります。
家族全員で目指した山頂。
ところが、9合目に差し掛かったところで藤本さんの妻の美代子さんが足を痛めます。
三女・優佳さん
「ママ行けそうなの?」
母・美代子さん
「いや、もう(足)つるのがすごい」
これ以上は上には行かないことに。
美代子さん
「でも本当はね、やっぱり、所さんも一緒だったから、息子さんが見つかったところまで行きたかったけどね、それはね本当に思っていたんだけど、残念だけど、やっぱりね。1年に1回はね、そういう意味でも登りたいよね。地元におる者としてね」
おととしまで通行ができなかった「 八丁ダルミ」。遮るものがなく16人が犠牲。
民宿・藤屋藤本直大さん
「あの山、なかったでしょ前。あれ。あの裏が新しく爆発したところ。こう飛び散ってさ、みんな盛り上がって稜線がまたできちゃった。形が全然変わっちゃった」
山頂直下。藤本さんたちはある場所で立ち止まりました。
三女・優佳さん「そこなの?」
次女・麻依子さん「うん。ここで寄り添ってたんだよね」
所さんの息子とそして婚約者が見つかった場所。
所祐樹さん(享年26)丹羽由紀さん(享年24)二人寄り添うように倒れていました。
3067メートル。御嶽山。
「すごいっすね」
所さん
「疲れちゃった?疲れちゃったか」
藤本さん
「王滝頂上出る前に寝てくれればいいんだよ、八丁ダルミ来たら寝るんだ」
所さん「頑張ったよ」
2014年9月27日---。63人が犠牲となった御嶽山噴火から10年ーーー。
藤本さん「本当に山あってのご縁だから、悲しい出来事だったから、それもあってこういうお付き合いをさせていただいているっていうのは、本当、感謝ですよね。」
御嶽の麓に生きる、藤本さん。噴火で大切な息子を失った所さん。それぞれの山頂です。
所さん
「なんか、ゆりちゃんは本当の孫みたいな感じで勝手に思って」
「で、そうやってこうやって迎えてくれる」
「本当に今、かけがえのない家族ですよね、私にとって、」
所さんは、これからもまた民宿・藤屋に泊まり息子たちが眠った御嶽山に登り続けます。