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【ナゼ】“保守分裂&裏金対決”二階VS世耕に“意外な大差”がついたワケ…比例復活すら許さない圧勝劇の背景

2024年10月31日 8:00
【ナゼ】“保守分裂&裏金対決”二階VS世耕に“意外な大差”がついたワケ…比例復活すら許さない圧勝劇の背景
当選した世耕弘成氏(27日)

 “保守分裂&裏金対決”は世耕氏に軍配―。衆院選で全国屈指の注目選挙区となった和歌山2区は、参院から無所属で鞍替え出馬した世耕弘成氏(61)が、自民党の二階元幹事長の三男・伸康氏(46)を下した。ともに“裏金問題”の影を引きずりながら、結果は大方の予想を覆す約3万票の大差となった。
 世耕氏の「大勝利」か、二階氏の「大惨敗」か…。現場を取材すると、“裏金問題”の是非を問う余裕などない、紀伊半島の深刻な事情が有権者の投票行動に影響を与えた構図が浮かび上がった。(読売テレビ報道局・和歌山担当:澤井耀平/解説デスク:髙橋克哉)

■二階氏陣営の怒りと焦り…動員で満員の演説会場に“隠れキリシタン”の疑念

「県民を分断するような大義のない戦いをなぜ選択されたのか。本当に残念だ」

 公示日の第一声。和歌山県田辺市の海浜公園で行われた自民党の二階伸康氏の出陣式で、二階氏は、出鼻から世耕氏の行動を批判した。「当初言うつもりはなかった」言葉だそうだが、街を歩く中で、自民党支持者が自身と世耕氏のポスターを並べて張っている姿を目の当たりにし、「こういう(保守分裂の)状況で公示日を迎えたことについて詫びなければならないと思った」(二階氏)という。

 二階氏陣営の恨み節は続く。選対本部長を務めた鶴保庸介参院議員は、世耕氏に和歌山1区からの出馬を打診し、断られたと明かした上で、「伸康氏の公認が決まった後に出馬表明をするのはおかしい」と非難。中村裕一県連幹事長は取材に対し、「世耕氏は26年間の実績があるとおっしゃるが、あまり和歌山のために活躍されたという印象はない」と切り捨てた。

 ただ、こうした二階氏側の怒りは、焦りの裏返しでもあった。「10増10減」の選挙区調整で、定数が1減となった和歌山県。保守分裂選挙の現場となった新2区は、二階俊博元幹事長(85)が長年守り続けた旧3区に旧2区のほとんどの地域が加わった。当初から「旧3区で圧勝し、旧2区の知名度不足をカバーする」(二階氏陣営の県議)方針だったが、参院選で5回も県内全域を回った世耕氏の知名度は高く、目算は当初から狂い始めていた。

 建設業や一次産業関連などの業界団体の推薦を早々に取り付け、「動員」をかけた演説会場はどこも人が集まる。ただ、姿を見せても票は世耕氏に入れる「“隠れキリシタン”がいる」(二階氏陣営幹部)ことは明白だった。

■世耕氏“余裕”の源泉は…ちらつく故・安倍晋三元首相の存在

「無所属、新人の世耕弘成でございます」

 一方の世耕氏。第一声では、「政治資金の問題で大きな失敗をし、地元の皆さんに恥ずかしい思いをさせてしまい申し訳ない。離党勧告を黙って受け入れ、裸一貫で活動している」と謝罪。その上で、官房副長官や経産相、参院自民幹事長の経験と人脈をアピールして即戦力を強調した。

「26年の政治経験、特に後半の11年は、普通の議員にはできない密度の濃い経験をした。その経験を生かしてもう一度和歌山のために働かせていただきたい」

 “裸一貫”を演出したかったのだろうか。別の会場ではミカン箱の上で演説を行い、選挙戦で履き続ける相棒のスニーカーは、靴のサイズが同じだった安倍晋三元首相の形見であると明かした。二階氏側に石破茂首相や森山裕幹事長ら党幹部が相次いで駆けつけるのを横目に、安倍明恵夫人や評論家の金美齢氏、山本一太群馬県知事らを独自の人脈で招いた。良くも悪くも父親の二階元幹事長の威光がちらつく伸康氏に対し、対立軸として安倍氏の存在を想起させる演出のようにも見えた。

 演説会場を訪れる人の数は「組織戦」の二階氏に及ばないものの、自らの意思で足を運んだ聴衆の反応は良い。深々と帽子をかぶったマスク姿の男性は、建設会社の社員だといい、「こっちに来るのがバレるとまずいから"変装"してきた」と打ち明けた。

 世耕氏自身も『出直し』と位置付けている割には、悲壮感は漂わせず、終始、弁舌滑らかに語り続けた。「それだけ、結果に自信があるということだ」と、世耕氏に付いた地方議員の一人が心境を代弁した。

 2人の“保守”政治家の違いはどこにあり、有権者は何を期待しているのか。紀伊半島の南東部に位置する新宮市で行われた双方の街頭演説で、その一端が垣間見えた。

 市の人口は約2万6000人。かつて紀伊山地で切り出された木材の一大集積地として栄えたが、現在は過疎化の影響で急速に人口減少が進む。航空機や特急列車、高速道路など様々な交通手段を駆使しても、大阪、名古屋、東京への所要時間はいずれも4時間前後かかり、乗り合わせたタクシーの運転手は、「本州最後の陸の孤島」と自嘲気味に話した。

 国の想定では、南海トラフ巨大地震が発生した場合、5分後に3メートルの津波が到達する見込みだ。地形的に「半島の先端」であるため、災害時には、能登半島地震と同様に交通網の寸断が復旧復興の妨げになるとの懸念の声も上がり始めている。

「熊野(川)河口大橋も開通する運びになりました。これも新宮のみなさんのおかげです。だけどこれから、まだまだ私たちにはやらないといけないことがあります」

 新宮市役所前で行われた二階氏の街頭演説で、伸康氏本人の到着前に実兄の俊樹氏が地声で語り始めた。引き合いに出した橋は新宮市と熊野川を挟んで対岸に位置する三重県紀宝町を結ぶ高規格道路だ。完成すれば、父親の二階元幹事長が長年公約に掲げてきた「紀伊半島一周高速道路」の一部となる。

 父・二階元幹事長は今年3月の不出馬会見で国会議員を目指した動機について、「県議時代に地元の青年団から『これから新潟に行く。道路の要望を何十年も地元の国会議員に頼んだが一歩も動かない。痛みを分かってくれるのは田中角栄先生しかいない』と言われて悔しい思いだった。故郷のみんなにこんな思いをさせてはいけないと、国政に挑戦することを誓った」と振り返った。

 悲願の「紀伊半島一周道路」は最終区間も着工し、全通へのカウントダウンが始まっている。災害時の新たな避難経路としても期待され、道路は二階家にとって「1丁目1番地」なのだ。

 一方の世耕氏。二階氏に先立ち同じ場所で行われた演説会でマイクを握った支援者が披露したのは、こんな実績だった。

「地域の産科医がいなくなったとき、世耕先生に相談したらすぐ近畿大学から医師を派遣してくれた」

 おととし、この地域で唯一産婦人科のある「新宮市立医療センター」の産科医が退職し、市内で分娩できない事態に陥りかけた市は近畿大学と「包括連携協定」を締結。医師派遣が決まったという。近大の理事長を務めるのは世耕氏だ。和歌山2区には近大病院からの派遣医師で診療を続けられている医療機関が他にもあり、厳密には大学理事長としての“実績”だとしても、地元では一体として見る向きもある。

 また、ミカンの一大産地として知られる有田市では、もう一つの主要産業だった「エネオス和歌山製油所」が去年、石油精製事業を終了した。跡地では、家庭の廃食油などから作られる航空燃料「SAF」の製造拠点になることが発表されているが、関係者によると、一度別の自治体に決まりかけていた事業拠点の“逆転誘致”に成功したという。地元は県関係の全ての国会議員に働きかけを行ったが、これも経産相経験者の世耕氏によるところが大きいとの見方がある。

 道路やハコモノなどのハード整備を得意とする二階氏に対し、「困りごと」をソフト面でサポートする世耕氏という、長年培われてきた権力の棲み分けの構図が浮かび上がる。「目立った実績はない」(県連中村幹事長)との声がある一方、地元のベテラン自民党員は「世耕さんはあまり自慢したがらないので実績が見えづらいが『実はこんなところにも世耕』というのも結構ある」と話す。

■思わぬ3万票「大差」…遅きに逸した父・二階俊博氏の地元入り

「もう当選確実だ」「早い!」

 投開票日の午後8時、報道各社が一斉に世耕氏の当選確実を伝えると、田辺市の世耕氏の選挙事務所に集まった約500人の支持者から歓声があがった。拍手で迎えられた世耕氏は「負託に応えて全力で中央で仕事をして参りたいと思います」とした上で、裏金問題に関しても「責任をもって政治資金の透明化にしっかりと汗をかいていく」と語った。

 終わってみれば約3万票の差がついた。「仁義なき保守分裂」と全国的に注目を集めた選挙戦は、思わぬ大差で幕を閉じた要因はどこにあったのだろうか。

 世耕氏側についた首長の一人が指摘するのは、伸康氏の「セールスポイントの少なさ」だ。選挙区調整で新たに「地元」となった旧2区地域には、二階家が得意としてきたハード面の実績は乏しい。さらに、父親の二階元幹事長が最後のマイク締めにしか姿を見せなかったことも、結果として伸康氏に「凶」と出た。

 陣営では当初、中盤以降で元幹事長の地元入りを検討したが、「来れば元幹事長の存在だけが注目され、誰の選挙かわからなくなる」(県連幹部)などの理由で見送られ、姿を見せたのは地元・御坊市で報道陣をシャットアウトして行われたマイク締めの演説のみであった。出席者によると、元幹事長は自身の政治活動への支援に対する謝意と、引き続き伸康氏への支援を要請したという。

 85歳の元幹事長の年齢を考慮した対応だったかもしれないが、「バトンを渡す者と引き継ぐ者が二人三脚で回るのが最低限の礼儀だろう」(地元議員)との不評を買ったのも事実だ。“裏金”で離党した世耕氏と、政界引退した二階氏の息子という構図も争点化されなかった。

■大差の勝利も不透明な「復党」…「“百年戦争”の序章」との声も

 即戦力を前面にアピールして念願の「衆院議員」となった世耕氏だが、無所属議員では経験と人脈はフルに生かせない。

 周囲には“復党”の意思を示しているが、党から勧告を受け入れて離党したとはいえ、党執行部は参院で自民党が過半数を持たない中で地元を真っ二つに割って飛び出した世耕氏の「責任」を重く見る向きがあり、希望通りに早期の復党ができるかは不透明だ。

 地元から「いずれは衆院で首相を目指して」との声があったとしても、無所属のままでは実現への道は閉ざされている。世耕氏の転身で空席となった来夏の参院選挙の候補者選定も急務となっていて、引き続き、伸康氏の去就にも注目が集まる。

 その伸康氏は28日、「知名度不足を含めて浸透できなかったのは自分の責任」と語り、“次”を見据えて地元活動を再開した。伸康氏陣営からは「今回は二階家と世耕家の“百年戦争”の序章だ。20年後には伸康氏が円熟期を迎える一方で世耕氏は高齢問題を抱える」と息巻く声も聞かれたが、悩んだ末に世耕氏に一票を投じた自民党員からは、こんな悲痛な声が上がった。

「人口減少で課題山積の中、元幹事長と世耕氏の2人を一気に失うことはできない。裏金問題を厳しく問うたり伸康氏をじっくり育てたりしたいが、今の和歌山にその余裕はないはずだ」

最終更新日:2024年10月31日 8:00