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オキナワ1967 “沖縄18歳の発言”から55年

2022年8月5日 13:00
オキナワ1967 “沖縄18歳の発言”から55年
「どうして日本の人は、私たち沖縄も同じ日本人の血が流れていながら、見捨てるんでしょうか?」

変わっていく私たちと、“変わらない”基地の島オキナワの現実…

「進んでないよ、50年」

山城園子さん。幼稚園の教員として、この島を見続けてきました。

「どの幼稚園に行っても、もう爆音がすごくて。絵本読んでいる時とかも途中で止めないと聞こえない(状態)」

沖縄が日本に復帰する5年前の1967年。日本テレビで放送された『沖縄18才の発言』。

「君らが考えてるのは、施政権をとって基地問題には触らないっていうんだろ? そうだろ? 君らは分離返還にはしっているだろ?」
「はしってないよ!」
「そうじゃないか!」
「今の現実をかみ合わせて言っている」

本土復帰について熱く討論する高校生達の姿が。

18歳だった、山城さん。

「だいたい本土の人は、大変ずるいんじゃないかなと思う。沖縄をただ同情的に見ているのであって、本当に救おうという気持ちはないんじゃないかと思います」

この番組が放送された1967年。沖縄はアメリカの統治下におかれ、22年がたっていました。通貨はドルが使われ、車は右側通行。繁華街にはベトナム戦争に向かう米兵の姿がありました。

統治下の“オキナワ”しか知らない高校生たち。

山城さん「私たち沖縄も同じ日本人の血が流れていながら、そう見捨てるでしょうか」

放送から5年がたった1972年5月15日。沖縄は復帰の時を迎えます。

佐藤栄作首相(当時)「祖国に復帰いたしました」

それから4年…山城さんは幼稚園の教員になっていました。

本土復帰とは何だったのか、あのときのクラスメイトが、再び意見を交わします。

「返還して安心して暮らせるかっていったら、そうじゃないわけ。基地があるゆえに、私たちは、生命が危険のなかにあるんだっていうことはね」

だんだんと見えてきた復帰の現実…1995年、再び彼らを取材しました。

「乾杯」

山城さん「私たちは肉親を失い、言論の自由を認められず、大変苦しい思いをしています」

男性「あのときの園子の言葉、相当きつかったよ。だけどよ、今あんたが言ったことは、今の現実なんだよ」

普天間基地のある、宜野湾市で働いていた山城さん。

「復帰となれば基地は全部なくなると思っていた。それ(基地)がなくならないで、“ウソ?”って、“まさか”って思いはみんな持ってたんですよ」

2004年、沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落。山城さんの心配は現実のものとなってしまいます。

米兵「おまえらダメだ」
カメラマン「ここは、私の島だ」
米兵「撮影するな」
カメラマン「なんで? ここは日本でしょうが」

2010年。山城さんは幼稚園の副園長になっていました。子供たちを連れてきたのは、普天間基地の近くにある高台。

山城さん「最後だから、(子どもたちに)伝えて終わりたいなと…」

いまだ在日米軍基地の約7割が集中する沖縄。

定年し、孫にも恵まれた山城さんの目の前には、何も変わらない基地のある景色。

「進んでない。進んでないよ。50年。こんなに時間があったのに」


*フルバージョンは8月7日24:55~『NNNドキュメント'22』で放送予定