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パラ“おっちゃんを速く”が生んだ技術・2

2021年10月16日 20:44
パラ“おっちゃんを速く”が生んだ技術・2


“車いすの鉄人” と呼ばれ、東京パラリンピック陸上男子400M(車いすT53)に出場した伊藤智也選手。パラリンピックで5つのメダルを手にし、2012年のロンドン大会で一度は引退を表明しました。その彼を競技の世界に引き戻したのは、“世界一早い競技用車いす「車いすレーサー」を作る”という若者たちの熱い思い。彼らが目指したのは“金メダル”だけではなく、パラリンピックからつながる未来。

開発のリーダーを務めた杉原行里さん(39)は、モータースポーツ事業をはじめ医療福祉機器や最先端ロボットの開発・製造を手かげる会社の代表です。「記憶に残る僕たちだった」とパラリンピックを振り返る杉原さんにとって、車いすレーサーを手がけるのは今回が初めてのこと。手探りの中、ゼロからの挑戦でした。諦めずにお互いを信じ、時にはケンカもしながら、ミリ単位の調整を行って作り上げた、最高の車いすレーサー。しかし大会直前、思わぬ事態がチームにふりかかりました。

■「おっちゃんも諦め悪いな」

最高のパフォーマンスを生み出す車いすレーサーの開発。コロナ禍に入ってからは三重県に住む伊藤さんとは直接会うことが難しくなり、オンラインで調整を続けた。だが、パラリンピック開幕直前、思わぬ連絡が伊藤選手から入った。直前のクラス分けで、出場を予定していたクラスの「T52」ではなく、障害が一段階軽い「T53」と判定され、それどころか、T53にも出場できるかわからない状況だったという。

「僕らチームが味わった最初の絶望というか…T52とT53だと、運動能力が小学生と高校生くらい違うんですよ。(伊藤選手も)『ごめんな』とおっしゃっていました。でも、苦境に立たされても誰一人諦めなかった」

仮にレースに出られないと決まると、選手は選手村から48時間以内に退所しなければならない。チームに残された時間は48時間。メンバーは事務所に集合して、各メンバーが自分の持っている知識やアイデアを出し切って、少しでも可能性を模索した。「(海外ドラマのように)チチチチ…と音がした気がしました」と杉原さんは振り返る。

日本のパラ陸連もIPC(国際パラリンピック委員会)に抗議文を送り、最終的に伊藤選手はT53の400メートルに出場することが確定した。杉原さんは、『転んだ時にいかに前を、上を向けるか』というのが本当に大事だと痛感した。それと同時に『1人のおっちゃんのために全力を尽くせるこのチームは、最高だ!』と感じた瞬間だったという。

レース前日、伊藤選手とこんな言葉をかわした。

「(伊藤選手は)『俺は今までのレース人生で一番充実した前日を迎えている。一漕ぎ一漕ぎがんばるけれど、たぶん、最後きつくなるから、その時はお前ら全員チームの顔を思い出しとくわ。俺はこのチームの一員だから、死ぬ気で走らないと、みんなに悪いから』と言ってくれたんです。だから僕は『おっちゃんも諦め悪いな』と。そうしたら、『諦め悪いのはお前もやろ』って。2人でワッハッハーって笑いました

■東京の大舞台で

レース本番、T53の予選で伊藤選手は“車いすの鉄人”の意地を見せた。まさに、死に物狂いの走り…。

「スタートして1コーナーまで(トップ集団で)放送で映ったままでいられるか、分からなかったんです。でも1コーナーに入っても全然、まだ映ってるんですよ。おっちゃん、マジか!と、ヤバい、おっちゃんペース配分が狂っとる、と。でも3コーナーのところから息切れしていって…あんなに息切れした伊藤さんを練習でも見たことがなくて。本当に死ぬ気だったと思います。よく最後まで漕げたなと思う」

結果は6着でゴール。予選敗退となったが、これまでの自己ベストのを更新するタイムをたたき出した。レース後、伊藤さんの最初のコメントは「ダメだこりゃ!」。しかし、それを見ていたチームのメンバーたちは涙を浮かべながら「伊藤さん、最後にやったな!」と言って、心の底から笑った。翌日、選手村を後にした伊藤選手と約1年半ぶりに対面した杉原さんは、顔を合わせた瞬間、何も言わずにお互いに抱き合ったという。

「体験を共有して1つ1つ積み上げていったものは、やはり言葉だけで紡がれている関係ではないというか…。いろいろなことがあったけど、僕らの絆は簡単には崩れない。よく質問で『伊藤さんと出会ってから障害者へのイメージは変わりましたか』と聞かれますが、チームのみんなは一度も、伊藤さんを障害者として見たことがないんです。強いて言うなら…足がちょっと悪い、明るいおっちゃん。僕らは、“金メダルだけが目的ではない”というのを掲げている以上、僕らのレースはまだ始まったばかりなんですよね。本当に、イントロが始まった状態だと僕らは思っています」

■日本が最大の試験場になればいい

今回の開発の中で生まれたシミュレーター「SS01」は現在、国立障害者リハビリテーションセンターで採用され、引き続き検証実験が行われている。さまざまな医療機関などで使える新型の汎用モデルも開発中だ。「伊藤さんからは『1、2か月休んでいいよ。その後、また開発だからね!』と言われた」と笑う杉原さん。チームみんなで、ある未来を思い描いている。

「いつかもし病院とかで、僕らの開発したシミュレーターが当たり前に使われるようになったときに、『これが1人のおっちゃんを速くしようとして生まれたテクノロジーなんて、たぶん、みんなは知らないよね』『それカッコいいよね』なんて話しています。僕らがよく言っているのは今の世の中というのは、数十年前の方たちが作ってくれた未来なんですよね。僕らはその未来を生きている。だから、僕ら現在を生きている人間は、今の子どもたちが大人になる20年後、30年後の未来を作るべきなんです」

パラリンピックの夏を終えて伝えたいことを聞くと、「テクノロジーで社会課題を楽しく解決」という答えが返ってきた。日本は人口の減少や、高齢化による移動の問題など、多くの社会課題を抱える「社会課題先進国」とも言える。しかし杉原さんは、「すごいチャンスだ」と話す。

「課題があるっていうことは、解決するために、必然的にプロダクトやサービスが生まれるわけじゃないですか。だから日本が、最大の試験場になればいい。そこで生まれてくるテクノロジーやプロダクト、サービスなどがどんどんアップデートされていって多くの課題を解決し、それが自然とビジネスになる、これって、めっちゃ良くない?って僕は思うわけですよ。頭を抱えて話すことじゃないぞ、これは、と」

【杉原行里(すぎはら・あんり)】
RDS社長 / webメディアHERO X 編集長 / 4RE 代表取締役。1982年生まれ。大学でプロダクトデザインを専攻。 RDSは、モータースポーツ事業を始め、医療福祉、最先端ロボットなどの研究開発を行っていて、F1チーム スクーデリア・アルファタウリ・ホンダのオフィシャルパートナーでもある。パラリンピックではソチ・平昌で選手へ技術開発提供を行い、チェアスキーでの金メダルを含む、7個のメダル獲得に貢献。

(写真は開発した車いすレーサーの前でメッセージを持つ杉原さん)