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「どう生き抜いたか知りたい」戦地・ウクライナ医師の心に“希望”を与えた、ヒロシマの復興力

2024年8月14日 19:11
「どう生き抜いたか知りたい」戦地・ウクライナ医師の心に“希望”を与えた、ヒロシマの復興力

私たちはできるだけたくさんの人を救わなければいけないー。

被爆地・ヒロシマを訪れた、ウクライナの医師たち。原爆の惨状を見つめ、被爆者の声を聞いた彼らの心に芽生えたのは、“生き残った人々”がその後の人生を生き続ける「希望」だった。

海外観光客が増加する“ヒロシマ”

今、広島を訪れる観光客に“ある変化”が起きている。以前にも増して目立つのが、海外からの観光客。『平和記念資料館』の来館者は、なんと3分の1が外国人だ。

オランダから来た観光客は「原爆が落とされた場所を見て強い衝撃を受けました」と話し、ドイツから来た観光客は「人生に一度は来るべき場所だと思います」と広島への思いを語った。
なかには、「ロシア出身です。戦争が始まってからずっと反対していましたが、その気持ちがここに来てより強くなりました」と反戦への思いを強めるロシア人観光客もあった。

日本で学ぶ二人のウクライナ医師

愛知県名古屋市にある『藤田医科大学 ばんたね病院』の手術室。行われていたのは、「くも膜下出血」を未然に防ぐ手術。この技術を学ぶため、同病院は世界各国の医師が訪れていた。

「縦ではなくて、横ですか?」と、熱心に質問をする留学中の脳外科医がいた。ウクライナから来た、ダニーロさんとキリロさんだ。二人はウクライナの医療を発展させるため、今年7月末から1か月の間、日本に滞在。ウクライナから脱出する医者も多いなか、戦時下の母国に戻る約束のもと、留学を許されたという。

大切な家族を母国に残し、日本に来た2人の医師。キリロさんは、「手術に使える技術や、同僚に伝えられる知識を持ち帰りたいと思っています」と留学への思いを話す。

ダニーロさんとキリロさんの受け入れを提案したのは、脳神経外科の加藤庸子教授。二人から“強い熱意”を感じたという加藤教授は、「戦況のなかにいて、殺伐としているというところは思ったより感じられない。笑顔もあるし」と二人の印象について明かした。

ダニーロさんが日本に来て驚いたことは、食べ物や建物の大きさ。「ウクライナのサンドイッチのほうが大きいよ」と話すダニーロさんに対して、「いやいや、変わらないよ」と笑顔で返すキリロさん。ダニーロさんにとって、日本の食べ物や建物など、すべてがコンパクトに感じるそう。

加藤教授が語ったように、二人の間には和やかな空気が漂っていた。

“生き残った人々”の人生を知りたい

いつも朗らかなダニーロさんとキリロさん。しかし母国・ウクライナでは、ロシアからの侵攻が始まってまもなく2年半。今も多くの命が失われている。

ダニーロさんとキリロさんも、前線の病院にボランティアとして参加。一晩だけで、患者を20人以上診ることもあったという。「考える間もなく、ただ血を止めて助けるのが精いっぱいでした」と、戦火のなかで治療を行う苦しい心境を語ったキリロさん。

2人には、医療の技術以外に、もうひとつ学びたいことがあった。それは、被爆地・ヒロシマの復興までの道のり。

世界各地で戦闘が続くなか、改めて注目される“ヒロシマ”。

「広島に行きたいです。原爆が落とされた後、生き残った人々がどう街を復興し、その後の人生を生き抜いたのか知りたいんです」と、ダニーロさんは広島への思いを語った。

「人は変わらない、世界は変わらない」

G7広島サミット以降、改めて世界に“平和の尊さ”を投げかけるヒロシマ。2024年8月11日、広島県広島市にある『平和記念公園』には、ダニーロさんとキリロさんの姿があった。

原爆ドームを見つめ、「こういった被害を受けた建物がウクライナにもあります。壊されたんです」と母国の状況を説明するダニーロさん。その後、二人は原爆の惨状を今に伝える『平和記念資料館』に向かい、ウクライナ語での案内を聞きながら館内を見学した。

見つめるのは、壊滅的な被害を受けた広島の姿。重なるのは、今も戦闘が続く母国ウクライナの街並みだ。

「もう二度と、繰り返してはならないようなことです」と口にしたダニーロさんだったが、「しかし、人は変わらない、世界は変わらないということを、意味しているようにも感じます」と憂いを帯びた表情で思いを語った。

心に芽生えた希望「多くの人を救いたい」

“戦争で生き残った人々はどう街を復興し、その後の人生を生き抜いたのか”

この答えを聞くために2人が訪ねたのは、“語り部”として活動する河野キヨ美さん。現在93歳、当時14歳で被爆を体験した。

「たくさん死体が浮かんでいるんです。上を向いたり横を向いたりして、波に揺られていました」

「広島はあんなにひどいことを目で見たんですから、体験したんですから。世界の人に、核兵器の恐ろしさを絶対に伝える人間としての義務があると思います。絶望ばっかりしていてはいけない」

訪れた人々へ自身の被爆体験を語る河野さん。戦後、3人の子供を育て上げ、70歳を過ぎてから語り部をはじめたという。平和を伝える一方、世界では今も戦闘が絶えない。

河野さんの体験を、真剣な表情で聴くダニーロさんとキリロさん。話を聴き終えたダニーロさんは、河野さんにウクライナの“あることわざ”を伝えた。「私たちの国にはこんなことわざがあります。『善が悪を制すためには力が必要だ』。善い力、優れた武器、悪を倒すためにはそれが必要だと」。

その“ことわざ”について、河野さんは「“善い力”ってあるんですかね」と答え、“武力に『正義』はあるのか…”と自らの経験から疑問を投げかけた。

「こうしてお話させてもらうために、生きさせてもらったんだと思います」と、広島に訪れたダニーロさんとキリロさんに御礼を述べた河野さん。二人は河野さんと笑顔で挨拶を交わし、『平和記念公園』へと再び向かった。

原爆の惨状を見つめ、被爆者の声を聞いた2人。ヒロシマに来て芽生えたのは、“希望”だという。

「彼女が背負ってきた記憶、魂と一緒に生き続けている姿に心を打たれました。とても強い人だと思いました」と、河野さんの人生に感銘を受けたダニーロさん。そして、キリロさんは、「私たちはできるだけたくさんの人を救わなければいけない。ウクライナでも、生き残った人は、その後の人生を生きていくからです」と、医師としての使命と“ウクライナの未来”について力強く語った。

ウクライナの医療を発展させるため、日本に来たダニーロさんとキリロさん。2人は来週、留学を終え、戦闘が続くウクライナへ戻っていく。

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