SF漫画の第一人者・松本零士さん死去、これまでの功績を振り返る
松本さんは、1938年1月25日福岡県久留米市生まれ。6歳の頃から絵を描き始め、9歳で漫画家・手塚治虫さんの本に出会い漫画を書き始めたといいます。15歳の時に、投稿作『蜜蜂の冒険』が漫画雑誌『漫画少年』に受賞掲載され、商業誌デビューしました。
1957年には漫画雑誌『少女』に『黒い花びら』が掲載され、しばらくは少女漫画誌での執筆が続きましたが、1968年代に入り青年漫画誌が誕生し始めたころに漫画雑誌『漫画ゴラク』に『セクサロイド』を発表。以降、青年漫画のジャンルで活躍の幅を広げました。
1972年には『男おいどん』にて、第3回講談社出版文化賞児童漫画部門賞 。1975年『宇宙戦艦ヤマト』にて星雲賞 、1978年『銀河鉄道999』と『戦場漫画シリーズ』にて第23回小学館漫画賞、“一連のSFシリーズ”にて第7回日本漫画家協会特別賞、など数々の作品で受賞。
さらに2001年には紫綬褒章受章、2010年旭日小綬章受章、2012年フランス芸術文化勲章シュバリエを受章するなど、功績を収めました。
一方2019年には、イベント出席のため滞在していたイタリアで体調不良を訴え、病院へ救急搬送されました。当時、現地メディアでは「深刻な状態で、脳卒中の疑いがある」と報じられていました。
しかし2020 年には公式ホームページで「ファンの皆様、この度は大変ご心配をおかけしました。様々な報道がされておりましたが、私はいたって元気であります。当時のイタリアはものすごく寒く風邪をこじらせ寝込んだのは事実ですが、それより何度か滑って転んだことが原因であらゆる検査が必要になってしまい、なかなか帰国できませんでした。日本に戻ってから、改めて隅々まで検査しましたが、食事や日々の生活を変える必要もないぐらい健康体だと太鼓判を押されました!どうぞご安心ください」と報告し、「入院期間が長かったため筋力がやや落ちたようで、今はゆっくり筋トレをしながら、一日も早く復帰できるようにがんばってます。ただ、この時間のおかげで私の頭にはアイディアがたくさん生まれてきました。いよいよ描くべき物語に挑むときがきたと感じております」と意気込みを語っていました。
葬儀・告別式はすでに近親者のみで執り行われていて、後日、お別れの会を開催予定だといいますが、詳細はまだ決まっていないということです。