真珠湾から80年…遺骨を迎えた息子の願い
太平洋戦争の契機となった真珠湾攻撃から、8日で80年。米国人のビルさんは生後半年の時、戦艦の乗組員だった父親を亡くしました。長く「行方不明」とされてきましたが、80年たってDNA鑑定で身元が特定され、遺骨が届きました。その思いと願いとは―。
■米側の死者2400人…真珠湾80年
岩手・盛岡市の街頭で8日、若い世代に戦争の恐ろしさを伝えるためのイベントで、赤い紙が配られていました。戦時中、軍隊への召集令状「赤紙」が届いた人は、否応なく戦地へ送られました。
高校生たちは「(赤紙のことは)教科書で学んだ」「自分の息子とかを送り出すのはすごく悲しいことなので、もうそういうことがないようにしてほしい」と話しました。
旧日本軍がアメリカ・ハワイにある真珠湾を攻撃した日から、この日で80年。アメリカ側で約2400人が亡くなり、太平洋戦争が始まるきっかけとなりました。
■身元特定に「言葉見つからず」
ノースカロライナ州に住むアメリカ人、ビルさん(80)は80年前、真珠湾攻撃で、戦艦の乗組員だった父親(当時24)を亡くしました。
これまで父親は「行方不明」とされていましたが、「『あなたのお父さんの遺骨が特定された』(と電話が来た)。言葉が見つからなかった」とビルさんは言います。
国防総省は6年前から、埋葬されていた遺骨を掘り出し、DNA鑑定を開始。身元が次々と特定され、ビルさんの元にも、遺骨が届けられました。
ビルさんは「父がここにいるという現実を、ようやく実感することができた」と振り返ります。
■攻撃の10日前…父親からの手紙
当時はまだ生後半年で、父親のことを覚えているはずがありませんが、何度も読んだのが、真珠湾攻撃の10日前に書かれた手紙です。「愛しの妻へ あなたと赤ちゃんに会いたくてたまりません」と綴られていました。
最愛の家族に会えないまま、命を落とした父親。80年の時を経て、ようやく息子のそばに戻ってこられましたが、父親と同じ戦艦に乗っていた乗組員のうち、33人の遺骨は、いまだに特定されていません。
ビルさん
「命が失われるのは、本当に悲しいことです。誰もが仲良くしてほしいと強く願います。もう争いはたくさんです」
(12月8日『news zero』より)