真珠湾攻撃から80年ある父子の「再会」
1941年12月8日の旧日本軍による真珠湾攻撃から、80年。実は近年、最新のDNA鑑定技術でアメリカの身元不明兵士らの遺骨特定が進み、相次いで遺族に返還されています。今年、80年ぶりに父親と「再会」を果たした男性を取材しました。
■突然かかってきた電話…驚き「いたずらかと思った」
アメリカ東部・ノースカロライナ州の閑静な港町、エリザベスシティ。この町に住むビル・ブランチャードさん(80)は今年2月、一本の電話を受けました。電話の主は国防総省の関係者。こう告げました。
「ブランチャードさん、あなたのお父様のご遺骨が特定されました」
ビルさんの父、ウィリアムさんは80年前、機関兵(ボイラー技士)として、撃沈された戦艦「オクラホマ」に搭乗し、24歳で命を落としました。ビルさんはその当時、生後わずか半年でした。
ビル・ブランチャードさん
「最初はいたずらではないか、嘘だと思っていました。しかし幸いなことに、事実だったのです」
ビルさん自身「青天の霹靂」と語る、父親の身元特定。家族は驚きと喜びに沸き立ちました。
■長期間の沈没で遺骨が散逸…長年特定困難だった「オクラホマ」乗組員
真珠湾攻撃で、命を落とした戦艦「オクラホマ」の乗組員は429人。その多くは船内にいて、船と運命を共にしました。
ウィリアムさんの最期について、公式な情報はありません。ただ戦後40年以上経ってから、直前まで近くにいた同僚がウィリアムさんの妻に手紙を送り、その様子を伝えました。
船内に閉じ込められ、残される妻と息子への心配を口にしていたというウィリアムさん。同僚は脱出を促し、自身の体に油を塗りつけるなどして、4回目の挑戦で船窓から脱出に成功しました。
しかし、その後、ウィリアムさんの姿を見つけることはできなかったといいます。公式の記録はこれまでも「行方不明」のままでした。
ビルさん
「遺体の身元が判明するまでは、行方不明と分類されるのです」
父親のことを直接は覚えていないというビルさん。大切に保存してきたアルバムを見せて貰うと、ウィリアムさんが、生後1か月のビルさんを抱く写真が。ビルさんの娘のステファニーさんが、隣で「こんなに立派な男性になりました」と笑いました。
さらにハワイで勤務中、妻とビルさんにあてた手紙の束も。筆まめだったようで、どの手紙にも、妻と息子を気遣う言葉が並びます。真珠湾攻撃の10日前に送られた最後の手紙も同様でした。
「愛する妻よ、あなたも大切な息子も、元気にしていますか?私はここ1日ほどゆっくりし、体調は大丈夫です。(中略)あなたと赤ちゃんに会いたくてたまりません」
その思いは果たされることなく、戦艦「オクラホマ」は真珠湾に沈みました。
引き揚げが最終的に完了したのは攻撃から2年後。この間、船内で戦死者たちの遺骨は混ざり合い、ウィリアムさんを含め、その多くが判別不能になってしまいました。その数394人。彼らは長年、ハワイの国立太平洋墓地にまとめて埋葬されていました。
■遺骨再発掘DNA鑑定で身元特定が飛躍的に進展
こうした中、2015年に国防総省の捕虜・行方不明者調査局(DPAA)は身元不明者の遺骨の再鑑定を決定。墓地から遺骨を掘り出し、中西部ネブラスカ州にある研究所でDNA鑑定を進めました。
国防総省の担当者
「1万3000近くの遺骨を確認しました。昨年度(20年10月~21年9月)はDNA検査が終了したこと、さらに海軍が新たな家族のDNA入手のために努力したこともあり、87人を特定することができた」
ウィリアムさんも、息子のビルさんと、もうひとりの親戚がDNAを提供したことで、遺骨の特定につながりました。
国防総省の担当者
「お子さんが生きているケースはあまりありません。今回、生きている間に特定ができたということは、とても素晴らしいことです
遺骨が特定された後、息子のビルさんの元には、国防総省から科学鑑定の結果や、ウィリアムさんの軍での記録をまとめた分厚い冊子が送られてきました。
中には入隊時の記録や、戦死後に妻が海軍に送った、夫の安否を尋ねる手紙のコピーも。そして鑑定されたウィリアムさんの遺骨は、頭蓋骨や足の骨などが含まれ、予想よりも多かったということです。
ステファニーさん
「これを見た瞬間、火葬ではなくそのまま埋葬するべきだと思いました」
■息子の誕生日に遺骨返還80年ぶりの父子の「再会」
ウィリアムさんの遺骨は今年6月3日、バージニア州ノーフォークの空港に到着し、ビルさんは80年ぶりに父との「再会」を果たしました。
奇しくも、この日はビルさんの80歳の誕生日。涙を流しながら、この日のことを振り返るビルさんの背中に、隣に座るステファニーさん(ウィリアムさんの孫)が、優しく手をやりました。
ビルさん
「これまでは、亡くなってもう二度と会えないという状況をなかなか理解することができませんでした。感情的にも、手紙などでしか父を知らなかったので、執着がなかった。でも、現実を目の前にして『父はここにいるんだ』と感じた。とても厳粛な瞬間でした」
当日は、土砂降りの雨。家族にとっては、その天候もまた、ウィリアムさんを感じさせるものだったといいます。
ステファニーさん
「祖父は水の中で、暗闇の中で亡くなった。私たちに出来ることは、雨に濡れて、少しでもその苦しみを共有することでした」
■80年目の「節目」祈る世界の平和
現在は、ノースカロライナの地に眠るウィリアムさん。ビルさんら家族はしばしば、墓地を訪れてウィリアムさんと会話するといいます。
ステファニーさん
「祖父に起こったことはずっと分かっていたので、今回のことが必ずしも心の整理になったわけではありません。でも、私たちにとって、彼をより身近に感じることができる機会になりました」
今回、私たち日本メディアの取材に応じてくれたブランチャード一家。最後に、ビルさんに真珠湾攻撃を行った日本や、戦争に対する思いを尋ねました。
ビルさん
「命が失われるのは本当に悲しいことです。私はただ、誰もが仲良くしてほしい。この地球で、みながひとつの大きな家族です。もうトラブルはたくさんです。日本もひどい目に遭いましたよね。第二次世界大戦を終わらせるために、日本にあんなことをしなければならなかったことも残念なことです。正しいことではありません。私に出来ることは、人類がいつの日かひとつになれることを願うこと。それだけです」
国防総省によると、「オクラホマ」の乗組員33人はまだ、遺骨の特定がされていないということです。親族のDNA提供など、さらなる手がかりが待たれます。