あの日から13年9か月…東日本大震災後自主避難した女性が講話 「できることから災害への備えを」
横手市にある高校で、防災について学ぶ講話が開かれました。
講師を務めたのは、東日本大震災のあと、一時、横手市に母子で自主避難していた福島市の女性です。
女性は自らの経験をもとに「できることから災害への備えを始めて欲しい」と生徒たちに伝えました。
福島市で生まれ育った、三浦恵美里さん。
今月9日に横手市を訪れました。
震災のあと、横手市に自主避難した三浦さん。
福島第一原発の事故による放射線の子どもへの影響を懸念し、避難者の受け入れ体制が充実していた秋田の中でも比較的福島に近い横手市を選びました。
夫を福島に残し、8歳だった長男と5歳だった長女と送った3人での生活は、約1年半続きました。
取材した日は、深い付き合いがあった人たちが三浦さんに会いに次々と駆けつけました。
当時、自分と同じように秋田に避難した人たちを支援する相談員の仕事に就いていた、三浦さん。
小野町から避難 高橋和美さん
三浦さん
「皆さんとお話して、ちょっと困ったことがあったら一緒に考えて。あと、おつなぎするっていう仕事だったんですけど、逆に私が元気になるような感じで。すごくこの仕事は私にとってありがたかったですよね」
小野町から避難 高橋和美さん
「俺なんかも、福島から来た人が、『いやおれもいたんだよ』って言うと、全然違うんだよね。みんな帰って行くよな」
県内には、多い時には1500人あまりが避難していました。
13年経ったいまも、350人ほどが暮らしています。
三浦さん
「建物がたったりだとか、除染も進んではいるんですけども、心の復興というか、気持ちの面ではトラウマ的なものが出てきたりだとか、いまだからお話できることとかも出てきたりしているので、目には見えないところでの、っていうところがものすごく感じているところではあるので」
自宅の除染に一区切りがついたあと、ふるさとに戻った三浦さん。
いまは、避難者の交流会や子育て支援などを手掛ける団体の理事長を務めています。
三浦さんは、この日、横手高校定時制の防災講話に講師の一人として招かれました。
災害に備える心構えや、長期的な対応について学ぶ、全校生徒が対象の特別授業です。
三浦さんは、福島市で被災した時の状況や、横手市での避難生活について話しました。
三浦さん
「福島市の震度は震度6弱で、家の中のいろいろなものが落ちて、その当時5歳だった娘を抱えて外に這いながら、私は出ました。地震も怖かったのですが、それよりも恐怖だったのが、原子力発電所の爆発でした。放射能が体に及ぼす影響はどうなんだろう、いつになったらなくなるのか、このまま福島で生活できるのか」
外で過ごすことに不安を覚えた震災直後の生活、子どもたちが学び、遊ぶ環境を一番に考えて、三浦さんは自主避難を決断しました。
縁もゆかりもない土地で経験した、近所の人たちとの支え合い。
子どもたちが秋田弁を習得して地域に溶け込んでいったこと。
自然や食に癒やされたことなどについて、当時の思いも交えて生徒たちに語りました。
1年生
「家族バラバラで避難するときに、あったほうがいいものってありますか」
三浦さん
「必要なものというよりかは、お話をする、しっかり、というところが大事なのかなって思います」
防災講話では、質疑応答が行われたほか、感想も伝え合いました。
2年生
「『横手市の方から優しく、温かく接していただいた』とか、うれしい話を聞いて、とても自分も温かい気持ちになりました」
3年生
「知ることが大切なのかなと思いました。知ることで次の行動に移すこともできるし、安心感にもつながるということを強く感じました」
三浦さん
「自分の命が守れるように、まず自分のできることから始めていっていただけたら。お母さんの一人としては、安心。うれしいかなっていうふうに思います。きょうはありがとうございました」
あの日から13年と9か月。
三浦さんは、いつ起きるかわからない災害への備えを、まずは身近なところから充実させてほしいと生徒たちに伝えました。