【追悼演説プレイバック】がんを告白して逝った“ライバル”へ…「外は雪です、寒くありませんか」
今月25日、国会では野田元首相による安倍元首相に向けた追悼演説が行われる。これまでにも、衆参両院で数多くの追悼(哀悼)演説が行われ、“名演説”と語り継がれるものもある。おくる側とおくられる側。今回は、ライバルでもあり戦友でもあった2人の物語を振り返る。
■がんを告白して訴えた「がん対策基本法」
2006年5月22日、参議院本会議。当時の小泉首相に対する代表質問に立った民主党(当時)の山本孝史議員は、こう話し始めた。
「私事で恐縮ですが、私自身がん患者として、同僚議員はじめ多くの方々の御理解、御支援をいただきながら国会活動を続け、本日、質問にも立たせていただいたことに心から感謝をしつつ…」
本会議場の壇上から、がんを患っていることを告白したのだ。
本来、政治家にとって自らの健康問題は、進退に直結する可能性もあるため、極めてデリケートな問題といわれる。にもかかわらず、がんであることを明らかにしてまで訴えたのは、がん対策基本法と自殺対策基本法の早期成立だった。
「私は大学生のときに交通遺児の進学支援と交通事故ゼロを目指してのボランティア活動にかかわって以来、命を守るのが政治家の仕事だと思ってきました。がんも自殺も、ともに救える命がいっぱいあるのに次々と失われているのは、政治や行政、社会の対応が遅れているからです」
「総理にも、国会議員のお一人として、この2つの法案の今国会での成立にお力添えをいただけないか御答弁をお願いして、私の質問を終わります」
この時、山本議員が持ち時間を超えて質問を続けても、当時の扇千景参院議長が発言を遮ることは一度もなかった。
そして質問が終わると、議場内からは党派を超えて大きな拍手がわき起こった。
■法案の成立と山本議員の死去
山本議員が文字通り命を削って向き合った2法案は、代表質問の翌6月に成立した。山本議員はさらに、病魔と闘いながら、翌2007年7月の参議院選挙にも立候補し、当選を果たす。
しかし、この年の12月22日、胸腺がんにより死去した。58歳だった。
死去から1か月。
2008年1月23日の参議院本会議で、山本議員に向けた哀悼演説が行われた。演説に立ったのは自民党の尾辻秀久議員。現・参議院議長である。
2人は共に社会保障分野の専門家として知られ、尾辻氏が厚生労働相をつとめた際には山本議員が国会で厳しく追及する場面もあった。一方で、議員立法のために党派を超えて共に汗をかくこともあったという。
ライバルであり、戦友。
そんな山本議員を、尾辻氏は哀悼演説の中で、こう評した。
■「最も手ごわい相手」
「山本先生は、我が自由民主党にとって最も手ごわい政策論争の相手でありました」
「印象深いのは、平成16年11月16日の厚生労働委員会の質疑でした。山本先生は、助太刀無用、一対一の真剣勝負との通告をされました。この質疑の中で、(当時厚労相だった)私が明らかに役所の用意した答弁を読みますと、先生は激しく反発されましたが、私が私の思いを率直にお答えいたしますと、幼稚な答えにも相づちを打ってくださいました。先生から、自分の言葉で自分の考えを誠実に説明する大切さを教えていただきました。そして、社会保障とは何かを御指導いただきました」
さらに、山本議員ががんを告白した、あの代表質問に触れると、時折声をつまらせながら亡きライバルを讃えた。
「いつものように淡々とした調子でしたが、先生は、抗がん剤による副作用に耐えながら、渾身の力を振り絞られたに違いありません。この演説は、すべての人の魂を揺さぶりました。議場は温かい拍手で包まれました。私は今、その光景を思い浮かべながら、同じ壇上に立ち、先生の一言一句を振り返るとき、万感胸に迫るものがあります」
■「外は雪です、寒くありませんか」
今も多くの国会議員や関係者、記者たちの記憶に残るのは、演説の終盤、尾辻氏が山本議員に語りかけた場面だ。
尾辻氏はまず、山本議員の最期の様子を、夫人の言葉を借りて紹介した。
「先生の最後の御著書となった『救える「いのち」のために 日本のがん医療への提言』は、先生が亡くなられる直前、見本本が病室に届けられました。先生は、目を開け、じっと見詰めてうなずかれたそうです。そのときの御様子を、奥様は告別式において、次のように紹介されました。『私は、彼の手を握りながら本を読んであげました。山本は、命を削りながら執筆した本が世に出ることを確かめ、そして、日本のがん医療が、ひいては日本の医療全体が向上し、本当に患者のための医療が提供されることを願いながら、静かに息を引き取りました』バトンを渡しましたよ、たすきをつなぐようにしっかりと引き継いでください、そう言う山本先生の声が聞こえてまいります」
そして…
「先生、今日は外は雪です。随分やせておられましたから、寒くありませんか」
「先生と、自殺対策推進基本法の推進の二文字を、自殺推進と読まれると困るから消してしまおうと話し合った日のことを懐かしく思い出しております。あなたは参議院の誇りであります。社会保障の良心でした。ここに、山本孝史先生が生前に残されました数多くの御業績と気骨あふれる気高き精神をしのび、謹んで御冥福をお祈りしながら、参議院議員一同を代表して、お別れの言葉といたします」
傍聴席には涙を拭う山本議員の遺族らの姿があった。そして議場からは、拍手と共にすすり泣く声が聞かれた。
2人の演説は今も、「名演説」として語り継がれている。