短期決戦も熱い戦いが繰り広げられた衆院選 県内の選挙戦を振り返り記者が解説【徳島】
【徳島1区】
[選挙戦振り返り]
3年前、仁木博文さんは野党系の支援を受けて選挙区で初当選を果たしました。
しかしそのわずか2年後、2023年10月に仁木さんは一転、自民党入りを表明します。
かつての支持者は裏切られた思いを抱くなか、自民党入りしてから初めてとなる仁木さんの選挙戦は、有権者に自らの政治行動を説明して回ることから始まりました。
今回の仁木さんは、自民党の組織力による選挙戦を展開、終盤に吹き荒れた逆風を何とかしのいだ仁木さんが、全国で数を減らした自民党の貴重な議席を死守しました。
迎え撃つのは野党第一党・立憲民主党の新人の高橋永さん。
徳島県出身唯一の総理大臣である故・三木武夫氏を祖父に持つサラブレッドです。
現状を容認するのか、それとも変えていくのか、高橋さんは有権者に問いかけました。
前回、仁木さんを支えたオール徳島などの野党系市民団体も、今回は高橋さん支援に動きました。
結局、選挙区では仁木さんに及ばなかったものの、高橋さんは比例四国ブロックで復活し初当選を果たしました。
(小喜多雅明記者の解説)
「これまでずっと野党系で戦ってきた仁木さんの自民党入りには、大きな反発も予想されました。しかし、10月27日の出口調査の結果を見ると、仁木さんは自民党支持層の7割近くをまとめています、選挙区内を隅々まで歩き有権者に説明したことが支援者から一定の理解を得た結果ではないでしょうか。一方、三木武夫元総理を祖父に持つ高橋さんは初陣としては善戦しました。折りしも政治とカネの問題がクローズアップされ、立憲民主党自体にも追い風が吹いた格好です。しかし、解散が急だったことで支持を浸透させるには時間が足りませんでした。比例復活で議席を獲得したので、経験を積んでもらいこれからの活躍を期待します」
【徳島2区】
[選挙戦振り返り]
飯泉嘉門さんは、徳島県知事時代とは打って変わった選挙戦を展開、組織に頼らず、SNSを駆使して街宣の場所を決め、自ら交通整理もする、徹底した市民目線で戦いました。
街頭演説は期間中200回を超えました。
風は確かに吹きました。
徳島県知事時代の実績を訴え、国政の即戦力となることをアピール、政治家として最後の闘いと位置づけた今回の選挙、文字通り12日間を駆け抜けました。
そして迎えた審判の日、戦いは飯泉さんと12回目の当選を目指す自民党のベテラン山口俊一さんとの事実上の一騎打ちでした。
10月27日午後8時ちょうど、徳島1区に当選確実の速報が出ましたが...待つこと3時間、ついに有権者の審判が下されました。
徳島2区は激戦の末に自民党・前職の山口俊一さんが追いすがる飯泉さんを振り切った形となりました。
その山口さんは、ただでさえ自民党に逆風が吹き荒れる中、強力なライバルの出現に危機感を覚えたと言いますが、それでも従来通り自民党らしい組織選挙を繰り広げました。
(小喜多雅明記者の解説)
「大接戦となった徳島2区、最終得票数はわずか3679票差と、最後まで競り合いました。要因は山口さんと飯泉さんの支持者が重なることです。自民党支持層の票は、二人が分け合う結果となりました。また、飯泉さんの意表をついた戦略も山口陣営を翻弄しました。組織に頼る選挙ではなく、SNSを駆使した街頭に立ち続ける空中戦を展開し、一時は飯泉旋風が巻き起こりました。しかし最後は、危機感を持った山口陣営の組織戦にあと一歩届きませんでした」
今後の政局は?
(小喜多雅明記者の解説)
「まずは野党第一党の立憲民主党を中心に、野党がどんな政権構想をあげ、どの政党がそれに賛同するかだと思います。11月7日には臨時国会が召集される予定でしたが、これはどうやら先延ばしになりそうです。一方、自民公明の与党側は少数与党の道を選ぶのか、ほかの政党と組んだ連立政権を模索するのか。いずれにせよ、過半数233議席を巡る攻防はすでに始まっています」
(詳しくは動画で)