南相馬市小高区で書店を…柳美里の思いとは
芥川賞作家の柳美里さん。2015年から福島県南相馬市内で暮らしているが、今月、一部の帰還困難区域を除いて避難指示が解除された同市小高区に移り住んだ。そんな柳さんはいま、自宅で書店を開こうとしている。柳さんの思いとは?
柳さんは28歳の時、「家族シネマ」で芥川賞を受賞。2000年に出版した「命」は映画化もされている。そんな柳さんは東日本大震災後、当時暮らしていた神奈川県鎌倉市から南相馬市に何度も足を運んでいた。
震災翌年からは、臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」の番組で、被災者を中心に500人以上にインタビューをしてきた。そのうちに、南相馬での人間関係が広がっていったという。
「今後、書店の店番をしながら執筆活動をしていきたい」と話す柳さん。
諏訪中央病院・鎌田實名誉院長が、柳さんに話を聞いた。
鎌田さん「本屋さんをやろうと思ったのは、なぜなの?」
柳さん「小高工業高校で、2年ですね。ボランティアで自己表現と文章表現を教えていたんです。(生徒の)作文を読んでわかったんですけど、終電で帰る子が結構いるんですね。真っ暗なんですね。だから駅のそばに本屋を開いて、本屋だけでなくて軽食もとれて、雨なんかの時は親御さんが迎えにくる。待ち合わせに使えるような場所をつくりたいと思ったんですね」
柳さんが講師をしていた小高工業高校は震災後、仮設校舎などで授業を行ってきた。
しかし、今年4月、元の校舎で小高産業技術高校として再開したことで、多くの高校生が小高に戻ってきた。その開校式で披露された新しい校歌の作詞を手がけたのが、柳さんだった。作曲したのは、柳さんから依頼を受けた長渕剛さんだ。
懐かしき海の音満つる
学び舎の窓の彼方
海ありき 海ありき 村上海岸
柳さんが校歌へ込めた思いとは。
柳さん「町の人にも歌ってほしいと思って。帰られた人、帰りたいけど、帰れない人、別の場所で新しい暮らしを始めた方々にも歌ってほしいと思って、校名を入れなかったんです」
復興への思いも語った。
柳さん「地震、津波、原発事故で大きな傷を負って、その痛みと苦しみを、住民の方は抱えているわけですけれども、その…なんて言うんだろう。破れて…破れたほつれ目から糸が出て、その糸の先が誰かと結ばれることもあるのではないかなと思っています」
柳さんは「住民として何ができるだろう」と考え、「小さなことでも、自分のできることをやることで復興につながれば」と話していた。
■1人1人の物語を紡ぐ
柳さんは「失われてしまう被災地の風景をしるし、新たな物語を紡ぎたい」と話していた。
南相馬に暮らすことで地域の人に勇気を与えながら、立ち上がる姿も見てきている。
柳さんが文学者として、人の心がどう立ち上がっていくのか、小説という文学の中で今後、それをどう表現していくのか、楽しみにしたいと思う。