イタイイタイ病 最後の患者が死去 遺族「まだ救われない患者がいる」
「『こんな痛いなら死んだ方がマシだ』と言って、当時はこぼしていました。『こんな痛いなら死んだ方がいい』って…」
富山市の中坪勇成さん(74)。
義理の母・キミ子さんは、存命していた唯一のイタイイタイ病認定患者でしたが、去年8月に亡くなりました。
亡くなる前に取材に応じたキミ子さん「晩になったら痛くて痛くて」
数家「おはようございますきょうも暑くなりましたね」
キミ子さん「あんたたちも大変だね」
2022年7月、イタイイタイ病に認定された中坪キミ子さん、当時91歳。
認定直後は、名前や顔は非公表でしたが取材に応じてくれていました。
キミ子さん「晩になったら痛くて痛くて、どうしようかなと思って。右側(股関節)だったけど痛かったわ。ちょっと布団に触っても痛いが」
キミ子さんの足に痛みが出始めたのは40歳を過ぎてから。その後、痛みは激しくなりましたが原因は分かりませんでした。
勇成さん「涙流してました。毎日、『痛い痛い』と。『夜はすっと寝れる?』って聞いたら、『なーん、2時間おきに痛くて目を覚ます』と言うから」
キミ子さんは小さい頃から農業に従事していました。
当時の農作業の様子について。
キミ子さん「田んぼに行ったら昔、川水ばっかり飲んで、川水がまたきれいだった。下の石まで透き透きに分かった。カドミウムみたいそういうもん入っとったのか、だけど私が飲んだ時には透き透きだった」
被害地域では誰もがそうしていました。
重金属のカドミウムは、神通川上流の神岡鉱山から垂れ流されていました。
水やコメなどから体内に入ると、時間をかけて腎臓の機能が低下し、その結果、骨がもろくなる公害病です。
義母の激痛「イタイイタイ病ではないか」…患者認定へ
仕事の転勤で全国各地を回っていた息子の勇成さん。
ふるさとに戻ってから母の痛みに向き合いました。
勇成さん「(母は)ただ『痛い痛い』、なんで痛いのかも分からんで、どうのこうの言うのもあかんしっていうことで、私も勉強しました」
勇成さんは「母はイタイイタイ病ではないか」と疑い、2021年、診療拠点の萩野病院で診てもらいました。
キミ子さんの主治医、萩野病院の青島恵子院長です。
青島院長「中坪さんの場合は、もう既に腎不全状態で、それによる貧血も見られて、非常に腎臓の働きそのものが落ちている重度の状態でした。骨も非常に萎縮しているというか、薄くなっているということもありますので、もうイタイイタイ病と、診断できると思いましたね」
キミ子さんは、2022年1月に患者申請し、半年後、県の認定審査会で患者に認定されました。
勇成さん「本当にうれしい認定のされ方だったと思いますよ。萩野病院の青島先生も『良かった』と」
実名で遺族が取材に応じたわけとは「まだ救われない患者いる」
しかし、それから2年後の去年8月、猛暑を避けて入院した萩野病院で体調を崩しました。
勇成さん「(午後)10時頃だったかなあ、手をこう握ってやると、うんうんと頷きながら、そのまま。『ああ、よかった』みたいな感じの、痛い痛いみたいな感じじゃなくてにこっと笑って、笑った顔で亡くなったから、『よかった、よかった』と、安心したんですよ」
93年の生涯に幕を閉じたキミ子さん。
その人生の半分以上の半世紀にわたって、耐えがたい痛みに苦しんできたのです。
青島院長「慢性腎不全の急性増悪っていう、尿毒症ですね。直接の死因ですね」
数家「イタイイタイ病とも関連してくる?」
青島院長「もちろん慢性腎不全はカドミウム腎症からなってますので」
イタイイタイ病が原因で亡くなったキミ子さん。
それから半年後、息子の勇成さんが実名で取材に応じた理由とは。
数家「今回、実名で(取材に)応じていただいたのはどうしてですか?」
勇成さん「まだまだ救われない患者さんがいらっしゃるんで、実名を出して、やっぱり、きちんとお話をした方が、皆さん『痛い痛い』と(略)おっしゃってる人たちが、勇気づけられるのではないかと、別に悪いことしてどうのこうのじゃなくて、堂々と、こういう公害に遭って、これだけ痛みがあって、やっぱり皆さんを救いたいというのが実情で」
上野キャスター)イタイイタイ病の患者に認定される可能性のある人はまだいるんですか?
数家)患者になる可能性がある90代の要観察者が1人いますし、萩野病院の青島院長によると、被害地域の90歳以上の人で、県が実施している住民健康調査や精密検査を受けていない人は可能性があるということです、母を亡くした中坪勇成さんも、本人ではなく家族がイタイイタイ病の可能性を疑って、特に腎臓の状態について検査してほしいと話していました。