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“大谷翔平選手を超える”避難所生活の野球少年 能登半島地震から半年

2024年7月1日 20:19
“大谷翔平選手を超える”避難所生活の野球少年 能登半島地震から半年
能登半島地震から7月1日で半年。地震で特に大きな被害があったのが輪島市と珠洲市です。今なお避難所で生活している人が輪島と珠洲だけで合わせて650人あまりいます。「news every.」の斎藤佑樹キャスターが、避難所で生活しながら野球に打ち込む1人の小学生を取材しました。避難所の壁には、大きな夢が書かれていました。

6月、斎藤佑樹キャスターが石川・珠洲市を訪れました。

斎藤佑樹キャスター
「この辺は道もがたがたですね」

被害の爪痕はいまだ色濃く残っていました。

石川県内で亡くなったのは300人。その4割近くが珠洲市の人です(災害関連死含む)。全壊・半壊の住宅は合わせて3700棟以上にのぼります。(6月25日時点)

その珠洲市にある野球場。汗を流していたのは、市内の小学校に通う3年生から6年生、12人のチーム「珠洲学童野球クラブ」です。

斎藤キャスター
「いい雰囲気でやっていますね。小学校の頃って投げるのも大好きだし、打つのも大好きだし、何をしていても楽しいですよね」

ピッチャーとショートを務める小学6年生の濱野竜佑さんが、このチームの中心選手です。

斎藤キャスター
「こんにちは」

濱野竜佑さん
「こんにちは」

斎藤キャスター
「斎藤佑樹です」

濱野竜佑さん
「濱野竜佑です。よろしくお願いします」

竜佑さんは、以前は保育所だった市の施設で避難所生活を送りながら小学校に通い、野球に打ち込んでいます。

中の様子は…

濱野竜佑さん
「テレビがあったり、ここでご飯を食べたり」

食事は支援物資のカップ麺やお総菜、お弁当など。珠洲市ではいまだ346人が避難所生活を余儀なくされています。この避難所で暮らしているのは49人です。(6月25日時点)

濱野竜佑さん
「ここがシャワーとトイレになります」

一時、ほぼ全域が断水した珠洲市。この避難所では、4月上旬まで断水が続きました。

濱野竜佑さん
「こちらが自分の部屋になります」

斎藤キャスター
「ここが竜佑さんの部屋ですか。おじゃまします」

両親と妹、祖父母、近所の人、合わせて10人が暮らすこの場所が、竜佑さんの今の自宅。竜佑さん専用のスペースは、わずかな範囲です。

濱野竜佑さん
「こういう感じで寝ます」

もともと、珠洲市内の一戸建てに家族6人で住んでいた竜佑さん。しかし、自宅は半壊。雨漏りで家の中はぐちゃぐちゃの状態になり、現在、竜佑さん一家は仮設住宅の入居待ちをしています。

斎藤キャスター
「今まで住んでいた自宅と、ここでの違いはどんなことがありますか?」

濱野竜佑さん
「狭いのと、ぐっすり眠れるか眠れないか(が違う)。家に帰りたいです」

斎藤キャスター
「やっぱり」

元日の地震は、小学生から日常を奪いました。

一家には、自宅以外にも頭を悩ませていることがあるといいます。

斎藤キャスター
「こちらですか?」

竜佑さんの父 濱野由輝さん
「そうです」

竜佑さんの父・由輝さん。珠洲市ですし店を営んでいました。

竜佑さんの父 濱野由輝さん(52)
「(正月の飾り付けが)そのままになっていますね」

創業から50年以上、由輝さんが父親と続けてきた大切なすし店は、大規模半壊と認定されました。自宅に加え店の被害。国などの支援金の制度はありますが、建て替えや修理代を賄うには到底足りないといいます。

斎藤キャスター
「50年以上続いてきたこのお店がなくなってしまう、すごくさみしいことだと思うんですけど」

竜佑さんの父 濱野由輝さん
「ずっと悩んでは、どうしようかどうしようかと考えて」

斎藤キャスター
「何か結論は出ましたか?」

竜佑さんの父 濱野由輝さん
「結論はそうですね、とりあえず、今はちょっと(店を)しまおうかなと」

由輝さんは家族の生活のため、6月からスーパーで働きはじめました。

斎藤キャスター
「竜佑さんにお店たたむことは伝えたんですか?」

竜佑さんの父 濱野由輝さん
「今はもうやめるとは言っていますけど、『じいちゃんの作ったおすし食べたい』とか、『父ちゃんの作ったからあげ食べたい』とか。今でもずっと食べたい食べたいと言っていますけど」

斎藤キャスター
「竜佑くんが野球をやる姿はどう見ていますか?」

竜佑さんの父 濱野由輝さん
「野球をやる姿というか、やはり好きなことを一生懸命やっている姿を見ると、自分もほっとしますし、自分の力にもなりますし。ケガせんと楽しんでやってもらえればなというのがやっぱり一番」

父を支えているのは、好きなことに打ち込む息子の姿です。

斎藤キャスター
「竜佑さんにとって野球はどんな存在ですか?」

濱野竜佑さん
「楽しいし、自分が生きていく上で大切なものだと思います。何をすればいいかわからない、野球をしなかったら」

斎藤キャスター
「野球があって良かった?」

濱野竜佑さん
「はい」

大変な生活の中でも、自分と家族を支えてくれる野球。

斎藤キャスター
「腕がここ(腕の付け根から)からじゃなくて、ここ(体の中心)から付いているイメージ。ここ(体の中心から)から動かす感じ、そうそうそう」

濱野竜佑さん
「(斎藤キャスターの球を受けて)めっちゃ良い球」

避難所生活が続いてまもなく半年。避難所の壁に書かれた竜佑さんの夢。それは大谷翔平選手を超えるメジャーリーガーになることです。

斎藤キャスター
「よっしゃ、最後…ナイスボール!」

避難生活が続く中、竜佑さんは今日も野球に打ち込みます。

■斎藤キャスターが現地取材を通して感じたこととは

斎藤キャスター
「7月1日、新たに発表された情報によると、石川県では299人の方が亡くなりました。(手続き中の災害関連死含む)お父さんの由輝さんはおすし屋さんで仕込み中に被災して、一瞬で生活の基盤を失ってしまいました。もしそれが自分のこと、自分が最も大切にしているものと考えるならば、それは野球ですが、それが奪われてしまったらと考えると、とても恐怖を感じました。ただ、家族のためにも前に進まないといけない…由輝さんの気持ちを想像すると、本当につらいです。その一方で、またおすし屋さんをやりたいと話していました。そういう日が来てほしいと、僕は願っています」

森圭介キャスター
「由輝さんの胸の内を察すると、こちらの胸も苦しくなりますけれども、そんな由輝さんの支えとなっている竜佑さんの野球に打ち込む姿を見て、斎藤キャスターはどんなことを感じましたか?」

斎藤キャスター
「竜佑さんはグラウンドだけではなく、避難所でもみんなで野球をやっていました。そのときの笑顔が印象的でした。大変な状況の中で野球が誰かの支えになっている。野球に携わってきた人間として純粋にうれしかったです。このあとも野球を続けて夢を大切にしてほしいと思います」