“大谷翔平選手を超える”避難所生活の野球少年 能登半島地震から半年
6月、斎藤佑樹キャスターが石川・珠洲市を訪れました。
斎藤佑樹キャスター
「この辺は道もがたがたですね」
被害の爪痕はいまだ色濃く残っていました。
石川県内で亡くなったのは300人。その4割近くが珠洲市の人です(災害関連死含む)。全壊・半壊の住宅は合わせて3700棟以上にのぼります。(6月25日時点)
その珠洲市にある野球場。汗を流していたのは、市内の小学校に通う3年生から6年生、12人のチーム「珠洲学童野球クラブ」です。
斎藤キャスター
「いい雰囲気でやっていますね。小学校の頃って投げるのも大好きだし、打つのも大好きだし、何をしていても楽しいですよね」
ピッチャーとショートを務める小学6年生の濱野竜佑さんが、このチームの中心選手です。
斎藤キャスター
「こんにちは」
濱野竜佑さん
「こんにちは」
斎藤キャスター
「斎藤佑樹です」
濱野竜佑さん
「濱野竜佑です。よろしくお願いします」
竜佑さんは、以前は保育所だった市の施設で避難所生活を送りながら小学校に通い、野球に打ち込んでいます。
中の様子は…
濱野竜佑さん
「テレビがあったり、ここでご飯を食べたり」
食事は支援物資のカップ麺やお総菜、お弁当など。珠洲市ではいまだ346人が避難所生活を余儀なくされています。この避難所で暮らしているのは49人です。(6月25日時点)
濱野竜佑さん
「ここがシャワーとトイレになります」
一時、ほぼ全域が断水した珠洲市。この避難所では、4月上旬まで断水が続きました。