ひとりじゃない〜家族になったボクとおばちゃん
12年前の津波で家族全員を失った辺見佳祐(へんみ・けいすけ)さん。震災後、7歳の佳祐さんを引き取り、我が子のように愛情を注ぎ育ててきた子育て未経験の伯母。当初はぎこちない関係が続いたが、ゆっくり絆を強め合っていく。甥と伯母が「家族」に近づいていく12年の記録。
東日本大震災で家族全員を亡くし、ひとりぼっちになった僕は――
おばちゃんと家族になりました。
伯母・日野玲子(ひの・れいこ)さん
「経験ない子育てで大変だったという思いもありますが、佳祐がいてくれてすごく助かっているっていう面も大きい」
辺見佳祐くん(当時7歳)。あの日…小学1年生だった佳祐くんは学校にいました。駆けつけたお父さんは学校で待つよう告げ自宅へ。家族全員を車に乗せ、自宅から学校に向かう途中で津波にのまれました。
「パパは? ママは? どこにいるの?」
仙台に住んでいた伯母の日野玲子さん(当時51歳)。ようやく佳祐くんを捜し当て、泣き通す幼い甥っ子を抱きしめました。震災から1週間後、小さな背中にこう告げました。
玲子さん
「『今回すごい津波だったでしょう』っていう感じで、『それにね、巻き込まれたんだよ』と。『死んじゃったんだよ』って言った。『ああ』みたいな感じで『わかったよ』って。『じゃあいいよもうその話』って。それから泣かなくなった」
2人は佳祐くんの自宅で一緒に暮らし始めました。玲子さんには、子育ての経験がありません。主婦として家庭を支えてきましたが、震災の前年に離婚。
玲子さん
「ひとりで仕事をして生活していくっていうのの難しさ、そういうのをすごく感じ取っていた矢先にこういう事態になったので」
佳祐くんの両親が営んでいた自動車整備工場は、玲子さんが引き継ぎました。
玲子さん
「最初は悲しかったですけど、やっぱりここ(工場)を再開してとか、佳祐を育てていかないといけないっていう1つの目標ですか」
一緒に暮らすようになって、悲しみの深さに気づかされることもありました。
玲子さん
「パパ、ママと泣きながら言ったりとか、『お姉ちゃん寂しいよ』っていうのを全然言ったことないんです。逆にすごい元気になって、そしたら『先生にウチではそうなんです』って言ったら『学校では泣き虫佳ちゃん』で通ってますとかって言われて、びっくりしたんです。その話聞いた時ね」
震災から2年経った2013年3月。2人の関係も少しずつ変わり始めていました。
玲子さん「じゃあね、佳ちゃん」
佳祐くん「じゃあな、玲子」
玲子さん「うふふ、なにそれ」
小学校3年生の佳祐くん(当時9歳)に話を聞くと―
スタッフ
「震災の前はここで寝てたの?」
佳祐くん
「うん。(姉の)佳奈ちゃんが下でボクがここ。いつもここに時計置いて『おはよう』って」
思い出に触れると、無意識に出る幼いころからの癖……。
5年生になった佳祐くん。
玲子さん
「7もちょっとあれだけ…」
佳祐くん
「ねぇ! だからさあ!」
玲子さん
「だって15だよ」
佳祐くん
「もう! いちいちうるさいなー」
玲子さん
「ふたりでいる時は絶対言わないよ。そんなこと言ったらとんでもないことになるもんね~、佳ちゃん」
震災から4年、身長も20センチ伸びました。
玲子さん
「149センチ。おばちゃんが大体151.5か2ぐらい。だんだん(差が)縮まってきているような気がするんですけど」
一緒に暮らすようになって、身長を記録してきた柱。その柱と共に、自宅が壊されることになりました。堤防が拡張されるため、家族と過ごしてきた自宅は立ち退かなければならなくなりました。
震災から5年。内陸に造成された街に玲子さんが家を建てました。これからはここで、新しい思い出を積み上げていきます。
12歳の誕生日。
玲子さん「この赤い(リボン)」
佳祐くん「オレ女の子じゃないぞ、この赤い(リボン)」「どうしよう、カセット(ゲーム)だ」
玲子さん「なくったって、これ新しいのだもん。当分、これで大丈夫じゃないの?」
スタッフ「貰ったらなんて言うの?」
佳祐くん「ありがとうございました」
玲子さん「いいえ、どういたしまして。12歳の誕生日おめでとうございまーす」
玲子さんはこう話します―
玲子さん
「よく周りの人から言われるのね、もうお母さんって呼んでるのとか何とかって、ほらそういう話よくされるんだけど、やっぱりずっと『おばちゃん、おばちゃん』できたので今でもそういう感じ」
「佳祐も『ひとりじゃない』っていう風に言うけど私もひとりじゃないみたいに感じますね、本当に」
一方で佳祐くんに話を聞くと―
佳祐くん
「一緒に暮らして笑ったり、泣いたりとかまあ昔と比べりゃ今の方がいいなと思う」
スタッフ
「逆に大変なこととか自分の中であったりした?」
佳祐くん
「そういうのはまあ…」
スタッフ
「そりゃ、あるよな」
佳祐くん
「人生そんなもんだから…」
スタッフ
「人生大変なことか」
2016年3月。そして迎えた、門出の日。
「卒業証書 辺見佳祐」
あの震災で2人の人生が重なりました。ひとりで生きていこうとしていた玲子さん。ひとりぼっちになった佳祐くん。共に笑って、共に泣き……。
それから4か月後。佳祐くんが中学1年生になった夏に、家の解体が始まりました。
佳祐くん(当時12歳)
「おばちゃんあのさ、あっちのさ今さ解体してる家あっちゃ。そのさ中にさ柱あっちゃ、あれってさ持って帰れんの?」
玲子さん
「柱? 言えば持って帰れるよ」
亡くなった4人に見せられなかった成長の軌跡がこの柱には刻まれています。
いつも可愛がってくれたおばあちゃん。
働く姿が格好良かったお父さん。
優しい笑顔で包んでくれたお母さん。
ケンカもしたけどよく面倒を見てくれたお姉ちゃん。
過去にこんなことを佳祐くんは語っていました。
佳祐くん(当時8歳)
「おばあちゃんね、大切な人だったんだよ。パパもママも全員。佳奈ちゃんはイヤだ。ああ、佳奈ちゃんもいいや」
そして、おばちゃんとの暮らしも、この柱は見てきました。
家を解体する作業員
「わかりましたので丁重に」
高校では演劇部に入部。将来のことも考えるようになっていました。
佳祐くん(当時16歳)
「継ぎたいっちゃ継ぎたいね。何かやっぱ家族が残してくれたのが、それしかなかったから。唯一それしかないから。何もない…。家もなくなっちゃったし」
家族を亡くし、おばちゃんと暮らしはじめてからまもなく10年が過ぎようとしていました。
3・11大震災シリーズ
2023年4月23日放送 NNNドキュメント’23『ひとりじゃない 家族になったボクとおばちゃん』をダイジェスト版にしました。
東日本大震災で家族全員を亡くし、ひとりぼっちになった僕は――
おばちゃんと家族になりました。
伯母・日野玲子(ひの・れいこ)さん
「経験ない子育てで大変だったという思いもありますが、佳祐がいてくれてすごく助かっているっていう面も大きい」
辺見佳祐くん(当時7歳)。あの日…小学1年生だった佳祐くんは学校にいました。駆けつけたお父さんは学校で待つよう告げ自宅へ。家族全員を車に乗せ、自宅から学校に向かう途中で津波にのまれました。
「パパは? ママは? どこにいるの?」
仙台に住んでいた伯母の日野玲子さん(当時51歳)。ようやく佳祐くんを捜し当て、泣き通す幼い甥っ子を抱きしめました。震災から1週間後、小さな背中にこう告げました。
玲子さん
「『今回すごい津波だったでしょう』っていう感じで、『それにね、巻き込まれたんだよ』と。『死んじゃったんだよ』って言った。『ああ』みたいな感じで『わかったよ』って。『じゃあいいよもうその話』って。それから泣かなくなった」
2人は佳祐くんの自宅で一緒に暮らし始めました。玲子さんには、子育ての経験がありません。主婦として家庭を支えてきましたが、震災の前年に離婚。
玲子さん
「ひとりで仕事をして生活していくっていうのの難しさ、そういうのをすごく感じ取っていた矢先にこういう事態になったので」
佳祐くんの両親が営んでいた自動車整備工場は、玲子さんが引き継ぎました。
玲子さん
「最初は悲しかったですけど、やっぱりここ(工場)を再開してとか、佳祐を育てていかないといけないっていう1つの目標ですか」
一緒に暮らすようになって、悲しみの深さに気づかされることもありました。
玲子さん
「パパ、ママと泣きながら言ったりとか、『お姉ちゃん寂しいよ』っていうのを全然言ったことないんです。逆にすごい元気になって、そしたら『先生にウチではそうなんです』って言ったら『学校では泣き虫佳ちゃん』で通ってますとかって言われて、びっくりしたんです。その話聞いた時ね」
震災から2年経った2013年3月。2人の関係も少しずつ変わり始めていました。
玲子さん「じゃあね、佳ちゃん」
佳祐くん「じゃあな、玲子」
玲子さん「うふふ、なにそれ」
小学校3年生の佳祐くん(当時9歳)に話を聞くと―
スタッフ
「震災の前はここで寝てたの?」
佳祐くん
「うん。(姉の)佳奈ちゃんが下でボクがここ。いつもここに時計置いて『おはよう』って」
思い出に触れると、無意識に出る幼いころからの癖……。
5年生になった佳祐くん。
玲子さん
「7もちょっとあれだけ…」
佳祐くん
「ねぇ! だからさあ!」
玲子さん
「だって15だよ」
佳祐くん
「もう! いちいちうるさいなー」
玲子さん
「ふたりでいる時は絶対言わないよ。そんなこと言ったらとんでもないことになるもんね~、佳ちゃん」
震災から4年、身長も20センチ伸びました。
玲子さん
「149センチ。おばちゃんが大体151.5か2ぐらい。だんだん(差が)縮まってきているような気がするんですけど」
一緒に暮らすようになって、身長を記録してきた柱。その柱と共に、自宅が壊されることになりました。堤防が拡張されるため、家族と過ごしてきた自宅は立ち退かなければならなくなりました。
震災から5年。内陸に造成された街に玲子さんが家を建てました。これからはここで、新しい思い出を積み上げていきます。
12歳の誕生日。
玲子さん「この赤い(リボン)」
佳祐くん「オレ女の子じゃないぞ、この赤い(リボン)」「どうしよう、カセット(ゲーム)だ」
玲子さん「なくったって、これ新しいのだもん。当分、これで大丈夫じゃないの?」
スタッフ「貰ったらなんて言うの?」
佳祐くん「ありがとうございました」
玲子さん「いいえ、どういたしまして。12歳の誕生日おめでとうございまーす」
玲子さんはこう話します―
玲子さん
「よく周りの人から言われるのね、もうお母さんって呼んでるのとか何とかって、ほらそういう話よくされるんだけど、やっぱりずっと『おばちゃん、おばちゃん』できたので今でもそういう感じ」
「佳祐も『ひとりじゃない』っていう風に言うけど私もひとりじゃないみたいに感じますね、本当に」
一方で佳祐くんに話を聞くと―
佳祐くん
「一緒に暮らして笑ったり、泣いたりとかまあ昔と比べりゃ今の方がいいなと思う」
スタッフ
「逆に大変なこととか自分の中であったりした?」
佳祐くん
「そういうのはまあ…」
スタッフ
「そりゃ、あるよな」
佳祐くん
「人生そんなもんだから…」
スタッフ
「人生大変なことか」
2016年3月。そして迎えた、門出の日。
「卒業証書 辺見佳祐」
あの震災で2人の人生が重なりました。ひとりで生きていこうとしていた玲子さん。ひとりぼっちになった佳祐くん。共に笑って、共に泣き……。
それから4か月後。佳祐くんが中学1年生になった夏に、家の解体が始まりました。
佳祐くん(当時12歳)
「おばちゃんあのさ、あっちのさ今さ解体してる家あっちゃ。そのさ中にさ柱あっちゃ、あれってさ持って帰れんの?」
玲子さん
「柱? 言えば持って帰れるよ」
亡くなった4人に見せられなかった成長の軌跡がこの柱には刻まれています。
いつも可愛がってくれたおばあちゃん。
働く姿が格好良かったお父さん。
優しい笑顔で包んでくれたお母さん。
ケンカもしたけどよく面倒を見てくれたお姉ちゃん。
過去にこんなことを佳祐くんは語っていました。
佳祐くん(当時8歳)
「おばあちゃんね、大切な人だったんだよ。パパもママも全員。佳奈ちゃんはイヤだ。ああ、佳奈ちゃんもいいや」
そして、おばちゃんとの暮らしも、この柱は見てきました。
家を解体する作業員
「わかりましたので丁重に」
高校では演劇部に入部。将来のことも考えるようになっていました。
佳祐くん(当時16歳)
「継ぎたいっちゃ継ぎたいね。何かやっぱ家族が残してくれたのが、それしかなかったから。唯一それしかないから。何もない…。家もなくなっちゃったし」
家族を亡くし、おばちゃんと暮らしはじめてからまもなく10年が過ぎようとしていました。
3・11大震災シリーズ
2023年4月23日放送 NNNドキュメント’23『ひとりじゃない 家族になったボクとおばちゃん』をダイジェスト版にしました。