【NNNドキュメント】「みんななかよく」 サンリオ創業者 辻信太郎さんの戦争体験とキティちゃんに込めた平和への思い NNNセレクション
キティちゃんをはじめ、世界中から愛されるサンリオのキャラクター。戦争とは無縁そうですが、実は創業者・辻信太郎さんの反戦の思いが込められています。甲府空襲の体験から「みんなが仲良くなるための仕事をしよう」と、平和へのアプローチに挑戦し続けています。
知っていますか? ハローキティと王さまの約束を。
辻信太郎さん
「一番いいのは、最初から“戦わない”“争わない”ことではないかと王さまは考えています」
『いちごの王さま』は、ハローキティに“平和への願い”を託しました。
いちごの王さまは、サンリオの創業者で会長を務める、辻信太郎さんをモチーフにしています。企業理念は、『みんななかよく』。ハローキティとともに歩んできた、97歳。
辻さん
「これでいいですか? いい? これで。久しぶり」
この日は、社員をねぎらうために開かれたパーティー。
サンリオ社員
「『みんななかよく』という理念が大好きなんですけど、それを社員に見せてくれるところが、大好きです。見た目もそうだし、心もすごいチャーミングで。私たちの寿命の分も、会長に長生きしてほしいと思います」
今でも週に一度は会社を訪れ、社員とコミュニケーションを重ねています。いちごの王さまにとって一番の仕事が、サンリオの月刊紙『いちご新聞』にメッセージを寄せることです。
【「戦争だから仕方がない」78年前に、王さまの周りの大人たちは王さまにそう言いました。王さまの実家も燃えてしまいました。(いちご新聞2023年8月号)】
終戦1か月前の7月6日の夜から7日にかけ、山梨県内は、アメリカ軍の爆撃機131機による空襲を受けました。約2時間にわたって落とされた焼夷弾。死者は1127人、市街地の7割以上が焼け落ちました。
辻さん
「戦争ならば人を殺してもいいっていう時代だったんですね。なんでもない普通の人たちを、やたら殺し合うということは、どう考えたって正しくない」
辻さんの実家があった、山梨県甲府市。
辻さん
「そうだね、ここら辺」
市内の料亭、『三省楼』の跡取りとして生まれた辻さん。早くに母親を亡くし、父と弟、妹の4人家族で少年時代を過ごしました。
地元の住民
「ああ、辻さんですか」
辻さん
「僕が、昭和2年(生まれ)」
地元の住民
「私は、昭和4年」
辻さん
「じゃあ、2年早いんだ。あなたも春日小学校?」
地元の住民
「春日小学校。空襲で」
辻さん
「みんな焼けちゃったね」
火の手から逃げるなか目にした光景は、『いちご新聞』にも記されています。
「おぶさったような形で、死んでいた人がいたんです。どこかの人が、その人を起こしたの。そうしたら、その下に赤ちゃんがやっぱり死んでいた。きっと、赤ちゃんを抱いていたと思うんです」
でも、周囲の大人が口にしたのは…。
「『戦争だからしょうがない』と、僕はずっと言われてきた。『なぜ、戦争をするんだ?戦争は良くない』と言うと、『戦争はしょうがない』と。相手をやっつけるしか、自分たちは生きていけないと。そんな馬鹿なことはない、話し合ってくれと。それで、コミュニケーションの会社をつくっていったんです。サンリオは、コミュニケーションの会社なんです」
終戦から15年、1960年に創業したサンリオ。
辻さん 56歳・当時社長
「やっぱり親もいないから、友達に(家に)来てもらって、友達と話したり、友達の家に遊びに行ったり。その男の友達にやっぱり、自分も好きになってもらいたいと。愛されたいと」
『仲良くしたいのに、踏み出せない』
当時、辻さんが温めていたアイデアが、小さなプレゼントを贈り合うというコミュニケーションの形でした。
辻さん
「高いものでなくていいから。鉛筆1本でも消しゴム1つでもいいから、『あげることによって、仲良しの輪を広げていけるよ』と」
鉛筆1本、小さなプレゼントが広げる平和な世界は、ハローキティと約束した、相手に寄り添い、友達の輪を広げる未来。
辻さん
「みんなが仲良く助けあって、思いやりを持って生きていかなければだめだよ。“仲良く生きる”ということを、いちご新聞は中心に作っていったんですよ」
いちごの王さまは、ハローキティとともに訴え続けます。
【争いは破滅に向かうけれど、“なかよく”は、世界中を笑顔で結び付ける力を持っています。だから、王さまはこれからもずっとずっと、『みんななかよく』と言い続けていきたいと思います】
辻さん
「戦争なんて、人を殺すんだ。話し合い、絶対に武力で解決しようとしてはならない」
2024年10月6日放送 NNNドキュメント’24『キティちゃんと王さまの約束~鉛筆1本から描く平和~』をダイジェスト版にしました。
知っていますか? ハローキティと王さまの約束を。
辻信太郎さん
「一番いいのは、最初から“戦わない”“争わない”ことではないかと王さまは考えています」
『いちごの王さま』は、ハローキティに“平和への願い”を託しました。
いちごの王さまは、サンリオの創業者で会長を務める、辻信太郎さんをモチーフにしています。企業理念は、『みんななかよく』。ハローキティとともに歩んできた、97歳。
辻さん
「これでいいですか? いい? これで。久しぶり」
この日は、社員をねぎらうために開かれたパーティー。
サンリオ社員
「『みんななかよく』という理念が大好きなんですけど、それを社員に見せてくれるところが、大好きです。見た目もそうだし、心もすごいチャーミングで。私たちの寿命の分も、会長に長生きしてほしいと思います」
今でも週に一度は会社を訪れ、社員とコミュニケーションを重ねています。いちごの王さまにとって一番の仕事が、サンリオの月刊紙『いちご新聞』にメッセージを寄せることです。
【「戦争だから仕方がない」78年前に、王さまの周りの大人たちは王さまにそう言いました。王さまの実家も燃えてしまいました。(いちご新聞2023年8月号)】
終戦1か月前の7月6日の夜から7日にかけ、山梨県内は、アメリカ軍の爆撃機131機による空襲を受けました。約2時間にわたって落とされた焼夷弾。死者は1127人、市街地の7割以上が焼け落ちました。
辻さん
「戦争ならば人を殺してもいいっていう時代だったんですね。なんでもない普通の人たちを、やたら殺し合うということは、どう考えたって正しくない」
辻さんの実家があった、山梨県甲府市。
辻さん
「そうだね、ここら辺」
市内の料亭、『三省楼』の跡取りとして生まれた辻さん。早くに母親を亡くし、父と弟、妹の4人家族で少年時代を過ごしました。
地元の住民
「ああ、辻さんですか」
辻さん
「僕が、昭和2年(生まれ)」
地元の住民
「私は、昭和4年」
辻さん
「じゃあ、2年早いんだ。あなたも春日小学校?」
地元の住民
「春日小学校。空襲で」
辻さん
「みんな焼けちゃったね」
火の手から逃げるなか目にした光景は、『いちご新聞』にも記されています。
「おぶさったような形で、死んでいた人がいたんです。どこかの人が、その人を起こしたの。そうしたら、その下に赤ちゃんがやっぱり死んでいた。きっと、赤ちゃんを抱いていたと思うんです」
でも、周囲の大人が口にしたのは…。
「『戦争だからしょうがない』と、僕はずっと言われてきた。『なぜ、戦争をするんだ?戦争は良くない』と言うと、『戦争はしょうがない』と。相手をやっつけるしか、自分たちは生きていけないと。そんな馬鹿なことはない、話し合ってくれと。それで、コミュニケーションの会社をつくっていったんです。サンリオは、コミュニケーションの会社なんです」
終戦から15年、1960年に創業したサンリオ。
辻さん 56歳・当時社長
「やっぱり親もいないから、友達に(家に)来てもらって、友達と話したり、友達の家に遊びに行ったり。その男の友達にやっぱり、自分も好きになってもらいたいと。愛されたいと」
『仲良くしたいのに、踏み出せない』
当時、辻さんが温めていたアイデアが、小さなプレゼントを贈り合うというコミュニケーションの形でした。
辻さん
「高いものでなくていいから。鉛筆1本でも消しゴム1つでもいいから、『あげることによって、仲良しの輪を広げていけるよ』と」
鉛筆1本、小さなプレゼントが広げる平和な世界は、ハローキティと約束した、相手に寄り添い、友達の輪を広げる未来。
辻さん
「みんなが仲良く助けあって、思いやりを持って生きていかなければだめだよ。“仲良く生きる”ということを、いちご新聞は中心に作っていったんですよ」
いちごの王さまは、ハローキティとともに訴え続けます。
【争いは破滅に向かうけれど、“なかよく”は、世界中を笑顔で結び付ける力を持っています。だから、王さまはこれからもずっとずっと、『みんななかよく』と言い続けていきたいと思います】
辻さん
「戦争なんて、人を殺すんだ。話し合い、絶対に武力で解決しようとしてはならない」
2024年10月6日放送 NNNドキュメント’24『キティちゃんと王さまの約束~鉛筆1本から描く平和~』をダイジェスト版にしました。
最終更新日:2024年12月21日 13:29