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震災前と変わらぬ“母の味” 津波で消えた「青のり佃煮」が復活

2022年3月8日 21:54
震災前と変わらぬ“母の味” 津波で消えた「青のり佃煮」が復活

青のりの名産地、福島県相馬市の松川浦に、地元の人や民宿の客に評判だった青のりの佃煮があります。東日本大震災の津波により、一度は消えた味でしたが、10年以上の時を経て復活しました。それは、家族も忘れられない母の味でした。

     ◇

福島・相馬市松川浦にある地元の市場では、「売れすぎて困ってます」と書かれたポップがありました。並んでいるのは青のりの佃煮です。市場の人に聞いてみると――

市場「浜の駅松川浦」を運営 菊地基文さん
「たぶん佃煮じゃ1番売り上げてるんじゃないですか。たぶんダントツで。この界隈じゃ、おいしくて知られた佃煮なんですよね」

青のりそのものの歯ごたえとぴりっとした辛みが特徴で、食べた人からは、“ご飯が止まらなくなる”と評判に。週末にはすぐ完売してしまう人気の佃煮だといいます。

作っているのは、久田則雄さん(61)で、自ら養殖した青のりに、福島産のイカやにんじん、ごぼうを加えた手作りの佃煮です。

ただ、あの日――

久田則雄さん
「もう(養殖の)道具がなくなっちゃったんで、できないような状態で、船も一緒に全部流されちゃって」

青のりの名産地だった松川浦ですが、東日本大震災の津波により、のり養殖は壊滅的な被害を受けました。

養殖とともに、両親の代から60年ほど続く民宿を営んでいた久田さん。佃煮は宿の一品料理として母が手作りしていたもので、客や地元の人々の間で評判となり、スーパーに頼まれて販売を始めたほどでした。

しかし、津波で民宿は全壊し、養殖場も海に沈みました。

久田則雄さん
「もうなんにもなくなっちゃったって感じですね。生活の糧がなくなっちゃったんで」

震災の5年後、佃煮を一緒に作った母が他界。別の仕事も探しました。

久田則雄さん
「いまから大熊町の方に仕事に行きます」

それは、福島第一原発事故の廃棄物やがれきなどを処理する仕事で、11年たった今も続けています。

佃煮作りは設備も売る場所もなくあきらめていました。ただ、家族のもとには次のような声が届くようになりました。

息子・裕一郎さん(32)
「(地元の人から)『おいしかったんだぞ、おまえの家の佃煮は。それをここでなくしちゃうのは、すごくもったいないでしょ』って、すごく熱意を持って語ってもらえて。こんなにうちの佃煮を好きな人がいたんだ」

妻・幸枝さん(61)
「『食べたいな』っていう声があって、でも私は作れないので。材料は刻めるんですけども、味つけとかはうちのお父さんなんで」

久田則雄さん
「うん、じゃあやってみようかって感じでね」

「もう一度、あの味を」と復活を望む声に後押しされ、台所自宅の台所で佃煮作りを再開しました。初めは作り方が思い出せず、母のあの味を再現できませんでした。

久田則雄さん
「何回か作ってるうちに(配った人に)『あ、おいしくなったよー』『昔の味に似てきたよー』って言われて、うれしくてね」

そして、一度は、久田さんからすべてを奪った海で、青のりの養殖を再開しました。松川浦に育まれた、網一面びっしりと付いた青のり。

久田則雄さん
「これはもう青くて混ざり物なくて最高にいい」

養殖に最適な、穏やかな波が作り出す松川浦の青のり。とれたてを、新たな作業場で大きな鍋にたっぷりと入れ、1時間じっくり煮込みます。

妻の幸枝さんだけが知っている、おいしさの秘訣は――

妻・幸枝さん(61)
「いつも魔法の言葉、きょう恥ずかしくて言ってないと思うんですけど、いつもかき混ぜる時に『おいしくなーれ、おいしくなーれ』って言いながら作ってますね」

久田さんが心を込めた佃煮。できたてを食べる妻の幸枝さんは――

妻・幸枝さん(61)
「うん」

久田則雄さん
「大丈夫?」

妻・幸枝さん(61)
「うまい、大丈夫」

震災前と変わらない、“あの味”が復活しました。

久田則雄さん
「『懐かしくておいしいよ』って言ってもらえる時が一番最高ですね」

去年、10年半ぶりに市場に並んだ佃煮。待ち望んでいた地元の人も――

青のりの佃煮を買った客
「復活したってことで、すぐなくなっちゃったので。家族が食べちゃって、もう一回リピートで。なくなるスピードが物語ってるかな」

久田家の食卓にも、母から受け継いだ味が帰ってきました。

その復活を支えようと地元の居酒屋では今年から、佃煮を乗せたお寿司や卵焼きなど、様々な佃煮料理の提供を始めました。

寿司居酒屋「青くじら」 佐藤昌幸店長
「漁師の人たちが昔から、すごくなじみがあった佃煮だったみたいで。反響が本当に、(久田さんの佃煮だと)こっちから言わなくても分かるくらいの佃煮」

さらに別の洋食店では佃煮を使ったピザも試作中。ごはんのお供だけでなく、新たな料理としても届けられています。

一度は海に奪われた佃煮。昔と同じ味がこの海から復活したいま、久田さんが思うこととは――

久田則雄さん
「海に生活壊されたけども、やっぱりだめな時もありますけど、楽しい時もいっぱいあるんですよ。(震災を)乗り越えたと思います。乗り越えて『また作ってほしい』って言ってもらえるので、それが一番ですね」

Q.ずっと作っていく?

久田さん
「ずっと作る、倒れるまで」