子どもの頃に姉を交通事故で亡くした女性 知られざる苦悩とは?
「姉妹を亡くした人に目を向けられる瞬間はあまりない」。9歳という子どもの時に交通事故で姉を亡くした女性は、大人とは違う思いを抱えて生きてきました。彼女の経験を伺うと、幼少期に家族を交通事故で亡くした子どもの知られざる苦悩が見えてきました。こうした子どもたちに必要な支援とは?(社会部 高柳遼太郎)
■幼い頃に姉を亡くした女性。なぜ姉は亡くなったのか、すぐには教えてくれなかった
北海道出身の水木紗穂さん(30)は9歳の時、5歳上の姉を交通事故で亡くしました。自転車で中学校へ向かう途中だった姉は家から500メートルほどの交差点でトラックにはねられたのです。
その日、水木さんは小学校の授業中、突然先生に呼び出され、何も言われずに親戚に病院に連れて行かれたといいます。病院の廊下で見たのは、泣き崩れている母親の姿。母親から「お姉ちゃんが死んじゃったよ」と一言だけ告げられ、姉の遺体と対面しました。交通事故にあったとは思えないほどきれいな顔だったといいます。
その後、なぜ姉が亡くなったのかは、両親からもはっきりと説明されないまま、3日ほどたって、初めて交通事故だったと聞いた水木さん。「私が葬儀のあともずっとぼうぜんとしていたので、そういう子どもになんて声をかければいいのか周りの大人も何も言えなかったのかな」と振り返ります。
■両親は裁判にかかりきり。感情がないがしろにされた感覚に
そこからの生活は大きく変わりました。
事故の原因は、姉の飛び出しで姉の落ち度があると主張する相手のトラックドライバーに裁判で勝つため、両親はメディアの取材を受けたり、現場で事故の痕跡を探したり準備にかかりきりで、毎日パソコンに向かって資料を作っていたといいます。
当時、水木さんは周囲から「お父さんお母さんがこんなに頑張っているんだから頑張って家族を支えてあげな」と言われたそうです。しかし幼い水木さんには何を頑張らなきゃいけないのか、何をして支えればいいのかわからず、つらい日々を過ごしました。裁判では小学生ながら法廷に立ち、意見陳述をした水木さん。両親の前で、姉が死んでどんな思いだったのか述べてくださいというもの。
この時のことを、「私の悲しみは私だけのものだし、私の気持ちを裁判で勝つための武器として利用されているような感覚が本当に嫌でした」と振り返ります。
「姉のために私の感情の部分がないがしろにされているんじゃないか。いいように使われているんじゃないか」と長い間、根に持っていたといいます。
■親には自分の気持ちを直接伝えられない…
また水木さんが抱いていたもう1つの違和感。それは姉を思う気持ちと、つらい姉の死から距離を置きたいという気持ちの両方を持っていてはいけないのかということでした。当時、水木さんは両親に直接自分の気持ちを伝えることはできませんでした。
「娘さんは嫌だって言ってるけどどうしますかって感じで私が直接伝えられないことを(両親に)伝えてくれるような人がいてくれればなって今となっては思うんです」
■思いを共有できる場がある 声をあげてほしい
水木さんはその後、東京の大学に進学。両親と距離をとったことで心にゆとりも生まれ、高校までギクシャクしていた両親との関係も改善したといいます。またちょうどその頃、水木さんは「ハートバンド」という犯罪被害者団体ネットワークが主催する「犯罪被害者週間全国大会」の分科会として開かれた「兄弟姉妹の会」に参加しました。同じように兄弟姉妹を亡くした人だけで集まり、体験談を話し合ったり経験を分かち合ったりして、心が楽になったと話します。
「私のような姉妹を亡くした人に対して目を向けられる瞬間っていうのはあまりなくて」「支援される対象になるっていう頭が全くなかった」
今後は同じような境遇の人の話を聞いてあげるなどして手伝えたらと考えています。
「自分しかこういう経験をしている人はいないんじゃないかなって抱え込んでしまうことはよくあると思う」「意外と自分の話を聞いてくれる団体とか支援してくれる人は社会にいっぱいいるというのは私も最近知ったこと」「苦しい時にちょっと声を上げてくれたら」