“難聴への理解を” デフサッカーW杯史上初の準優勝へ導く 福岡出身・日本代表主将の挑戦
耳に障害のある選手たちがプレーする『デフサッカー』のワールドカップが、マレーシアで行われました。男子日本代表のキャプテンは、福岡県出身です。困難に立ち向かいながら世界一を目指す挑戦を追いました。
マレーシアで開催されたのは、アルゼンチンやドイツなど19か国が参加した『デフサッカー』ワールドカップです。不公平がないよう補聴器を外すのがルールのため、“音のないサッカー”とも言われています。
男子日本代表のキャプテンは、福岡県宇美町出身の松元卓巳さん(34)、代表歴17年のベテラン選手です。
■デフサッカー男子 日本代表・松元卓巳 主将
「勝とうじゃない。勝てたらいいなじゃない。絶対勝つ。」
大会開幕2週間前の9月6日、松元さんは、福岡市内にある大学のグラウンドに向かいました。大学サッカー部の選手たちに混じっての練習です。
所属する『デフサッカー』のチームは月に1回しか集まれないため、松元さんは、日々の練習場所を自ら確保しています。
■松元さん
「Jリーグだったら自分の母体となるチームがあって、普段はそこで練習をして、 招集がかかったら合宿や大会に参加する。今は練習環境があるんですけど、その前は大学ともつながらなかった。(デフサッカーの選手は)練習環境を探すのが大変です。」
車内で昼食を済ませ、息つく暇もなく職場へ向かいます。大手保険会社とアスリート契約を結ぶ松元さんは、1日に4時間ほど、取引先への資料送付などの仕事もこなしています。
松元さんの存在で、職場にも変化があったといいます。
■松元さんの同僚
「朝礼などで口元が見えないと聞こえづらい人はわからない。松元さんが教えてくれることによって、どうすれば助かるか(わかる)。」
生まれつき難聴の松元さんは、補聴器をつけた『デフアスリート』だからこそ、大切にしていることがあります。
■松元さん
「補聴器には音を拾うマイクの部分があるんですけど、補聴器のマイクが前向きについているんです。だから、前からの音は拾ってくれるが、横や後ろは拾ってくれない。」
難聴への理解を広げる活動です。講演は、多いときで年に20回以上あります。積極的な活動が評価され、2年前、国際的な賞『パラアスリート平和賞』を受賞しました。
長年、日の丸を背負い、充実した競技人生を送っているように見える松元さんですが、苦労も絶えません。
■松元さん
「『日本代表=華やかな世界』をイメージしやすいですけど、実際はそうでもなくて。仕事もしながら練習もして、その中で代表に関する合宿費や遠征費、大会出場など、お金は自己負担でやっています。」
今回、マレーシアで開かれたワールドカップの参加費用のほとんどは自己負担で、その金額は最低でも1人につき、約60万円です。
トップレベルのプロ選手たちが選出される『A代表』には、日当として1万円が支払われ、大会のランクに応じて勝利ボーナスも支給されます。このような支給は『デフサッカー』の日本代表にはなく、日の丸を背負うには、経済的に大きな負担も伴うのが現状です。
だからこそ、5年ぶりの参加となる国際大会で、“結果にこだわりたい”と、松元さんは決意していました。
■松元さん
「我々(デフサッカー)の現状を知ってもらうために結果を出して、結果でメディアとかで発信してもらう機会をつくることが大事。」
■松元さん
「みんないろいろな思い、背負っているもの、覚悟、いろいろあると思う。勝とうじゃない。勝てたらいいなじゃない。絶対勝つ。このメンバーで勝つぞ。勝ちにいくぞ。みんなでいくぞ。3・2・1・オー!」
9月27日、自分たちの存在を知らしめる戦いが始まりました。
予選リーグ最終戦の相手は、フランスです。耳に障害があるアスリートの祭典『デフリンピック』で前回準優勝している強豪です。
■松元さん
「相手2トップだから、センターバックじゃ走りにくい。サイドバックとボランチ準備しといて。」
補聴器を外してプレーする選手たちに、キャプテンの松元さんは手話や身振りで指示を出します。試合全体を見渡せるキーパーは、“チームの要”です。届かないと分かっていても声をかけあい、気持ちを前に出して戦うのが、日本のスタイルです。
お互い得点がないまま迎えた後半43分、これまでで最大のピンチが訪れます。
松元さんのスーパーセーブが、チームを窮地から救いました。
この試合には敗れたものの、決勝トーナメントに駒を進めた日本は、その後も快進撃を続け、決勝進出を決めました。
10月7日、決勝の相手は『デフリンピック』優勝国のウクライナです。
日本は序盤から攻め込みますが、得点には至りません。
試合が動いたのは、前半終了間際でした。ウクライナのフリーキックから、先制を許します。
■松元さん
「厳しい試合になることは分かっていたでしょ。どれだけ自分たちの力をだせるかだよ。自分を信じよう!」
キャプテンの松元さんは、誰よりも長く日の丸を背負ってきたからこそ、最後まで結果にこだわります。
後半25分、ウクライナのカウンターで、絶体絶命のピンチを招きます。
勝利を諦めない日の丸戦士たちのプレーに、スタジアムからは日本コールが湧き上がります。
その後、1点を追加された後半44分、試合終了間際で1点差に迫ります。
2対1で惜しくも敗れましたが、世界王者と互角の戦いを見せたデフサッカー日本代表は、史上初の準優勝です。
■松元さん
「銀メダル!世界2位です。(首に)かけられた瞬間は悔しい気持ちもあったけど、うれしかった。スポーツを通せば、夢が目標に変わって、強い思いがあれば達成できるということが、(デフサッカーを通じて)伝わればいいなと思っています。」