写真のカラー化でよみがえった平和の色 「あの日を語り残したい」 被爆者・阿部静子さん【NEVER AGAIN・記憶の解凍プロジェクト】
広島テレビの被爆80年に向けた取り組み『ネバーアゲイン』のひとつが、被爆前後の白黒写真を、AI技術や戦争体験者との対話などをもとにカラー化する「記憶の解凍」プロジェクトです。広島テレビではこの取り組みに賛同して、被爆者の「思い・記憶」を次世代へとつなぎます。
今回紹介するのは、よみがえった97歳の被爆者・阿部静子さんの「記憶の色」と、次世代へ受け継がれる思いです。広島テレビの庭田杏珠記者が取材しました。
あの日奪われた色鮮やかな日常…
79回目の原爆の日、広島市内の高齢者施設で暮らす静子さんが見つめていたのは、平和記念式典です。「平和への誓い」で読み上げられた「色鮮やかな日常」という言葉を聞いた時、感情がこみ上げてきました。
静子さんは、1927年に7人兄弟の末っ子として生まれました。女学校を卒業し、17歳のとき、戦地から一時帰国した、陸軍将校の三郎さんと結婚します。
■阿部静子さん
「1回だけ映画を見に行きました。何を見たかもう忘れましたが。私も緊張していたんだと思います。初めて男の人と映画を見たから…」
1945年8月6日。爆心地から1.5キロで、父親が自分の娘だとわからないほどのヤケドを負いました。
その年の12月。戦地から戻った三郎さんに、静子さんの父親が離婚を申し出ました。しかし三郎さんは、ありのままの静子さんを受け入れました。
■阿部静子さん
「自分が戦地で手や足を失っても、元気で帰ったら私に面倒をみてもらおうと、それを心の支えとして戦ってきて。妻が傷ついたといっても、離婚はできません。」
カラー化したのは、2人の婚礼写真です。対話を重ねることで「記憶の色」がよみがえります。
■阿部静子さん
「カーキ色とか、国防色とか言っていました。」
2か月以上かけて完成しました。
■阿部静子さん
「わ~!いい写真になっていますね。穏やかな平和な感じが、漂ってまいります。明るい色は、平和な色です。」
この日、久しぶりの外出です。2024年に14年ぶりに始めた、自らの被爆体験の証言活動です。
■阿部静子さん
「とても不安に思っております。きょう、務めが果たされればいいなと。若い人たちに、決してわたくしのような体験をされないように、残り少ない命ですが、語り残したい。そういった気持ちもございます。」
■阿部静子さん
「家の下敷きになった人たちが、助けを求められるのですが、半身ヤケドしたわたくしは、どうしてあげることもできませんでした。髪や手に火がついて、焼け死んでしまわれたのです。その時の悲しい叫び声が、いまだに耳に残って離れません。」
会場には、静子さんのひ孫たちも駆けつけ、初めて曾祖母の語りに耳を傾けました。証言を終えると、ひ孫から「初めて爆弾を見たとき、どう思ったか」と質問を受けました。
■阿部静子さん
「爆弾は見ませんでしたが「生きさせてもらったことよ」と思いました。そして、あなたたちがいてくれるんです。幸せです。」
静子さんの思いと記憶は、次の世代へつながれてゆきます。
■阿部静子さん
「きょうはとても嬉しいです。この子たちが訳がわからなくても、わたくしのことを見てくれましたから、心に残ると思います。」