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AI技術で写真をカラー化 「オタフクソース」創業一家 軍都・広島と戦後の食を支えた秘話【NEVER AGAIN・記憶の解凍プロジェクト】

2025年1月15日 12:35
AI技術で写真をカラー化 「オタフクソース」創業一家 軍都・広島と戦後の食を支えた秘話【NEVER AGAIN・記憶の解凍プロジェクト】

広島テレビが被爆80年に向けて取り組む『ネバーアゲイン』。そのひとつが「記憶の解凍」プロジェクトです。被爆前後の白黒写真を、AI技術や戦争体験者との対話などをもとにカラー化する「記憶の解凍」。広島テレビはこの取り組みに賛同して、被爆者の「想いと記憶」を次世代につなぎます。

今回紹介するのは「オタフクソース」の創業一家に生まれ育った男性です。被爆後のヒロシマの街の復興を支えた企業の大切な写真と、貴重な話を広島テレビの庭田杏珠記者が取材しました。

広島のソウルフード「お好み焼き」に欠かせない、甘くてコクのあるソースを作っているのは、「オタフクソース」です。

「オタフクソース」の創業一家に生まれ育った、佐々木尉文(ささき・やすふみ)さん。現在は最高顧問となり、社長である息子を支えています。

創業時からの数少ない写真を見せてもらいました。始めは、しょうゆの卸売と酒の小売を営んでいました。

■オタフクソース最高顧問 佐々木尉文さん
「大正12年の初荷だろうと思います。日の丸の旗が立っているということは、お正月だろうと。マルフネ醤油というのを。」

時代は大正から昭和へ。戦時色が強まる軍都・広島では、日持ちする商品が好まれるようになりました。

■オタフクソース最高顧問 佐々木尉文さん
「これも私だけが写っていない、兄弟で。この写真見てね残念なのは、私だけが写っていないという。しょうゆや酢も樽に入って、瓶に漏斗(じょうご)をうけて、ここから出して瓶いっぱいで何本という。これ(写真上部)、キッコーマン(の看板)。この看板だけ今(会社に)あります。残っている。」

一家全員が助かった奇跡

戦況は悪化。母が恋しかった尉文さんが疎開先から自宅に戻った、あの朝。

■オタフクソース最高顧問 佐々木尉文さん
「隣のおじさんが『やっちゃん(尉文さん)、B29が飛んでいるから見せてやろう』と私を連れ出して。「まぶしいから降ろして」と(言って)。黒いものを落とした。アメリカの飛行機から。落下傘をつけた物体が落ちてくると。ずっとみていて、だいぶん大きくなった時に、ピカッと光って、おじさんの陰にもたれて見ていたら、(家の中に)飛ばされて。」

台所にいた母は、頭に天井の柱が落下し、意識を失います。

■オタフクソース最高顧問 佐々木尉文さん
「母親が『やっちゃん(尉文さん)に助けられた』というのは、大声で泣き叫んでいたらしく、その覚えは全くないんだけど。」

父は、酢をつくる蔵で仕事をしていて無傷。被爆したものの、奇跡的に家族全員が助かりました。

終戦から1年もたたない中、小学校が再開しました。

■オタフクソース最高顧問 佐々木尉文さん
「青空教室。スコップ・移植ゴテを持って来いと、校庭の骨を集めた。すごい時代ですよ。ここで人をたくさん焼くのを見ているから、骨を集めるのが気持ち悪いという感情はなかったね。単なる作業。はやく校庭を走り回れるようにしたい。将来の期待のほうが大きい。みんな社会全体がそうだったんですよ。」

オタフクソースの誕生

戦後、尊敬する父・清一さんのもとで、兄弟と働き始めた尉文さん。この頃、戦前はおやつだった「一銭洋食」が主食になっていました。

■オタフクソース最高顧問 佐々木尉文さん
「子供のころは(一銭洋食を食べた)覚えがあります。近所の駄菓子屋で4つくらいに折って、ウスターソースをぬって、新聞紙に包んでくれて、それを食べていた。一銭洋食だと物足りないということで、野菜をたくさん入れたお好み焼きが焼かれるようになって。ウスターソースでは流れ落ちるのと、味もだんだんボリュームが出てきたから。」

中華料理の「あんかけ」にヒントを得て、「とろみ」をつけてうまれたのが「オタフクソース」でした。

営業担当だった尉文さん。

■オタフクソース最高顧問 佐々木尉文さん
「これ1.8リットル瓶。これを10本入れると、およそ35~40kg。それを抱えて、若いとき配達をしていた。もっと長い(前掛け)を巻いて。ひざ下というのが、ここ(太ももの上)へいったん抱えておいて、それを上へ積み上げる。若い時に鍛えられて足腰が丈夫で、今もしっかり歩いても大丈夫。体は小さいが力持ちです。」

記憶の色でよみがえるあの日

戦後、人々の食を支えたオタフクソース。その大切な写真をカラー化することにしました。AIでカラー化し、当時の資料や記憶の色をもとに修正していきます。

■オタフクソース最高顧問 佐々木尉文さん
「宣伝カーなんですよ。お好みソースを作り始めて、お好みソースはオレンジと、商品カラー。酢はグリーン。昭和28年にしては、非常にモダンな車ですよ。」

もう1枚は、尉文さんが産まれる前の写真です。

■オタフクソース最高顧問 佐々木尉文さん
「兵隊服ですよ、これ。子どもがすべて軍服を着て、いずれは自分も軍隊に入って戦争に行くんだというふうな。位が上の人は薄い色よね。現場の兵隊は、濃い色という。」

尉文さんの「記憶の色」をのせた写真を見てもらいました。

■オタフクソース最高顧問 佐々木尉文さん
「ああ~、いいですね。思い出の中の(記憶が)よみがえってきました。兄弟で力をあわせたら、将来は日本一にもなれるじゃないかと。」

■オタフクソース最高顧問 佐々木尉文さん
「戦争も爆弾も無差別。人々を幸せにするために仕事をするんだと。一滴一滴に性根を入れて、ものづくりをしてきた。一番の目標は、世界中を平和にしたい。ボーダレスハピネス。」

最終更新日:2025年1月15日 12:35
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