【特集】「それでも前向きに」がんで右腕を失った医師 自らの体験を教育に生かして次世代へ 広島
厚生労働省によると、日本人の2人に1人が「がん」にかかり、3人に1人が亡くなるデータがあります。広島県呉市に「がん」によって右腕を失った医師がいます。それでも前向きに生きる姿を取材しました。
広島県呉市にある、安浦診療所です。この日は、新型コロナのワクチン接種に多くの人が訪れていました。
医師の井上林太郎さんは、63歳です。井上さんは42歳の時、右腕を切断しました。
■安浦診療所・医師 井上林太郎さん
「忘年会のゴルフに行って、その後手首の腫れに気づいて。最初はゴルフの影響と思っていたんですけど、だんだんと手首の腫瘍が大きくなるから、これはちょっと変だなって思って。」
病名は「滑膜(かつまく)肉腫」という、筋肉の「がん」でした。転移を防ぐための、大きな決断。
■安浦診療所・医師 井上林太郎さん
「自分の子どもの将来とか考えたら、それ(切断)しかなくて。私は内科医だから、聴診器さえ使えたらどうにかなるって思って切断しました。将来転移とか出てきても、運命として受け入れるしかないんだと思っていました。」
そして、井上さんは思うように言葉が出ない「 吃音(きつおん) 」があります。
■安浦診療所・医師 井上林太郎さん
「小学校に入ったころから(吃音に)気づいていました。人前で話して、笑われた経験もありますから。」
吃音があり、がんで片腕を無くしながらも、患者と向き合いつづける井上さん。地元の中学校から、がんを発症した医師として「がん教育」をしてほしいと依頼がありました。
■安浦診療所・医師 井上林太郎さん
「最初は私、吃音があるからあまり乗り気じゃなかったんですけど、がんを経験して医師をやっている人は、そんなに多くないですから。やはり、やるべきだと。」
中学生たちに話すのは、右腕切断に至った自らの「がん」体験です。
■安浦診療所・医師 井上林太郎さん
「まず、私は話し下手でつまることもありますが、よろしくお願いします。10年生存率は、10から30パーセント。つまり、10年後に私が生きている確率は、よくて30パーセント。7割から9割の確率で死亡する。ダメかと思いました。幸いなことに、20年経ちましたが、生きています。」
がんは、細胞分裂が変異して悪性化したもので、早期発見・早期治療の必要性を訴えます。
さらに、原爆による放射線の影響で白血病やがんとなり、今も苦しんでいる人がいることも説明しました。
■話を聞いた生徒たちは…
「原爆とがんの関係を初めて知りました。放射線はその後も被害が続いていて、改めて怖いなと思いました。」
「定期的に健康診断に、ちゃんと親と相談しながら行きたいなと思いました。」
■安浦診療所・医師 井上林太郎さん
「4期のがん患者さんを助けるような医師とか研究者になるような生徒さんが、私のがん教育を通じて生まれたらいいなと思って、がん教育を続けるつもりです。」
吃音、そして「がん」で右腕を失った医師は、困難をのりこえ、今日も地域の患者と向き合います。