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核兵器の恐ろしさを伝える被爆2世の思い 角田拓さん

2025年1月22日 19:22
核兵器の恐ろしさを伝える被爆2世の思い 角田拓さん

読売新聞と共同で、被爆者の証言を記録している『つなぐヒロシマ』です。被爆2世として、核兵器の恐ろしさを訴える男性の思いです。

高校で教師を務める、被爆2世の角田拓(かくだ・たく)さんは、脳梗塞を患い、体が不自由になった母親を、介護する日々です。

母・みつえさんは10歳の時、爆心地からおよそ2.5キロの牛田国民学校の校庭で被爆しました。

■角田拓さん
「(母は)「何かバーっと光った感じがして、ふっと振り向いたら一面に、強烈なオレンジ色の光が、ばあっと見えた。」と。「気がついたら、自分は、なんぼか、投げ飛ばされるのか、突き落とされるみたいな形で転げていた。」と。」

■角田拓さん
「母のやけどの痕を見られますか?ここのところですね。ケロイドです。」

みつえさんは、重いやけどを負い、腕や首にケロイドが残りました。服を着ていてもわかる傷痕は、就職にも影響したといいます。

■角田拓さん
「「面接を受けに行っても、面接を落とされるんだ。」と。「何で?」って聞いたら、「これ(ケロイド)じゃけえ。」と。やっぱり年頃になったら、お見合いの話とかもいくつかあったっていうことはちょっと聞いてるんですけど、結局そういうのも、駄目になっていったようですね。」

角田さん自身は、被爆2世であることをあまり意識せずに育ったといいます。しかし、高校生の時、原爆の影響を調べる放射線影響研究所から連絡があり、健康調査を受けました。

■角田拓さん
「どっかでやっぱり、ちょっとでも違っとってほしいみたいな思いがあったのが、放影研(放射線影響研究所)からの電話で、自分は「被爆2世」なんだと。そういうふうに、はっきりと自覚を持たされたという感じですね。」

病気への不安が拭えなくなったという角田さん。その後、被爆2世運動に携わっていきます。2003年には、坪井直さんとアメリカのスミソニアン航空宇宙博物館を訪問。広島に原爆を落とした「エノラ・ゲイ」の復元機を見学しました。

■角田拓さん
「あ、ここから始まったんだな。なんかそういう感情が、ばあっと湧き上がってきました。ここから、全て始まったんだ。母の苦しみとか。」

現在は、被爆2世の裁判に原告として参加しています。健康への不安を抱える被爆2世を援護の対象とするよう、国に求めています。被爆者の高齢化が進む中、改めて、被爆2世として、原爆の恐ろしさを訴えます。

■角田拓さん
「被爆者の問題と被爆2世の問題は違うところもあるけども、核兵器とか、やっぱり核の恐ろしさというのを、これから伝えていくことは、忘れずにやっていきたいと思ってます。」

最終更新日:2025年1月25日 17:35
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