【全文公開】天皇陛下65歳誕生日 記者会見(後半)ネット上の書き込みなどに「異なる考えを持つ人々にも配慮し、尊重し合える寛容な社会を」
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天皇陛下は23日、65歳の誕生日を迎えられました。誕生日にあたっての記者会見は20日、皇居・宮殿、石橋の間で40分間、行われました。全5問のうち後半の4問目、5問目と関連質問についての記者会見の全文を紹介します。
◇本文
【問4】この1年は明るい話題もあった一方、自然災害が相次ぎ、両陛下は能登地方を3回にわたって見舞われました。皇室では上皇后さまが骨折され、三笠宮妃の百合子さまが亡くなられました。この1年で印象に残っている出来事をお聞かせください。
陛下)この1年も、残念ながら、地震や大雨、台風などの自然災害が様々な場所で発生しました。亡くなられた方々とその御遺族に心から哀悼の意を表するとともに、被災された方々にお見舞いをお伝えいたします。また、このところの寒波により、各地で大雪となっており、皆さんの御苦労もいかばかりかと思います。
先月は、阪神・淡路大震災から30年を迎え、雅子と共に追悼式典に出席いたしました。改めて、皆さんが長年にわたって困難を乗り越えてきたことに敬意を表するとともに、若い世代によって震災の経験と教訓をつないでいく取組が進められていることを心強く思いました。先ほど、戦争の体験を語り継ぐことの意義についてお話しいたしましたが、大規模な災害の経験と教訓についても、世代を越えて語り継いでいくことが大切だと思っております。
また、令和6年能登半島地震から1年1か月が過ぎましたが、地域の復旧・復興の途上で豪雨災害に見舞われたことは本当に大変なことだと思います。お見舞いに伺った際にも、被災された皆さんの心が挫けそうになっているお気持ちを感じ、私たちの訪問が少しでも力になるのであればと思いました。寒さが続く中、被災された方々が安心して生活できる日が1日でも早く訪れ、復旧・復興が一歩一歩着実に進んでいくことを願っております。
昨年亡くなった五百旗頭真氏はその著書「大災害の時代」の冒頭で、「われわれは思いもかけず『大震災の時代』にめぐり合わせている」と述べ、阪神・淡路大震災以降、日本列島の地震活動が活性期に入ったと警鐘を鳴らしています。同書では、歴史的に見ても、平安時代の9世紀には、東日本大震災と規模が似ていると考えられている貞観地震や南海トラフによるものと思われる仁和地震、そして、播磨地震、越中越後地震、さらには富士山の噴火など大きな自然災害が続いており、同様に災害の続いた時期は、戦国時代や江戸時代にも見られると述べられています。阪神・淡路大震災に始まり、能登半島地震に至る近年の地震災害の被害や、復旧・復興の経験などを心にとどめ、将来起こりうる南海トラフ地震や首都直下地震などに対して、今一度私たちの備えを確認する必要があると強く感じます。
世界に目を転じても、大雨による被害や山火事、深刻な干ばつなど、地球温暖化に伴うと思われる自然災害が、この1年も各地で頻発しています。また、世界各地での戦争や紛争により、子どもを含む多くの人の命が失われてきたことに深く心が痛みます。異なる価値観を尊重して受け入れる寛容な社会と平和な世界を築いていくため、国際社会でのなお一層の協力や協調が求められていると思います。
皇室においては、昨年11月、崇仁親王妃百合子殿下が薨去されたことを寂しく思っております。妃殿下には、長年にわたって私たちを温かく見守っていただき、また日頃から良くしていただいておりました。深く感謝し、改めて心から哀悼の意を表します。
上皇后陛下には、昨年秋に骨折されて手術をお受けになりましたが、順調に御快復になっておられることに安堵しております。上皇上皇后両陛下には、私たちを変わらず温かくお見守りいただき、お導きいただいていることに感謝申し上げます。
国内では、物価の上昇などの経済的な状況を始め、様々な事情により困難を抱えている人も多く、そうした人々の身の上を案じております。
このような中ではありますが、この1年には皆の心が明るくなるような話題もありました。昨年夏に開催されたパリオリンピック・パラリンピック競技大会では、出場した選手たちが、これまでに培ってきた力を尽くして競技に臨む姿が印象に残りました。陸上女子やり投げ決勝では、北口榛花選手がオリンピックのフィールド種目で日本女子選手初となる金メダルを獲得するなど、多くの日本人選手が活躍したことはうれしいことでした。さらに、米国メジャーリーグの大谷翔平選手が3度目のMVPに選出されたことや、長年にわたって米国メジャーリーグで活躍したイチロー選手が今年の米国野球殿堂入りメンバーに選ばれたことなど、我が国の人々が、日々の努力の積み重ねにより新たな世界を切り開いていく姿は、私たちに明るい希望と勇気を与えてくれるものと思います。
【問5】皇室の課題に関してお尋ねします。国会の皇族数確保策の議論では、女性皇族が結婚後も皇室に残る案がおおむね賛同を得られました。秋篠宮さまは該当する皇族は「生身の人間」で、宮内庁は考えを理解する必要があると指摘されました。この発言の受け止めや愛子さまや皇后さまと話されていることをお聞かせください。皇室の情報発信をめぐっては、宮内庁がインスタグラムでの発信を始めた一方、ネット上などでのバッシングともとれる情報について、秋篠宮さまは「いじめ的情報と感じる」と述べられましたが、陛下はどのように感じられていますか。
陛下)現在、男性皇族の数が減り、高齢化が進んでいること、女性皇族は結婚により皇籍を離脱すること、といった事情により、公的活動を担うことができる皇族は、以前に比べ、減少してきています。これは皇室の将来とも関係する問題ですが、制度に関わる事柄について、私から言及することは控えたいと思います。
皇室の情報発信については、昨年もお話ししたとおり、皇室の活動についての情報発信を考えるに当たって、その前提として、皇室の在り方や活動の基本に立ち返って考える必要があると思います。皇室の在り方や活動の基本は、繰り返しになりますが、国民の幸せを常に願い、国民と苦楽を共にすることだと思います。また、時代の移り変わりや社会の変化に応じて、状況に対応した務めを果たしていくことが大切であると思います。
皇室を構成する一人一人が、このような役割と真摯に向き合い、国民の幸せを願いながら一つ一つの務めを果たし、国民と心の交流を重ねていく中で、国民と皇室との信頼関係が築かれていくものと考えております。
国民との交流を重ね、国民と皇室の信頼関係を築く上では、皇室に関する情報を、適切なタイミングで国民の皆さんに分かりやすくお知らせしていくことも大事なことであり、宮内庁では、昨年からインスタグラムによる情報発信が開始されています。情報発信の仕方については、今後も工夫をしながら進めていってもらえるものと思っています。
インターネット上の書き込みなどについては、以前お話ししたとおり、人々が自分の意見や考えを自由に表現できることは、憲法が保障する基本的人権として尊重されるべきものであり、自由で多様な意見を述べ合える社会を作っていくことは大切なことだと思います。その中にあって、一般論になりますが、ほかの人に対して意見を表明する際には、時に、その人の心や立場を傷つけることもあるということを常に心にとどめておく必要があると思います。相手の人の気持ちや置かれた状況にも想像力を働かせ、異なる立場にあったり、異なる考えを持つ人々にも配慮し、尊重し合える寛容な社会が築かれていくことを願っております。
<関連質問>
【問1】2問目のお答えについての関連なんですけれども、愛子さまが昨年初めて単独で地方に公務に行かれまして、その時に陛下が、御自身が初めて公務に、地方に行かれた時のことを思い出されたりですとか、愛子さまの今回の御様子をどのように両陛下で御覧になっていたのかという点と、もう一つ、愛子さまが社会人として、今年活動の幅を広げられる中で、愛子さまの何か変化みたいなものを、もしお感じになっていらっしゃったらお聞かせいただければと思います。
陛下)私が初めて地方での公務に臨んだのは、北海道でのスポーツ少年大会への出席だったと思います。その時は、私の挨拶もありましたので、大変緊張したことを覚えておりますけれども、多くの小さな子どもたちともいろいろと交流する場があったことや、北海道の大自然の中で子どもたちが楽しそうに遊んでいたり、スポーツをしていたりする風景を、今でも懐かしく思い出します。愛子は昨年初めて単独で佐賀県を訪れ、単独での地方での公務は初めてでしたけれども、一人で伊勢神宮や奈良に参拝などにも行ったりしておりますので、その辺はあまり心配はしないで送り出すことができたように思います。雅子と私と愛子の3人でいろいろと都内での行事や、博物館などにも今までも行っておりますので、愛子もそういった私たちの様子なども見ながら、またその時のこともいろいろと考えながら、一生懸命初めての地方での公務を行ったように思っており、私たちもうれしく思っております。
記者)社会人になられて何か変化ですとか。
陛下)私自身、社会人として仕事をしたことがないものですから、愛子が書類を提出するとか、いろいろな記録を取るとか、日赤の一員としての活動について家に帰って話してくれて、その話の一つ一つに非常な新鮮さを感じ、そういったところから、愛子が大学を卒業して社会に入って社会人として一歩一歩成長している様子をかいま見ることができ、大変うれしく思っております。
【問2】陛下お誕生日おめでとうございます。今年、戦後80年と同時に昭和100年という節目であります。皇室の国際親善についてですけれども、戦前は立憲君主制の下で、皇室がいわゆる外交を担ってきました。しかしながら、昭和の前半に戦争が起こり、国民が大変な犠牲を強いる、そういう時代がございました。で、戦後になり、今度は象徴天皇制になり、昭和天皇、さらに上皇陛下、お二人が国際親善に尽くされて、国民は80年間、戦争がない時代を過ごすことができました。しかしながら、最近の国際情勢を見ると、ウクライナ、ガザなどで紛争が起こっておりまして、多くの人々が戦火にまみれているような状態です。さらに日本であっても、そういった紛争の影響で、物価が高騰して生活に苦しんでいる、そういう方々がいらっしゃいます。こうした中にあって、令和の皇室において、国際親善というものがですね、どのような形であれば良いとお考えでしょうか。お聞かせいただければと思います。
陛下)国際親善というのは、外国訪問について言えば、先方から御招待を頂いて、私たちが出掛けていくことになるわけですけれども、両国の相互理解が、外国訪問によって深まり、その国との友好関係を築いていくことが大切なのではないかと思います。やはり、人と人との結び付きが、やがて国と国との平和に結び付いていくことになるのではないかと思います。今は本当におっしゃるように、国際情勢も混とんとしてきて大変な状況ではありますけれども、1回1回、外国を訪問するたびに、国際親善ということを念頭に置きながら、今後とも外国訪問を続けていきたいと思っています。