流された“思い出のDVD”家族の元へ… 奥能登豪雨 遺族の半年
今月、輪島中学校で行われた卒業式。この日、同級生とともに卒業の日を迎えるはずでした。
「喜三 翼音」
喜三 翼音さん。
去年9月の奥能登豪雨で命を落とした16人のうちの1人です。
あの日、押し寄せた濁流に翼音さんは自宅ごと流されました。
あれから半年。
輪島市久手川町を訪れると… 周辺にはいまも土砂や流木が残ったまま。
そして翼音さんの自宅は基礎部分だけに… 町は変わり果てました。
北陸地方整備局 河川部・片野 智博さん:
「今は堆積している土砂をとったので元の川の流れになっている元の川の形に戻っている」
氾濫した塚田川では復旧工事が続いています。
北陸地方整備局 河川部・片野 智博さん:
「あの地震でやっぱりあの山の土砂が揺らされて緩んでいた。地震が起こる前よりは土砂が流れやすい状況となっていたということが考えられます」
これは豪雨当日の輪島市内の降水量です。
前日の夜から降っていた雨は午前9時以降、急激に増加し、ひと月分の雨の量をわずか3時間で上回りました。
地震により緩んでいた山に猛烈な雨が降り注いだことで大量の土砂や流木が流され、町に押し寄せました。
それにより、川の流れにある変化があったといいます。
北陸地方整備局 河川部・片野 智博さん:
「本来の川の流れは右手の川の流れでしたけど、こちらの住宅街の方に、川の流れが変わってしまった」
押し寄せた土砂や流木は、河口から約2キロ上流にかかる2つの橋に堆積。
すると、水の流れは行き場を失いそのまま川沿いの住宅地へ… これにより複数の住宅が家ごと流される事態になったのです。
北陸地方整備局 河川部・片野 智博さん:
「住宅の基礎だと思うんですけど、流されて基礎だけ残っているという状況ですね。ちょうど川の通り道になってしまった。(Q. 流木でこれほどの被害が出るものなのか) 初めての経験です」
豪雨から半年。
翼音さんの家族は輪島を離れ、石川県野々市市で生活しています。
祖父の喜三誠志さんはこの工房で輪島塗を作り、家族の生活を支えています。
翼音さんの祖父・喜三 誠志さん:
「もちろん翼音のことは毎日ね、思い出さないことがないですが、思いながらもう生きているっていう感じですから。あの日から時間が止まったような感じですよね」
翼音さんが使っていた制服やジャージーはいつも家族の目に届くところにかけられています。
翼音さんの祖父・喜三 誠志さん:
「見つかったときはこのジャージーを履いていたんですよね。こちらがね… 当時川の中で(見つかった)学校に着ていたもの。やっぱり捨てられないでしょ、ほとんど流されちゃったでしょ…」
家にあった翼音さんの物は、多くが豪雨で流されてしまい、家族の手元に残っていません。
そんな中、翼音さんの思い出の品を見つけてくれた人がいます。
滋賀県のNPO法人の代表、川村美津子さん。
豪雨の発生から約2週間後、ボランティアで訪れていたときにあるものを見つけました。
NPO法人つどい・川村 美津子さん:
「DVDがちゃんと置いてあったような感じに私には見えたんですけど…」
それは砂だらけになったDVD。小学校の卒業記念で作られたものでした。
NPO法人つどい・川村 美津子さん:
「本当にそこから持って帰ってよかったのか、どうだったのかっていろいろ考えたんですけど、 とりあえずきれいにして学校にお届けしようと思って…」
誰のものかはわかりませんでしたが、修復するために一旦、滋賀県に持ち帰った川村さん。
その後、輪島に住む知り合いから、翼音さんの物ではないかと連絡があったといいます。
たしかにDVDの裏には翼音さんの名前が書かれていました。
NPO法人つどい・川村 美津子さん:
「ご家族が見られたらつらいばっかりかもしれないけど、でも翼音さんが生きてた証しのものが見つかったのなら、それはそれで私が反対の立場でも嬉しいかなっていうふうに思いたいのが私の気持ちです」
届けたかったのは、翼音さんが生きていた証しです。
そして今月、翼音さんの家族を訪ねた川村さん、手渡したのは復元したDVDです。
NPO法人つどい・川村 美津子さん:
「見つけて欲しかったんやねって言うてくれやったで、帰りたかったとこへお返しをさせていただきなと思って」
「色々探したんですけど、全然見つからなくて。本当に何もなくなったので本当にありがたいです。本当に良かったなと思います。ありがとうございます。」
小学校の卒業を記念して作られたDVD。
そこには同級生と一緒にトランペットを吹く翼音さんの姿が映っていました。
祖母・喜三 悦子 さん:
「よかったです」
大切な家族も、大切な思い出も、すべてを飲み込み奪い去ったあの日の豪雨。
国は出水期までに、仮設の堰堤や流木止めのネットなど、応急工事を完了させるとしています。