被災した能登の文化財を守れ! 広がる“文化財レスキュー”「未来につなぐために…」
珠洲市の白山神社。
室町時代末期に創建された本殿は、国の重要文化財に指定され、地域で守られ受け継がれてきました。しかし…
白山神社・櫻井 重伸 宮司:
「天井が、もともと古い建物ではあるんですが、これを直そうということになると、建物自体がかなり障ってしまうことになると思う」
人々が集う拝殿や防災設備が、能登半島地震で被災。神が祀られる本殿に大きな被害は免れたものの、未だ復旧のめどが立っていません。
白山神社・櫻井 重伸 宮司:
「在所の人もお祭りの時は必ず集まっていただいていたんですけれども、震災前までは。ここで途切れさせるわけにはいかないので、未来につないでいくためにちゃんとしていかなくちゃいけない」
能登半島地震では、こうした古くから伝わる文化財が、少なくとも470件被災しました。
そうした中…
「おお~素敵」
地域で受け継がれてきた文化財を守ろうという活動が被災地で広がっています。文化財を救出し、安全な場所へと保管する文化財レスキューです。
石川県によりますと、これまでに163件の文化財を救出。その活動の中では思いがけない資料が見つかることもあります。
「こんにちは」
志賀町に住む米澤泰範さん。地震で蔵が半壊したため、中から家財などを救出するレスキューを依頼。救出された物の中からは、戦時中の資料が見つかりました。
米澤 泰範 さん:
「これが陸軍中野学校の中で行われていた秘密戦だとか授業内容が書かれている本、これもすごく貴重です」
蔵から見つかったのは戦前、旧日本軍に極秘で設立された陸軍中野学校の資料。諜報、謀略、防諜を主な任務とする“秘密戦士”を養成する学校で、いまも残されている資料が少ないといいます。
米澤 泰範 さん:
「遺品整理というか、それ自体も実は終わってなくて、とにかくこれを救い出さなきゃいけないっていうのがまず先で」
これらは20年前、81才で亡くなった祖父の遺品です。
とても優しい性格で、怒られることが一度もなかったという祖父・正直さん。遺品の中にはその祖父の軍服姿で写る写真もありました。
米澤 泰範 さん:
「若かりし頃の、このあと陸軍中野学校に入っちゃうんで。これ以降の写真というのは、戦後までないんですよ。諜報員という形で現地に行って、現地での情報集めが主な任務だったと思うのですが…」
終戦間近の1943年に19才で陸軍中野学校に入校。正直さんは情報収集などの諜報活動に従事していました。
見つかった軍歴書にはインドネシアなどに渡っていたことも書かれていました。
米澤 泰範 さん:
「やっぱり知らないことが多かったし、諜報員として秘密にしていくこと自体がその人たちの任務だし義務だったから、それを貫いたっていう意味では、やっぱり諜報員としては役目を全うしたのかなと思います」
泰範さんは、救出された祖父の資料の一部を、石川県立歴史博物館に預けることにしました。
博物館の学芸員も、その資料の価値を評価しています。
石川県立歴史博物館・齋藤 仁志 学芸員:
「戦後も南方の方で戦っていた日本兵として有名な小野田寛郎さんの書になります」
正直さんと同じ陸軍中野学校出身で、「最後の日本兵」としても有名な小野田寛郎さん。その小野田さんから寄贈された書や、学校の同窓会に関する史料もありました。陸軍中野学校出身者の戦後の交流を知るうえで大変貴重だといいます。
石川県立歴史博物館・齋藤 仁志 学芸員:
「陸軍中野学校自体が諜報員を養成する学校でもあった関係からか、あまり中野学校の資料というのは私は知りません。中野学校同士のつながりがあったんじゃないかなというのが伺える資料として興味深いですね。貴重な資料になります」
正直さんは生前、家族の前では戦争の話をほとんど口にしたことがなかったといいますが、遺品や資料には祖父の面影が残されていました。
米澤 泰範 さん:
「その一つ一つがやっぱり文化財として価値はあまりはないと思っても、とても大切な思い出でもあるので、残していきたい。どんな形のものでも、とにかく残して、次の世代へと知ってもらうという、それが大事なことだと思います」
地域で受け継がれる歴史や伝統の記憶。
途切れさせないために、文化財の修復、保存の必要性が改めて示されています。