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生涯「新聞人」 春の叙勲で旭日重光章 北國新聞社の元社長 飛田秀一さんに聞く

2024年4月29日 19:40
生涯「新聞人」 春の叙勲で旭日重光章 北國新聞社の元社長 飛田秀一さんに聞く
ことしの春の叙勲が発表され、県内からは45人が受章しました。このうち旭日重光章を受章した北國新聞社の元社長飛田秀一さんにこれまでの「新聞人」としての歩みや地域への思いについて伺いました。

現在、北國新聞社の名誉会長を務める飛田秀一さん 82歳。幼い頃から身近な情報源として新聞に愛着を抱いていました。


Q新聞記者を志した理由は?
飛田秀一さん :
「新聞が好きだったことは間違いありませんよね。今は新聞記者なんてカッコいい職業と言われないけど当時はハイカラな仕事であって、新聞記者になりたいなという思いを抱くようになって」


昭和39年(1964)北國新聞社に入社。以来、60年に渡り、報道の仕事に携わってきました。

その中で。特に印象に残った出来事について尋ねると…

Q印象に残る出来事は?
飛田秀一さん :
「振り返ってみてこういうのは凄かったとか素晴らしかったとか、大スクープとか、あまり覚えてないけど、サッチャーさんかな、イギリスの首相をやめてからの サッチャーさん、いろんな人の手づるなどがあって金沢に4、5回来ていただいた。それで、私と話をしていると楽しいと、なぜかというと 立場が違うか ら当たり前なんだけど日本の政治家と話をしていても、 モノをはっきり言わないから面白くないと」

相手が大物であっても物怖じせず会話する姿勢を貫いてきた飛田さん。「新聞社のトップ」、という立場にとどまらず、県芸術文化協会の会長や金沢学院大学の学園長として、石川の文化や教育の発展にも貢献してきました。そして近年は県観光連盟の会長として石川の文化資源を観光につなげる「文化観光」の推進に力を入れています。

しかし、ことしの元日に発生した能登半島地震で、能登の観光は厳しい状況に…

今後の復興についても思いを巡らせます。

Q石川の観光について
飛田秀一さん :
「特に奥能登がああいう状態になったわけですから 口能登から金沢、南加賀その辺が元気を出すことが能登の復興を早めることになると」

そして今、情報を得る方法が多様化する中で、今後メディアのあり方については、どのように捉えているのでしょうか?

Q今後のメディアは?
飛田秀一さん :
「今、いろんなマスメディアの広がりがございますけどね。これからも情報産業の先導役は 私は新聞だと思いますもちろんテレビやほかのメディアにも関係はしてますけど中心は 新聞で、“新聞であってほしい”というそういう思いですね」

生涯「新聞人」として、これからも地域に根差した報道を通じてふるさとの発展を支えます。

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