【解説】徹底的な情報規制で“隠された大地震”南海トラフ「昭和東南海地震」から80年
■普段ほとんど地震が発生しない「陸奥湾」で地震多発
11月18日から24日の期間、国内では震度1以上の地震が29回ありました。
▼20日午後3時40分、青森県平内町などで震度4の地震がありました。
震源は陸奥湾で、地震の規模をしめすマグニチュードは5.1、地震の深さは10キロでした。
▼陸奥湾では21日午後11時30分にも、青森県平内町などで震度3を観測する地震がありました。
マグニチュードは4.1、深さは9キロでした。
▼22日午前2時28分、宮崎市で震度3の地震がありました。
震源は日向灘、マグニチュードは4.4、震源の深さは35キロでした。
▼24日午前8時22分、青森県八戸市などで震度3の地震がありました。
震源は岩手県沖で、マグニチュードは4.9、深さ40キロでした。
陸奥湾では近年、大きな地震はあまり発生していませんでした。現在の観測体制と同じになった1998年10月~今年11月15日の期間、おきた地震の最大震度は3です。しかし16日以降、最大震度4が2回、3が1回、2が2回と、立て続けに地震が発生しています。陸奥湾でマグニチュード4.5以上の地震がおこるのは48年ぶりです。
いま日本で分かっている活断層(=繰り返し活動して地震をおこしてきた断層)は2000ほど。このなかに陸奥湾はありませんが、海底にある活断層をすべて調べるのは難しいということです。
環境防災総合政策研究機構の草野富二雄さんは「地震は知られていない活断層の近辺で発生することがほとんどで、国内どこで発生しても不思議ではない」と話します。
内陸やその近くで発生する地震は、マグニチュードのわりに震度が大きくなります。地震対策を再確認することが重要です。
■なぜ隠された?昭和東南海地震から80年
12月7日で、昭和東南海地震から80年です。この地震は、今後30年以内に70~80パーセントの確率でおこるとされている、「南海トラフ地震」のひとつです。
1944年12月7日、紀伊半島東部の熊野灘で地震が発生しました。三重県や静岡県の一部で震度6弱から7相当の揺れに見舞われ、1200人以上の死者がでました。加えて紀伊半島から伊豆半島にかけては津波による大きな被害があり、8m~10mを観測した地域もありました。
このように被害も大きな地震だったにもかかわらず、昭和東南海地震のことを多くの国民が知っているわけではありません。なぜなのか?
それは、この地震が太平洋戦争中、戦況が厳しくなってきた時期に発生したためです。このため、“隠された大地震”と言われています。このことに詳しい兵庫県立大学の木村玲欧教授は、この地震が「軍事的に重要な産業地域の被害につながり、飛行機(軍用機)の生産に影響が出るため、こういった情報は外に出してはいけないと言われていた」としています。国民の戦意喪失を防ぐためにも徹底的に隠されました。
メディアも、地震の被害がまるで小さかったかのように報道を出すことしか許されず、地元の回覧板などでも“外にもらしてはいけない”と周知徹底されたということです。このため、被災地の外の人は、被害のことをほとんど知りませんでした。
しかし、当時すでに地震観測の技術は発達していたため、日本で大きな地震がおきたことは、アメリカをはじめとする諸外国ではバレバレだったようです。
■戦後日本に追い打ち…2年後にさらに大地震発生
南海トラフでの大地震は、これでは終わりませんでした。今度は戦後間もない1946年。マグニチュード8をこえる大きな地震が、今度は西側の海域でおきました。「昭和南海地震」です。
南海トラフでは大きな地震がおよそ100年~150年ごとに繰り返し発生しています。なかでも、過去2回の南海トラフ地震の特徴が、東側で大きな地震がおきて、その後時間差で、西側でさらに大きな地震がおきていることです。江戸時代後期におきた地震でも、最初の地震から32時間後に地震が発生しました。
■連続する大地震に備える「南海トラフ地震臨時情報」とは
巨大地震が立て続けにおこる可能性がある南海トラフ。こうしたなか作られたのが、「南海トラフ地震臨時情報」の制度です。巨大地震がおこる確率が普段より高まっているため、注意するよう呼びかけます。
地震の規模により出される情報にはいくつか種類があります。例えば「巨大地震警戒」が出された場合。地震がおこってからの津波避難で間に合わない地域では、1週間の事前避難が求められます。日頃の備えの見直しを促す「巨大地震注意」は今年8月、日向灘でおきた地震をうけて、初めて発表されました。
繰り返し大地震が発生している南海トラフ。前の地震=昭和東南海地震と南海地震から80年が経過します。いつ地震がおきてもおかしくないため、日頃から備えておくことが重要となります。