父奪った阪神淡路 故郷奪った能登半島地震 同じ復興の道願う
阪神淡路大震災で父を亡くし、ことし元日の地震でも自らが被災した男性が、避難先の金沢市内で講演を行いました。
金沢市で行われた追悼法要。
23年前のきょう大阪で発生した児童殺傷事件の犠牲者とともに、能登半島地震の犠牲者も偲びました。
そっと手を合わせるこちらの男性。
珠洲市正院町の惣田亜喜夫さんです。
元日の地震で自宅が損壊し、今は金沢市内のアパートで避難生活を送っているという惣田さん。
今から29年前の阪神淡路大震災では、当時、酒蔵の蔵人として兵庫県へ出稼ぎに出ていた父親を亡くしました。
そして、自らの経験から教訓を伝えようと、きょう講演を行いました。
■惣田亜喜夫さん
「風化させたくないというだけやね。(復興には)あと何年かかる か分かんないけど自分らは年や し。でも協力できることはやろ うかな」
惣田さんは、能登も同じように復興の道をたどれると強調し思いをはせていました。
金沢市で行われた追悼法要。
23年前のきょう大阪で発生した児童殺傷事件の犠牲者とともに、能登半島地震の犠牲者も偲びました。
そっと手を合わせるこちらの男性。
珠洲市正院町の惣田亜喜夫さんです。
元日の地震で自宅が損壊し、今は金沢市内のアパートで避難生活を送っているという惣田さん。
今から29年前の阪神淡路大震災では、当時、酒蔵の蔵人として兵庫県へ出稼ぎに出ていた父親を亡くしました。
そして、自らの経験から教訓を伝えようと、きょう講演を行いました。
■惣田亜喜夫さん
「風化させたくないというだけやね。(復興には)あと何年かかる か分かんないけど自分らは年や し。でも協力できることはやろ うかな」
惣田さんは、能登も同じように復興の道をたどれると強調し思いをはせていました。