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【特集】<93歳の証言>戦時下の仙台での”知られざる迫害” 外国人が収容・監禁された抑留所が仙台に…“敵国”とされたアメリカ人や関係する日本人もスパイ等の疑い向けられる

2024年10月8日 20:00
【特集】<93歳の証言>戦時下の仙台での”知られざる迫害” 外国人が収容・監禁された抑留所が仙台に…“敵国”とされたアメリカ人や関係する日本人もスパイ等の疑い向けられる

今年で終戦79年。
太平洋戦争中の仙台に外国人が収容され、監禁された抑留所があったことをご存じだろうか?
拘束されたのは、“敵国”とされたアメリカ人らで関係する日本人もスパイなどの疑いを向けられた。
戦時下の仙台で繰り広げられた知られざる迫害の事実を、女性が証言した。

仙台市青葉区にあるカトリック元寺小路教会。
90年にわたり教会に通い続ける信者がいる、池田まりさん(93)。

池田さんは戦時中、この教会が”外国人を収容する抑留所”だったと証言した。

池田まりさん(93)
「高い刑務所のような塀を建てられて押しこまれた狭い所に、収容所というか抑留所」

当時、宮城県内で布教活動をしていた外国人宣教師53人が突如 塀の中に監禁され、抑留されたという。

その1人、池田さんが慕っていたカナダ人神父・ビソンネットさん。

小学生だった池田さんは、ある日を境に神父とは「敵対する関係」になったと言う。

池田まりさん(93)
「学校の教室で、けさ大変なことがありました、知っている人手挙げてと。神父とは家族みたいに付き合っていたが、それがいきなり…」

1941年12月、真珠湾攻撃で日本はアメリカに宣戦布告。
この日を境に、日本は連合国のアメリカ、イギリスなどを「敵国」と名指しし過激なスローガンで敵対心を煽った。

池田まりさん(93)
「『出てこいニミッツ・マッカサー、出てこりゃ地獄に逆落とし』こんな歌を歌っていた」

開戦からまもなく、元寺小路教会は政府に接収される。

池田まりさん(93)
「警官が土足のまま入ってきて、戸棚や引き出しから横文字の文字は全部スパイということで没収して持って行った」

『敵産管理法』ー。
この法律は、在留外国人が所有する資産を政府が強制接収することを可能にするもので、日米開戦からわずか2週間で強硬的に施行された。
「敵国」とされたのはアメリカ、イギリスのほかカナダ、オーストラリアなど連合国だった。

スパイの怖れがあるとして、法律を根拠にいわば“合法的に”民間外国人の資産を奪い、抑留したのが「敵国人抑留」だった。

元寺小路教会では、スパイとは無縁の外国人宣教師がまともな食事も与えられないまま、終戦までの3年半近くにわたって日夜 監禁され続けたという。

その事実は、ほとんど語られてこなかった。

池田まりさん(93)
「私たちも食べ物なくて困っていた時代。神父がどんな生活させられていたかなんて想像もつかない」

「敵国人抑留」について、専門家は当時の日本人の“恐怖心の裏返し”だったと指摘する。

東北学院大学 河西晃祐教授
「人種戦争という側面を持っていた。ハリウッドの映画の輸入を通じて、アメリカがどれだけ優れているか蓄積されていた。そのアメリカと戦っていく恐怖心。敵愾心を煽ることで国民の交戦能力を高めていこうという発想が強くなっていった」

「敵国人抑留」を実行したのが当時、拷問など容赦ない取り調べをするとして恐れられていた秘密警察、通称=特高警察だった。
もともとは、天皇制や私有財産制を否定する共産主義者らを取り締まる治安維持法を基に発足。
しかし、開戦を機に、取り締まりの対象を"敵国人"にまで拡げ、抑留していった。

さらに、エスカレートした特高は日本人神父や信者にまで監視の対象を広げ、容赦ない迫害を加えてきたと言う。

池田まりさん(93)
「お前は、天皇陛下とキリストどっちが偉いか即答せよと。これはキリスト教信者にはとんでもない質問、天皇よりキリストが偉いなんて言ったら殺されたか、逮捕されたか分からない。畏れ多くてどっちが偉いかそんなこと申し上げられませんと通り抜けた」

信者の1人、池田さんの父もスパイの疑いで自宅まで尾行され会話を盗み聞きされたと言う。

戦況が悪化し、日本が劣勢に立たされても「日本は戦争に負ける」といった会話は「デマを流した」として取り締まりの対象に加えられたという。

池田まりさん(93)
「誰も戦争に勝つなんて思っていなかった。説教で戦争に疑うことを言ったらすぐ捕まえようと待っていたんじゃないか、怖いです特高に目をつけられたら」

特高に関係する資料はその多くが敗戦と同時に焼却されたため、厚いベールに包まれたままだった。

しかし、焼却を免れた「特高の心得」を記した文書には、次のような記述がある。
『非合法なるものは勿論、合法のものも綿密な視察を加える』ー。

つまり、監視や取り締まりの対象は「合法な活動も含まれる」と教育され、特高は恣意的な拡大解釈が可能だったのだ。

特高は国民を恐怖で沈黙させ、戦争に異を唱える声を抑え込んでいった。
専門家は、そう指摘する。

東北学院大学 河西晃祐教授
「国が是とするものは正しい、国が悪とするものは間違っている。それを疑うことができない仕組みがまさに特高。有事と判断されたら国会意思が肥大化して個人意思が抑圧される」

戦後79年が経った今なお、世界では戦争が絶えない。

一方、日本は周辺国との安全保障環境の悪化に伴い、近年、急速に関連法の整備を進めてきた。
災害やテロが起きたら政府に権限を集中させる「緊急事態条項」を憲法に明記する議論も今後、進むとみられる。

過去の教訓を踏まえ、こうした法律が恣意的な解釈や拡大解釈で運用されないかー。
国民は常に政府を監視する必要があると、専門家は指摘する。

東北学院大学 河西晃祐教授
「様々な法令を整備しないといけないことは確か。ただ戦前、日本が特高が治安維持法を拡大解釈を続けながら国民生活を抑圧していった恐ろしさは考えないといけない」

"敵国人抑留"で迫害を受けたビソンネット神父は、日本の敗戦で抑留が解かれた後、空襲で焼け野原となった仙台に教会と児童養護施設を設立。
その後は、戦争孤児を受け入れ、仙台の戦後復興に残りの人生を捧げたと伝えられている。

池田まりさん(93)
「(神父が)友人のさっちゃんに「空襲でどんな被害を受けましたか?」と「家もみな焼けてしまいました」と言ったら「ごめんなさい」と。敵国の勝った国の人が負けた国の人に「ごめんなさい」と。平和はありがたいものだと私たちの世代は次の世代に伝える義務がある気がしてきた」

終戦から79年。池田さんは同じ過ちを繰り返されないようその経験を語り継ぐ決意だという。

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