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「東日本大震災」の”伝承”について考える 「学校での防災」テーマにシンポジウム  震災当時小学生だった若い世代も”伝承”のカタチを模索(宮城・山元町)

2024年2月20日 21:00
「東日本大震災」の”伝承”について考える 「学校での防災」テーマにシンポジウム  震災当時小学生だった若い世代も”伝承”のカタチを模索(宮城・山元町)
東日本大震災の「伝承」について考えるシンポジウムが、2月17日 宮城・山元町で開かれた。

テーマは、「学校での防災」。

大人だけでなく、震災当時は小学生だった若い世代も、これからの伝承のカタチを模索している。

震災当時の中浜小校長・井上剛さん
「絶対に降りないという中で屋上にとどまったわけですが、本当にそれで良かったのか。もし内陸に逃げていたら子供たちに大変な屋上での一晩を経験させないで済んだじゃないか。これはずっと答えは出ません」

当時の判断が、正しかったのか。

震災で犠牲者が出なかった小学校の校長でさえ、いまだに葛藤は続いていると言う。

17日、山元町で開かれたのは学校防災をテーマにしたシンポジウム。

石巻市を拠点に震災の伝承活動に取り組む「3.11メモリアルネットワーク」が開いたもので、宮城県内外から70人が参加した。

壇上で、当時の記憶を語るのは、震災で津波に襲われた小学校の関係者。

岩手県の高田小学校。
福島県浪江町の請戸小学校。
そして、宮城県は山元町の中浜小学校。
千尋真瑠亜さん(22)は震災当時、中浜小学校の3年生だった。

中浜小で被災した千尋真瑠亜さん(22)
「あんな海が近い場所で生き残れたという、信じられないという感じが今でも思います」

海岸から400メートルほどに位置する中浜小学校。
当時、高さ10メートルの津波が押し寄せ、児童や教職員など90人は18段の階段を駆け上がり、屋上の倉庫で一夜を過ごした。

「(震災当時)自衛隊のヘリで救助されたということもあって、上空から山元町の全体の様子が見えて、そこで初めてこんなに大変なことになってたんだって。紫色のジャンバーを着ていたのは今でも覚えているので、急いで(ヘリに)乗り込んだなというのは今でも覚えています」

小学生にとって忘れられない強烈な経験。
そして、不安な夜を支えてくれた先生は今でも忘れられない存在だ。

千尋真瑠亜さん
「私の家族はみんな無事に生きているのかなとか、まったく情報もなくわからない中で不安な一晩だったんですが、先生方が一晩中寄り添って下さってたのを今でも覚えています」

今回のシンポジウムには、千尋さんと同じように、当時 小学生だった世代が参加した。
それぞれが抱く、震災の記憶を伝えるカタチは様々だ。

高田小学校・及川七聖さん
「これからの子どもたちに対して、震災とか防災の興味関心を持ってもらえるきっかけ作りを担うべきと考えている。記憶が少ないからこそ、興味を持ってもらうための活動をして、興味を持ってもらえたら真相の部分を語り部に話してもらう、語り部とは違う役割を担うべきと思う」

浪江町の横山さんは、ふるさとを守りたいという気持ちが自分自身を動かしていると言う。

請戸小学校・横山和佳奈さん
「事実を伝え続けないと請戸が記憶からなくなって、消えてしまうという恐怖感。私が率先して話さなきゃと思ったのが最初です」

そして、中浜小学校の千尋さんは語り続けることこそが、震災の記憶を繋ぐことだと考えている

中浜小で被災した千尋真瑠亜さん(22)
「自分の経験を、私はこうだったんだよといろんな場所で話すだけでも、それも立派な語り部としての活動になるんじゃないかなと思ってるので、発信し続けていくというところを誓って活動していきたいなと思っています」

シンポジウム参加者(岩手県から)
「本当に勉強になったなと思います。県をまたいでネットワークしているのは素晴らしい会だったなと思います」

シンポジウム参加者(仙台市から)
「私自身、教員を目指しているんですけど、子どもたちの命を守りたい、救いたくない教員はいないんだという熱い言葉に、すごく感銘を受けました」

「あの日のことを忘れてほしくない」ー。

同じ目的を胸に、様々な世代が震災の記憶を伝え続けるカタチを模索している。

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