【特集】<震災から13年半>震災遺構・大川小学校で卒業生が決意込めた楽曲披露 「つくろう…笑顔あふれるふるさとを…」(宮城)
その前の週に、震災遺構・大川小学校で行われた追悼行事で、卒業生らが笑顔あふれる故郷を作る決意を込めた楽曲を披露した。
北上川のほとりにある石巻市の震災遺構・大川小学校。
震災当時5年生だった只野哲也さん(25)
「北上川を津波が海から遡って逆流してきました。あふれた水が大川小学校に襲ってきました」
見学に訪れた子どもたちに、自らの体験を伝えたのは、当時5年生だった只野哲也さん(25)。
只野さんは、学校の裏山に逃げる途中で津波に飲み込まれた。
震災当時5年生だった只野哲也さん(25)
「2~3メートルくらい登ったところで、斜面に体を叩きつけられるような感じで津波に飲まれて息が出来なくなって気絶してしまいました。目が覚めた時には、登ったところよりもさらに上流側に…」
108人の児童が通っていた大川小学校。
高さ10メートルの津波に襲われ、児童74人と教職員10人が犠牲になった。
震災当時5年生だった只野哲也さん(25)
「今も4人の子どもたちが行方不明のまま。多くの子どもたちが見つかったのがいま皆さんが立っている場所で、家とがれきの下敷きになったところを、お父さんお母さんが子どもたちを引き上げたのがここの場所」
「合掌をお願いしたいと思います」
子どもたちが、祈りを捧げる。
この日行われたのは、犠牲者を追悼する「おかえりプロジェクト」。
「今年も、一緒に安心して静かに思いを馳せる時間を、共にしましょう」
大川小の卒業生が中心になって企画したもので、この場所を、震災後 地区を離れた人たちや支援を続けてくれる人たちが集いおかえりと言える場所にしたい、との思いも込められている。
ボランティアの学生も加わり、全国から寄せられたメッセージを灯篭に取り付けていく。
震災当時5年生だった只野哲也さん(25)
「これだけ多くの人が思いを寄せてくれる。すごく励みになりますね」
只野さんは、『東日本大震災』で母親と妹、祖父の家族3人を亡くした。
悲しい過去を変えることはできないが、未来を切り拓くことはできる。
多くの命が失われたこの場所が、”おかえり”と言える場所になって欲しいと、様々な形での震災伝承に取り組んでいる。
歌)おかえりおかえり仲間たちをあたたかく迎える雨上がり
その一つが、仲間たちと作った曲「こころのつばさ」だ。
「私たちが13年間歩んできての思いや願い。これから未来を拓いていく決意表明の歌。また誰かにとっての応援歌になればとの思いで作ったので」
この楽曲は、8月に仙台市で開かれた音楽会で初めて披露された。
震災当時5年生だった只野哲也さん(25)
「色々な向き合い方があるけれど、私は新たな大川を作る道を選んだ。いつの日か仲間たちと大川の未来を語り合えるように」
歌)おかえりおかえり仲間たちをあたたかく迎える夕ぐれに紙灯篭に明かりを灯す
はばたくいのちみんなでつくった出会いの空」
震災当時5年生だった只野哲也さん(25)
「時がたっていけば記憶が薄れていくことは当然なことと受け止めている。 だからこそ言葉で伝えるとか、 映像や歌で伝えるとか、いろんな伝え方がある中でも、 まずはコミュニティを作る。帰ってこられる場所、集える場所があることによって、 ぐっと伝承の可能性が広がると思っているので。みんなにとっての”おかえり””ただいま”の場所になってほしいと願っています」
思い出すのは、悲しい記憶だけではない。
みんなでトマトを大切に育てたこと。
一輪車の練習を頑張ったこと。
だからこそ、未来の子どもたちの笑顔を守れる場所にしたいと願っている。
歌)つくろう新しいふるさとを笑顔あふれるふるさとを…