外環状道路の延伸工事区間で発掘調査 旧松山海軍航空基地の「防空壕」を報道関係者に初公開
第二次世界大戦中に「松山海軍航空基地」に建造された防空壕が初めて報道関係者に公開されました。
現地調査で新たに発見されたものとは。
県埋蔵文化財センター 藤本清志さん:
「防空壕や上の丘陵部にあるコンクリート構造物は、大体昭和19年4月以降に整備されたと記録されています」
きょう報道関係者に公開されたのは、松山市北吉田町にある旧松山海軍航空基地の防空壕2基です。これらの防空壕は、松山外環状道路の空港への延長工事の対象区間と重なるため、4月から県埋蔵文化財センターが発掘調査を行っています。
藤本さん:
「こちらの壁の方、文字が書かれていまして、3文字『銭高組』というところが工事を請け負ったと聞いていますので、可能性としては『銭』という字。『錢高組』と読める可能性がある」
このうち、高さ2m50センチ、長さおよそ90mの防空壕は弾薬などの物資の保管庫や空襲時の避難スペースとして使われていたとみられています。
終戦3か月前の1945年5月に撮影された現在の松山空港上空からの映像では、松山海軍航空基地周辺で米軍による機銃掃射が行われています。この空襲の際、北吉田の防空壕へ海軍関係者や物資の避難先になったということです。
続いて、防空壕の上部では。
植田記者:
「丘の上を調査したところ、新たなコンクリート製の部屋が見つかったということです」
土の下から発掘されたコンクリート製の構造物を降りていくと…
県埋蔵文化財センター 岡美奈子さん:
「防空壕よりは造りが丁寧ですので、何らかの通信施設もしくは指揮所、指示を出すところの方たちが詰めていたのではと(専門家から)見解をいただいています」
今回の発掘調査で、推定面積およそ38平方メートルの地下室が見つかったということです。
県埋蔵文化財センターは、県内での戦争遺跡の調査事例は珍しいとしていて、防空壕の構造やコンクリートに使われた素材など貴重なデータを収集することができたということです。