兄を失い3年…「誰かの心の支えになりたい」妹が踏み出した新たな一歩 26人犠牲・北新地放火殺人事件
大阪・北新地の心療内科クリニックが放火され26人が亡くなった事件から12月17日で3年となりました。「誰かの心の支えになりたい」犠牲となったクリニック院長の妹は今年、新たな一歩を踏み出しました。
亡くなった西澤院長の妹・伸子さん(47)
「西梅田で起きた事件からもうすぐ3年がたとうとしています。(容疑者が死亡し)裁判が行われないため、ご遺族の方同士が集まる場所はありません」
12月8日、悲しみを癒せるようにと開かれた追悼のコンサート。伸子さん(47)は、2021年12月、大阪・北新地の心療内科クリニックが放火され26人が犠牲になった事件で、兄・西澤弘太郎さん(当時49)を亡くしました。院長だった兄は多くの人の”心のよりどころ”となっていました。
クリニックに通っていた患者
「時間がたつのが早いというのは感じます。西澤先生から言われた言葉『治りますよ』が1番心に残っています。仕事もそうですけど『なんでもやってみたらいいんじゃないか』っていう言葉を西澤先生からもらっていたんですよ。西澤先生の言っている通りに今なっているなって自分でも振り返りながら思っています』
伸子さん
「やっぱりこの日を迎えるまでに自分の中でも色々なことを思い出して…急に泣いてしまうこともあるんです。そういうこともあっていいと思っていますし、そんな気持ちも持ちながら、前に進んでいきたいと思っています」
■事件後に聞く兄の話「誰かの心の支えになりたい」
繁華街にあるビルの4階。「西梅田こころとからだのクリニック」はここにありました。
3年前の12月、突然、放火され、患者、院長、スタッフ、26人の尊い命が奪われました。伸子さんの兄は、平日は午後10時まで診療を受け付け、患者らの「心の不調」と向き合ってきました。
もともと内科医だった西澤院長は12年前、実家の隣に「心療内科」を開業しました。今年6月、伸子さんはここに、事件以来ずっと気にかけてきたクリニックの患者らを初めて呼び、交流会を開きました。
伸子さん
「うちの兄が着ていた白衣」
クリニックに通っていた患者
「すぐ目に入りました」
日常の他愛もない話や兄の思い出で盛り上がります。
クリニックに通っていた患者
「不思議なんですけどきょう初めてここに来たんですけど、でもなんか北新地にあったクリニックに近いものは感じますね。」
「多分西澤先生だったら『まあぼちぼちでいいんちゃいますか』とか『無理せんとまずは寝ることだよ』とか言ってくださいますね」
自分が話をきくことで日々の悩みが少しでも軽やかになれば。患者から兄の話を聞くうちに、伸子さんは誰かの心の支えになりたいと思うようになりました。
伸子さん
「この立場である、妹であるから感じたこととかやれることもあります。当然立場が違うと思うので、私は兄を失った立場ではあるけれども、もしかしたらお子さんを亡くしたっていう方もいらっしゃるわけですよね。間柄も変わってくると感じ方も全然違うと思うんですよね。私は兄だからできることじゃないかなっていうのもあるんですよね」
インタビュー中の伸子さん。記者にも心を配ります。
「足大丈夫? 崩しておいてくださいね。しびれるしね、あぐらとかかいてね。ごめんなさいね、視界に入ってしまって(笑)だまっていたらこのままいくと思って」
■今年初めて向き合い見つけた新たな自分にできること
今年、伸子さんは初めて向き合ったことがあります。
9月、京都刑務所を訪れました。
北新地放火殺人事件の容疑者は服役していた過去がありました。塀の中で罪と向き合っていたはずでした。しかし、出所後、社会から孤立を深め、多くの人の命を奪ったのです。
伸子さん
「容疑者は再犯して北新地放火殺人事件を起こしていて、この中を変えていかなければ一緒なんじゃないかなって思いました。(刑務所の皆さんは)変わっていくとおっしゃっていたんですけれども、本当に早急に色々なことを一人ずつの更生のためにしていっていただきたいなと思います。大変なご苦労もあると思うんですけども、していただきたいなと感じました」
活動を続ける中、オーストラリアの大学院で犯罪について学ぶ学生を前に講演する機会がありました。自分の話が未来の支援に少しでも役立つならばと、考えを伝えます。
伸子さん
「(再犯を)防止するために自分に何ができるのかと考えて、加害者支援をしようと決めてそういった施設を探しました。私自身は容疑者と言われている方に対しては何も思っていないですし、恨みとか一切思ったこともないです。だから許すとか許さないとかそういったことも思ったこともないです」
悲しい事件の中でも何か次につなげていきたいと、加害者の心の支援にも目を向けることを決めたのです。
■加害者らの心のよりどころに…時には容疑者について話すことも
罪を犯したり依存症に悩んだりする人たちが自分を見つめ、新たな一歩を踏み出すためのサポートをする施設。
相良尚一郎さん
「1年半やし、1年半。社会にいる1年半も初めて」
伸子さん
「記録更新中?」
相良尚一朗さん
「記録更新中(笑)」
伸子さんは自分でこの場所を見つけ、手伝わせてほしいと連絡しました。月に2回ほど、1人1時間あまり、入所者の話に耳を傾けます。
相良さんはかつて暴力団組員でした。過去の話、これから挑戦したいこと、日常の他愛もない出来事を伸子さんに話します。
伸子さん
「全然どうでもいいけどピアス増えました?」
相良尚一郎さん
「何でも言える関係作ってくれはったし、ほんまに助かっている。色々な目標も改めてできるようになったし、ここまで人間自分で変われるんだなって、最近自分のことほめてやろうかなって思う時あるんですよ」
伸子さん
「ほめてください」
相良尚一郎さん
「前言ってくれたでしょう。まだ早いかな~」
伸子さん
「そんなことないです」
相良尚一郎さん
「最近自分でホンマよう頑張ってるなって思う時あります。一番初めに会った時すごいなって思ったんです。お兄さんの件、僕らもはっきり言って刑務所で見ていたしあの事件。そうしたら加害者支援してるって聞いてええすごいなって思って。すごいでしょ普通は反対でしょう」
時には北新地放火殺人事件の容疑者について話すこともあります。
48歳の男性
「薬物依存になってアルコール依存になって体にタトゥーを入れて親や病院や社会に対する反発心。こんな世界は間違っているというのを、多分の事件の加害者は外に向かって怒りが出たと思うんですよ。僕は自分を傷つけることで自分の怒りを周りに知らせたいと思ったんですよね。僕も25歳から精神科にかかっているので、お兄様が心療内科医だったということで。事件に対しては本当に悲しいですし、自分に置き換えて、自分がもし外に向けて攻撃する人間だったらと想像すると本当に怖いですし、誰か話を聴いてあげられる方が容疑者の側にはいなかったんだろうなって。僕の今までの人生と同じようにそれを強く感じます。だから加害者支援をされていると聞いた時にすごく感動しました」
伸子さん
「最初は犯罪を再犯しないようにと動いていましたけれど、そこというよりもむしろ、一人ずつが生きやすいというか、生きる目標を持つとか。生きることを、なんていうのかな……悪いことに集中するんじゃなくて、『今良い状態を作るために、どうしていくか』っていうことに意識を向ける人が増えていくだけでいいんじゃないかなと思っているんですよ。その人が一人でも幸せだったら、その幸せって絶対波及するし、つながらないかなって思っているんですよね」
■最愛の兄のもとへ
事件から3年となった12月17日。最愛の兄を失った場所で、犠牲となった26人に向け祈りを捧げた伸子さん。その足で向かったのは、兄のお墓です。12月17日に訪れるのは、今年が初めてのことです。
伸子さん
「3年はあっという間のような長かったような。私もそうですけどほかのご遺族の方や元患者さんも、きょうという日を思い出されて苦しくなったり、しんどくなったり、悲しくなったりという思いをされているだろうなと思うと、そういった人をこれ以上増やしてはいけないと思っているので。事件があったことはもう変えれないですけど、同じようなことが起きないように、自分がやれるだけのことをやっていくと伝えました。兄の存在も感じながら活動していますので、挨拶というか『来たよ』という感じ。来なくても怒んないでしょうけど」
事件から3年。大切な人を失った悲しみは癒えることはありませんが、伸子さんは今できることを続けていくと決めています。
今目の前にいる「あなた」のよりどころになる。伸子さんが開くもう一つの心の”クリニック”です。