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パリ五輪内定5日後に地元TV生出演 男子マラソン代表赤﨑暁選手 喜び語る

2023年10月23日 14:34
パリ五輪内定5日後に地元TV生出演 男子マラソン代表赤﨑暁選手 喜び語る
男子マラソンでパリオリンピック日本代表に内定した、赤﨑暁選手にスタジオに来ていただきました。
熊本からマラソンでオリンピックに出場するのは、あの金栗四三さん以来100年ぶりの快挙です。

Q代表内定の実感は?
(赤﨑選手)
「自分の夢が叶ったというのはいろんな方々の支えとか応援してくださったおかげで結果が出たのかなと思っています」

Q代表選考レースから約1週間、周りの反応はどうですか?
(赤﨑選手)
「自分が思っていた以上の方々から多くのメッセージをいただいたので、
 自分の知らないところでもいろんな方々が応援してくださっているんだなと実感しました」

Q祝福メールやLINEは返せていますか?
「やっと19日くらいですべて返し終わったかなと」

赤﨑選手のプロフィールをご紹介します。
大津町出身。開新高で本格的に陸上競技を始め、拓殖大に入学。4年連続で箱根駅伝を走りました。卒業後は九電工へ。

Q20日には母校・開新高校にも行かれた?
(赤﨑選手)
「いろんな方々がお祝いしてくれたのですごく嬉しかったですね」

Q高校時代どんな所で練習を?
(赤﨑選手)
「よく二の丸公園だったり水前寺競技場で練習しました」

Q高校時代はカラオケもお好きだった?
(赤﨑選手)
「当時はFUNKY MONKEY BABYSとか好きだったので歌っていました。『ちっぽけな勇気』が一番好きでしたね」

Q開新高校ではどんなお話を?
(赤﨑選手)
「学校創設以来の五輪代表ということだったので誇りに思うと言っていただいて嬉しかったです」

Qメダルをかけて行った高校はどうでした?
「いろんな方々に褒めていただいたというかお祝いの言葉をいただいたので、
 (代表内定を)獲得してよかったなと思います。
 ここの陸上部で練習できたのが先につながったのかなと思っています」

赤﨑選手に聞く 代表内定を勝ち取ったMGCレース

代表内定を決めたマラソングランドチャンピオンシップを振り返ります。
Qスタート前はどんな心境でした?
(赤﨑選手)
「最初にこけると危ないと思っていたので冷静に後ろの方から進めていこうかなと思っていました」

赤﨑選手は2位集団につけ、後半、前に出る機会をうかがいます。
しかし終盤で2位に躍り出ると、そのまま最後のトラックへ。
その後ろには東京オリンピック出場の大迫傑選手が迫っていました。

Qこのときの心境は?
(赤﨑選手)
「後ろから来ているというのはこわかったというのが正直ありますけど
 スピードがラストスパートがあるというのはありましたし勝つ自信はしっかりありました」

Q会場の雰囲気は?
(赤﨑選手)
「すごい大歓声だったので背中を押してもらえたかなと思っています」

それでも逃げ切った赤﨑選手。2時間9分6秒でゴールし、パリオリンピックの代表に内定しました。

Q改めてレース見てみていかがですか?
(赤﨑選手)
「日に日に代表になれたんだなという実感が少しずつ出てきています」

Q勝てた要因は?
(赤﨑選手)
「過去のマラソンで自分の課題がしっかり見つかっていたので、
 今回練習の中で課題をすべてクリアできていたというのがあって、
 今回のマラソンは今までで一番自信を持って挑めた感じです」

Q相当な努力があっての課題クリアだった?
(赤﨑選手)
「そうですね、ほぼ休むことなくしっかりと頑張れました」

Q九電工のMGC当日に着ていたユニフォーム。いつもは上が黒で下が黄色。違うのはなぜ?
(赤﨑選手)
「上が黒の方が熱を吸収しやすいということで10月でまだ暑い季節だった。逆に黄色は暑さを吸収しにくいということだったので今回MGC仕様で挑みました」
 
Qゴールした瞬間どんな気持ちでした?
(赤﨑選手)
「夢が叶ったというのと本当に叶ったのかなという不安がありました」

Qレース後のコメントで「まさかこんなに早く五輪代表になれるとは」と言っていた?
(赤﨑選手)
「しっかりパリ五輪は狙った上で行っていたんですけど、持ちタイムが全員の中で下の方だったので可能性は低いと思っていました。出場することで自分にとってプラスになることは必ずあると思っていたので少しでもなにか吸収してレースを終わりたいなというのはありました」

開新高校で陸上競技を始め拓殖大学へ

赤﨑選手の活躍は恩師にも届いていたようです。
大津町出身の赤﨑選手は開新高校で陸上競技を始めます。そして当時の岡田正裕監督に誘われて拓殖大学に入学。4年連続で箱根駅伝を走りました。当時を知る岡田監督も、先日のレースを見守っていたようです。

■拓殖大で赤﨑選手を指導 岡田正裕さん
「テレビでわくわくしながら応援していました。世界と戦うためには、2時間4~6分、せめてそのくらいのタイムを1回ぐらい出して、自分自身体で覚えさせる。気持ち的に自信を持つ。そういうことが、これからの1年間の中で大事なことだろうと思う」

Q岡田監督の言葉への受け止めは?
(赤﨑選手)
「『タイムがついてきていない』という言葉があったので
 しっかりと考えて日々の練習を頑張っていかないといけないなと思っています」

Q岡田監督とはレース後に直接連絡を取り合ったんですよね?
(赤崎選手)
「電話して直接お褒めの言葉をいただきました」

Q学生時代の練習はどのように生きていますか?
(赤﨑選手)
「拓殖大は長い距離を走るという練習が多かったので、
 自分も長い距離が好きになってマラソンにしっかり生きてきたのかなと思っています」

熊本に住む父親からサプライズのメッセージ


■赤﨑暁選手の父親・俊文さん
「暁!お父さんです!今日お母さんは来てないけど今回は本当におめでとう!お父さんホッとしました」

赤﨑選手の父、俊文さんです!MGCは現地で応援、ゴールの瞬間は急いで陸上競技場に駆けつけたそうです。

■赤﨑俊文さん
「心配はずっとあったけど信じてゴールの瞬間を見たんですね。今までに味わっていないようなふわっとした感覚で地に足がついてない。落ち着きは無かったと思うんですね」

暁選手はずっと素直な子だったという俊文さん。
幼い頃の話を聞くと…

■赤﨑俊文さん
「幼稚園の頃だったと思います。将来の夢は何と聞いたらコンビニの店長さんになりたいって言ってたんです。
 母親が何故?って言ったらポケモンのカードが好きで、コンビニでたまに買っていたもんですから、
 『コンビニの店長になったらたくさん買える』と。
 まさかコンビニの店長で来るとは思いませんでしたね。びっくりしました…」

「なんのために代表を掴んだのか自分が一番分かっていると思います。
 たくさんのメール電話もらったよね。それだけのいっぱいの方があなたを応援しています」
 人が良かったねと納得できるレースを応援して下さった方、
 熊本県民の方に陸上ファンの方に見せてあげて下さい!頑張ってね!あきら!」

Qお父さんの言葉を聞いて思うことはありますか?
(赤崎選手)
「自分がここに立てているのも自分だけの力じゃなくていろんな方々の
 応援・サポートがあってのことだと思っているので、
 感謝の気持ちをもってやっていかなきゃいけないと思っています」

Qオリンピック本番まであと10ヶ月ほど。どんな舞台にしていきたいか教えてください
(赤﨑選手)
「オリンピックに出るだけということは代表としてよくないとわかっていますし、
 代表となるからには結果を求められると思っていますのでまだ先ではありますけど
 これから1日1日大事にしていかないと今の自分の力では戦えないと思うので
 しっかりやっていかないといけないなと思っています。
 こういうことはなかなか経験できないことだと思うのでいい経験だと思って頑張っていきたいです」

Q熊本の人たちにメッセージをお願いします。
(赤﨑選手)
「今回このような結果を出せたのも皆様の応援のおかげだと思っています。
 これからも感謝の気持ちを忘れずに1日1日頑張っていきたいと思いますので
 これからも応援よろしくお願いいたします」

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