長引く避難“働く場所”を 名古屋のウクライナ料理店 母国の味が守る“避難民の居場所”
名古屋市中村区にウクライナ料理店がオープン。シェフからスタッフまで店を切り盛りするのは、日本で避難生活を送るウクライナの人々。母国の象徴を店名に掲げ、新たな一歩を踏み出す様子を取材しました。
“日本語がわからない”避難民も安心して働ける場
5月15日、名古屋市中村区にウクライナ料理「ジート」がオープン。母国を離れ、日本で生活するため、9人の避難民が働いています。
シェフを務めるのは、日本に来て約1年というモクリツキー・オレフさん。ウクライナの大学のオンライン授業を受けながら、「ジート」で働く19歳です。「今、ウクライナでは住む場所がありません。今は帰ることはできないし、日本は気に入っています」と話すオレフさん。
日本で仕事を探しており、大好きな料理を仕事にしようと、このお店でシェフになったそう。「(仕事は)ちょっと難しいです。でも、好きです。働けることは嬉しいです。(このお店で)日本人にウクライナ料理を届けたいです」とオープンへの思いを話しました。
日本ウクライナ文化協会が手掛ける「ジート」。協会ではこれまで、避難民のための日本語教室を開くなど、生活支援に力を入れてきました。「日本ウクライナ文化協会」川口リュドミラ理事長は、「高齢者は日本語を勉強しても覚えられないから働く場所がない。ウクライナの人が多いところで働いたら気が楽かなと思って、こういう場所をつくった」とオープンまでの経緯を話します。
“日本語がわからない避難民も安心して働ける場をつくりたい”
そんな思いで、地元企業の支援のもと、発案から2か月でオープンしたのが「ジート」でした。
ホールスタッフとして働くのは、岐阜県各務原市在住のマリッチ・ナタリアさん。ウクライナ・ドネツク州で警察官として働く夫を残し、約2年前に母と子供を連れて日本に来ました。
流暢な日本語を話すナタリアさんですが、「でもちょっとここは日本語…すみません、緊張してる。日本人としゃべるのが一番怖い(自信がない)」と、日本語での接客に少しだけ不安がある様子。「ウクライナ料理の何を楽しんでほしい?」という記者の質問に、「ボルシチ。それが一番」としっかりと答えました。
ウクライナ名物から郷土料理まで幅広く提供
いよいよお店がオープン。お客さんにウクライナ料理が運ばれていきます。「ウクライナのレストランがなかったので本当に嬉しいです」と話すのは、ウクライナ人の夫婦。夫婦が食べていたのは、代表的なウクライナ料理「ボルシチ」と、ウクライナの郷土料理「バーヌシ」です。トウモロコシの粉を牛乳などで煮込んだバーヌシ。日本ではあまり味わうことのできない料理です。
夫婦曰く「作り方は大体難しい」というウクライナの料理。日本で味わう“母国の味”に、「(ウクライナ料理を食べて)とても懐かしい気持ち(になった)」と笑顔を滲ませました。
また、日本人女性客は、「どれも食べやすい味ですごくおいしかった。(食べることで)支援になるかもしれないからすごく嬉しいです」と話し、日本人男性客は「(料理は)おいしいですよ。本当にお酒がすすみます。いろいろあるけど(ウクライナの人が)笑顔になれればいいな、という場所ができたんだと思いました」と、店への思いを話しました。
母国の味がウクライナ人の居場所を守る
日本で避難民達の新たな生活が始まる一方、ウクライナの危機は今も続いています。
侵攻が3年目に突入した今も戦況は激化。ロシア軍は15日、ウクライナ東部のハルキウ州で新たに2つの集落を制圧したと発表、ウクライナ側はハルキウ州の一部の部隊について事実上の撤退に追い込まれたとみられています。
法務省によると、日本にいるウクライナ避難民は2027人(2024年4月末時点)。「日本ウクライナ文化協会」の榊原ナターリヤ副理事長は、「戦争がなかなか終わっていないのはとても悲しい。(ウクライナに)帰る機会もない。今は帰れない状態になっている」と母国への思いを語ります。
川口リュドミラ理事長は、「(店を)オープンするのは、誰でもできるかもしれないが続けるのは難しい」と話し、続けて「これから、もし政府から支援がなくなった時は、自分で何とか生活しなくてはいけないから、避難民にとって、とても大事な働く場所です」と述べました。
店名の「ジート」は、“ライ麦”を意味しているそう。麦はウクライナ国旗の由来になるほど、ウクライナを象徴する存在。
母国の味を振る舞うこの店が避難民の居場所を守ります。