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【2万人に1人】太陽に当たれない色素性乾皮症の“たっくん” 「息子の人生を幸せなものにしたい」悲しみ乗り越えた親子

2024年2月19日 18:00
【2万人に1人】太陽に当たれない色素性乾皮症の“たっくん” 「息子の人生を幸せなものにしたい」悲しみ乗り越えた親子

日が暮れ、辺りが薄暗くなった愛知県尾張旭市の住宅街で、散歩に出かける親子がいる。母親の榊原妙(さかきばら・たえ)さんと息子の匠(たくみ)くん(16)。「たっくん、夜の散歩に行くよ!」妙さんに支えられて、匠くんが車椅子を押しながら歩いてくる。「匠は日が落ちてからしか外に出ることができないんです」妙さんはそう話す。

2万2000人に1人の難病“色素性乾皮症”

匠くんは色素性乾皮症という難病を患っている。日本では2万2000人に1人の割合で発症する病気で、日本には300~600人の患者がいると言われている。
遺伝性で、常染色体潜性遺伝(劣性遺伝)という遺伝形式で遺伝する。この病気の患者は、日光の紫外線によって引き起こされる遺伝子の傷をうまく修復することができず、遺伝子の傷が残ってしまう。その結果として、皮膚がんが通常の数千倍の確率で生じる。そのため“太陽に当たれない病気”とも言われている。
また、日本の患者の6割以上が進行性の神経症状を発症している。匠くんもその一人だ。
個人差はあるが、神経症状が発症すると3~5歳頃から難聴、転びやすいなどの症状が出る。運動機能のピークは6~7歳頃で、その後10歳を過ぎたころから神経、知能、身体で症状が進み、15歳ごろに言語機能は消失するとされている。
16歳の匠くんは、神経症状が進み、自力で歩行することは難しく、車いすなどにつかまりながらであればゆっくり歩ける状態で、言葉はうまく発することができなくなっている。それでも、表情や身振り手振りで、意思疎通をしようとしている。

「7歳頃をピークにやれることが減っていく…」母親の辛い心境

母親の妙さんが匠くんの異変に気付いたのは生後1年が経った頃。少し外出した後に、顔が赤くただれ、やけどをしたようになった。しばらくして赤みが引くとソバカスができたという。妙さんは、すぐに近くの皮膚科を受診したが「ただの日焼けによるシミだ」と言われた。
しかし、同様の症状が続いたため他の病院を受診したところ、精密検査を受けることを勧められ、専門外来がある神戸の病院で、1週間検査入院をした。
その結果、匠くんは神経症状を伴う色素性乾皮症であると告げられた。匠くんが2歳になるころのことだった。「なんでたっくんが難病なんだろうって思いました。遺伝子を持っていないと発症しない病気だから、私たちのせいだなって思って。できることなら代わってあげたいって何度も思った。」と妙さんは当時の辛い心境を語った。
「成長するとともに普通だったら、歩けるようになったり、ママって言えるようになったり、成長がうれしいはずなのに、匠の場合は7歳頃をピークにやれることがどんどん減ってくる。それってただただ辛い。代わってあげられないことが辛い…」
そして30歳までになくなるケースも多いというこの病気について「子どもを看取らないといけないと急に言われた感じで、どうしようかなって…」

難聴の症状が始まり悲しむ母に「ママ、聞こえてるよ」

 匠くんが小学4年生のころ、妙さんが匠くんを習い事に送り届けるため車を運転していた時に音楽を流した。いつもだったら一緒に口ずさむのだが、匠くんは窓の外をずっと見ている。まさかと思い、音楽のボリュームをかなり大きくしたところで、匠くんが歌いだした。難聴の症状が進行していたのだ。
「症状が始まっちゃったなと思ったら、涙が止まらなくて…」匠くんが習い事のレッスンを受けている間、トイレで泣いていたという妙さん。それでも匠くんに心配をかけたくないと、レッスンを終えた匠くんを迎えに行くと、匠くんは何かを感じ取ったのか、こう言ったという。「ママ、聞こえてるよ」
妙さんが心配していること、悲しんでいること、匠くんは気づいていたのかもしれない。これを機に妙さんは匠くんの前では泣くことをやめようと決意した。

目に見えない紫外線を防ぐ たっくんの戦い

 匠くんの毎日は太陽との戦いだ。匠くんの家では窓に紫外線を防ぐフィルムが貼ってあるが、ひとたび家の外に出ると、目に見えない紫外線は容赦なく匠くんに襲いかかる。そのため、外出する時は顔と手に日焼け止めクリームをしっかりと塗り、紫外線を通さない手袋を付ける。そして特製の帽子を被る。この帽子は、紫外線を遮断する特殊な布で覆われていて、前方は紫外線を通さない透明なフィルムでできている。紫外線を完全にシャットアウトすることができるのだ。
ただこの帽子、夏場は蒸れて暑く、冬場は結露ができて視野が遮られる。それでも、匠くんにとっては大切な帽子。この帽子を被って学校にも出かける。学校でも、教室移動をする際などには、この帽子を被らなければいけない。

運動会で懸命の60m完走 頑張る息子を見て「私にも、まだできることがある」

 匠くんは、病気が発症してからこの帽子を被っているが、母親の妙さんは当初、“周りの目”に悩まされていた。帽子を被る匠くんをジロジロと見たり、帽子を取ってソバカスが多い顔が見えるとコソコソと話をされたりしたことがあったからだ。“傷つきたくない”と思って外に出ることを控えていた時期もあった。
それでも“匠くんの人生を幸せなものにしたい”と思い、周りの目を気にすることをやめた。太陽に当たれないことでビタミンの生成がうまくできない匠くんの栄養管理をするために料理を勉強して料理家になった。そして色々なところに出かけるようになった。
そんな中、妙さんにとって大きな出来事があった。2022年の運動会。手足がなかなか思う通りに動かなくなっていた匠くんが、誰の力も借りずに60mを走り切ったのだ。一生懸命ゴールに向かって走る匠くんの姿を見て「まだそんなに頑張れるんだ。私も母親として、できることがまだある。」と思った妙さん。匠くんの人生をさらに幸せにしようと、あるプロジェクトを立ち上げた。その名も「たっくんプロジェクト」だ。
匠くんと同じように紫外線で苦しむ人たちが安心して過ごせる場所を増やそうと、飲食店などで紫外線防止フィルムを張ってくれる場所を増やす活動などをしている。
さらに、色素性乾皮症について知ってもらおうと絵本も作成した。タイトルは『たっくん』。絵本には、妙さんの「たっくんが生きている証を残したい」という想いもあった。

周りを笑顔にする“たっくんの魔法”

絵本の中で匠くんは周りを笑顔にする魔法を使える。「匠は誰とでも笑顔でいられるし、その笑顔を見て周りの人も笑顔になるんです」そんな匠くんの人柄を妙さんは絵本の中で“人を笑顔にする魔法”と表現したのだ。
「昔に比べるとできることは減っているけど、マイナスなことばかり考えていると気持ちもマイナスになってしまう。色々な人に会って、たっくんの周りに笑顔があふれるようにしたい」そして妙さんは笑顔で最後にこう話した。「私たちの活動を見て『こんな親子もいるんだな』『楽しく暮らしてみてもいいかもな』と思ってもらえるきっかけになれば凄く嬉しい」
色素性乾皮症という難病を患う匠くんと母親の妙さん。2人が明るく日々を過ごせているのは、匠くんの“素敵な魔法”のおかげかもしれない。

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