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【10万人に1人】病気と生きる車いすの花嫁、次なる夢は“新しい家族のカタチ”

2024年2月16日 15:00
【10万人に1人】病気と生きる車いすの花嫁、次なる夢は“新しい家族のカタチ”

全身40カ所に麻酔注射を打ち続けながらも、真摯に努力を重ね、自身の力で“夢”を叶え続けてきた塚本明里さん。素敵な縁にも恵まれ、5月に“結婚”という夢を叶える。新たな門出を迎える彼女が、次に抱いた未来の“夢”とは。

高校2年生に発症、痛みを記録した「痛み日記」

岐阜県可児市で暮らす塚本明里さん。彼女と出会ったのは、2013年1月。明里さんが23歳の頃だった。“ある病気”の影響で、一日のほとんどを横になって過ごしている明里さん。「体がこわばって痛くなっちゃう。疲れちゃうし…」と、かぼそい声で自らの症状を語ってくれた。

極度の疲労感や長時間、頭を起こしていたり、立っていることができないなどの症状がある明里さんの病気。それが、「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群」だ。原因不明の病で、国内ではおよそ10万人の患者がいると言われている。

病気を発症したのは、2006年5月。当時、高校2年生だった明里さんは、テスト中、突然動けなくなってしまった。その後、頭痛、めまい、失神、脱力感などありとあらゆる体調不良に悩まされ、内科、婦人科、神経内科、挙句の果ては精神科にも受診。その間、自らの病気の症状を記録する「痛み日記」を書くようになった。

「本当にしんどい!苦しい!」「体を脱ぎたい!」

周囲から理解されにくく、自分の身に何が起きているかさえ分からない孤独な闘いの日々。そして発症から約1年半後、ついに16人目の医師によって、「筋痛性脳脊髄炎」の診断を告げられた。さらに、明里さんは全身に激しい痛みが走る「線維筋痛症」も発症していたことが発覚。2つの病は今もなお、原因も治療法も明らかになっておらず、“難病”指定も受けていないのが実情だ。

筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群に詳しい『国立精神・神経医療研究センター』の山村隆部長は、「一般の医療機関にこの病気に対する認識があまりない。知識が普及していないというところがある」と語る。しかし一方で、病気の原因などを調べるには、あと10年や20年はかかるとしながらも、「病気の息の根を止める、そういう時代が急にやってくるような気がしますね。今、ちょっと“夜明け前”っていう感じではおります」と病気の研究が進んでいることを示唆した。

10年以上、娘の車いすを押し続けた母

22歳の時、同じ病気を抱える人々が集まる“患者会”をつくった明里さん。東海三県では初となる集まりで、毎年5月12日、同じ病気にかかっていたナイチンゲールの誕生日に「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群 世界啓発デー」のイベントを開催している。

イベントでは、啓発カラーのブルーライトでパレードを実施。さらに講話では、“単なる怠け者”と誤解を受ける「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群」について、「周りの方に支えられて恵まれて、こうやって前に出ることができるんですが、そうじゃない患者さんが、たくさんいらっしゃる。是非そういう話している言葉を信じてあげてください」と涙ながらに訴えた。

そんな娘に寄り添いながら、10年以上、明里さんの出かけたい場所へ車いすを押してきた母・弥生さん。2017年に“ミス・ユニバースに応募する”と言い出した明里さんに対しても、そっと背中を押してきた。

ミス・ユニバースのレッスン会場までは車いすを押して行けても、会場内には関係者以外は入ることができない。「お願いする時にはしっかりとお願いする。あと休憩はどこで入れるか、体の調子を自分でしっかり探るのにはいい機会」と精神的に強くなる娘の姿を楽しみにしていた。しかし、その心境を尋ねると、「このままで病人っていうだけの人生で終わらせるのは、やっぱりかわいそうに・・・、不便に思ってしまうのかも・・・」と胸の内を明かし、そっと涙をぬぐった。

全身40か所の麻酔注射で痛みを緩和

病名の発覚後、明里さんには日曜日以外、毎日出かけている場所があった。母の運転する車で片道1時間。到着したのは、痛みを緩和させることを目的とした診療科“ペインクリニック”だった。

全身40か所に麻酔注射を打つことで、数時間だが体の痛みは和らぎ、頭を起こして立っていられる時間ができる。そんな日々を重ねながら、病気と共に生きてきた明里さん。ミス・ユニバースのステージから明里さんは、“認知されない病気”で多くの人が苦しんでいる状況を人々に訴えた。続けて、「バリアフリーな社会へ信じる発信者に私がなります」とありったけの思いを伝えた。

ミス・ユニバース出場を経て、明里さんは病気の普及活動の一環として「講演活動」を開始。その活動が自治体の目にとまり、地元の「可児市ふるさと広報大使」、「岐阜県ヘルプマーク普及啓発大使」に就任した。さらに、東京オリンピックの聖火ランナーにも挑戦。ありとあらゆる場面を、病気の啓発活動の場へと繋げていった。

マッチングアプリで叶えた“結婚”の夢

さまざまな活動を続けていくなかで、明里さんには内に秘めた「夢」があった。それは「結婚」。しかし、出会いの場が少なく限られているため、現代の主流となりつつある「マッチングアプリ」を通して、2022年9月から結婚相手を探していた。しかし、メッセージのやりとりや対面で会った際、病気のことを伝えると“音信不通”に。そんななか、ついに2023年1月、明里さんは運命の人と出会うことになった。お相手は、東京に本社を構える化学メーカーの課長代理、営業マンTさん。

マッチングアプリで明里さんの病気のことを知ったTさんは、中京テレビの動画配信を実家の母と一緒に視聴。テレビ取材で何一つ隠すことなく、事実を公表し続けてきた明里さんと母の弥生さんの姿を目にした。すると、動画を一緒に見ていた母から、「こんな苦労をしてきたお嬢さんをあなたはしっかりと支えて守ってあげなさい」という言葉が。母の言葉に後押しされたTさんは、明里さんと名古屋港水族館へ初デートへ。明里さんに“結婚に前提に付き合ってほしい“と想いを伝え、二人の交際がスタートした。

結婚を前提に、順調に交際を続けていた明里さんとTさん。しかし、2月の終わりにTさんへ転勤の辞令が!東京本社へ戻ることになってしまった。転勤を受けて、挙式の準備は急ピッチで進行。Tさんは隔週で金曜日の夜に東京から明里さんのもとへ、そして日曜日の夕方に東京へ帰るという生活へ。そんな生活を続けながら、二人は式場選び、オーダーメイドの結婚指輪依頼、挙式の前撮りと着々と準備を進めていった。そして、二人は2023年11月22日(いい夫婦の日)に、明里さんの住む可児市へ婚姻届けを提出。明里さんはTさんと共に新たな人生を歩み始めた。

パートナーと築く“新しい家族のカタチ”

いわゆる“転勤族”のTさん。以前は大阪に10年、名古屋に8年暮らしており、またいつ転勤辞令がでるのか分からない。さらに海外にも支店が多く、海外転勤となったら、明里さんはついていくことはできない。そのため、明里さんの祖父母が暮らしていた「離れ」を新居として構え、Tさんが明里さんの元へと通う日々がしばらく続くという。

“いつかはTさんの元で一緒に暮らしたい”そんな想いから、明里さんはペインクリニックの主治医に、Tさんの自宅付近にある病院への紹介状を書いてもらった。タイミングを見て、紹介先の病院へ出向き、現在と同様の対症療法が行えるか受診する予定だ。しかし、その病院への移動には、母・弥生さんの介助が必要。さらに、東京でTさんと暮らすことが叶っても、万が一、明里さんの体に異変が起こった時、どこまでTさんはケアすることができるのか。順風満帆にことが進む二人だが、立ちはだかる壁は大きい。

“結婚”という節目をむかえ、明里さんには新たな“夢”が生まれた。それは、Tさんとの子供を授かること。“妊活”に取り組む上で、全身40か所に打つ麻酔注射の対症療法に問題はないという。しかし、常備薬のように飲んでいる薬の中には、末期ガン患者が飲む痛み止めの薬があり、それを飲み続けている限り妊娠は難しいと主治医は話す。

17年間、片時も離れることなく、明里さんの車いすを押してきた母・弥生さん。Tさんの存在で負担は少し減ったが、“親の亡き後”、明里さんとTさんが生活していけるのかが心配だと語る。

明里さんとTさんが共につくる、“新しい家族のカタチ”。

病気があるから結婚できない、そして出産できない。そんな固定観念に縛られたくないと2人は手を取り、立ちはだかる壁を乗り越えようとしている。
5月に、明里さんとTさんは結婚式を迎える。

常に自分の手で人生を切り拓いてきた“車いすの花嫁”は、バートナー・Tさんが待つバージンロードを、自分の脚で歩いていく――

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