“八冠復帰”を地元が応援!防衛必至の棋聖戦・王位戦は名古屋で7月開催
七冠へ後退「終盤でミスがでてしまう将棋が多かった」
藤井聡太七冠の地元・瀬戸市にある『パルティせと』。”叡王”を失冠したことにともない、タイトルの名前が入ったのぼり旗が下ろされました。旗は丁寧に丸められ、ふたたび天井へ。
『パルティせと』店舗会会長・牧オサムさんは、「一旦下ろしてまたすぐ掲げたいと思いますので。叡王がないと格好つきませんね。また来年頑張ってもらいたいです」と話します。
終盤でミスがでた藤井八冠。形勢は徐々に悪化し、20日午後6時32分、初めてタイトルを奪われました。
対局後、「終盤でミスがでてしまう将棋が多かったので、結果もやむを得ないのかなと思っている」と振り返った藤井七冠。タイトル戦敗退について、「時間の問題かなと思っていたので、あまり気にせずにこれからもまた頑張っていきたい」と答えました。
254日で崩れた、八冠のタイトル独占。前人未踏の偉業を成し遂げた“絶対王者”は、七冠へと後退しました。
小学校3年生から始まった“貴重な縁”
3度目の挑戦で悲願のタイトル獲得となった伊藤匠新叡王。21歳8ヶ月でのタイトル初獲得は、歴代8位の年少記録です。タイトル獲得後の会見で、「タイトルというのは、子どもの頃から夢に見てきたものなので、とても嬉しく思います」と嬉しさを表した伊藤新叡王。
伊藤新叡王の師匠・宮田利男八段は、「やったか!っていう感じですね。その程度です、まだまだスタートラインです。タイトル1個とったからって、あと何十個もとれよって感じです」と弟子の悲願達成を祝福しました。
5 歳の頃にサンタさんから将棋盤と駒をもらったことをきっかけに、将棋にのめり込んだという伊藤新叡王。小学2年生の頃に撮影した映像には、「将来の夢は名人です」と夢を語る伊藤新叡王の姿が残されていました。
小学3年生の頃に、藤井七冠と出会ったという伊藤新叡王。会見で伊藤新叡王は、「藤井さんとは出身が愛知と東京と離れているので、小学生の時に対戦があったというのは、本当に貴重な縁があったのかなという風には思っています。自分はずっと藤井さんを目標にやっていたというところが大きいので」と、藤井七冠との“運命の出会い”について振り返りました。
藤井七冠の師匠・杉本昌隆八段は、初めてのタイトル戦における藤井七冠の敗北は、意味があったと話します。「また八冠の可能性というのは、また新たに来年以降あるわけで、長い目でみれば、今回の藤井叡王の敗戦は決して悪いものではなかったと思っています。強力なライバルが誕生したということですよね。ライバルの存在が、その棋士の成長をより高めてくれるというのはあると思う」と語りました。
地元・瀬戸市は“七冠メニュー”で応援
叡王戦五番勝負の第5局から一夜明けた21日。藤井七冠の地元・瀬戸市にある『喫茶スマイル』では、”八冠お祝いメニュー”の見本がすべて取り除かれていました。八冠の名前を関したメニューについて、『喫茶スマイル』鈴木松子さんは、「もう全部、今日から販売できません。現実受け止めないといけないんでね」と話します。
一方、瀬戸市役所では、八冠達成時に作成された懸垂幕が掲げられたままとなっていました。市によると、「懸垂幕は八冠をとったことを祝うためのものなので、今のところ下げることは考えていない」ということです。
瀬戸市内では、“八冠お祝いメニュー”を取りやめ、“七冠メニュー”を新たに制作したとうカフェも。市内にあるカフェ『花ごよみ』では、7種類のネタをのせた海鮮寿司や、本来は8つにカットする味噌カツを7つにカットした味噌カツ丼などを新たに販売。
『花ごよみ』の林忠秀店長は、「残念ながら(八冠メニューは)なくなってしまったんですが、今回七冠にちなんで新しいメニューをつくりましたのでそちらで対応します。もし、八冠になっていただくようなことがあれば復活します」と話しました。
惜しくも敗れてしまった藤井七冠。対局後の様子から、かなり苦戦した様子がうかがえました。八冠独占を崩された藤井七冠ですが、地元のファンとしては、また八冠に返り咲いてほしいところ。
そのためには、次の叡王戦で勝つことが必要になります。叡王戦は1年に1回。つまり八冠復帰は、最速でも約1年後ということになります。
来年の叡王戦では、藤井七冠は一期前の叡王のため、段位ごとに行われる予選は免除。来年1月~3月に行われる、棋士16人による、本戦トーナメントに参加します。16名によるトーナメント戦のため、4回勝ち抜くと、“挑戦者”として、伊藤匠・叡王と対局することができます。
この戦いに勝利に、再び“八冠”を願うのがファンの気持ち。しかし同時に、残り7つのタイトル戦でも負けることなく、1年間にすべて防衛することも必要になります。
どちらの対局も愛知県名古屋市にて実施だということです。