「失敗があるとエンジニアは強くなる」 H3ロケット打ち上げ成功までの2516日 挑戦を続けた技術者たちの記録
2月17日、午前9時22分55秒。日本のH3ロケットが打ち上げられ、無事成功した。
プロジェクト開始から10年。その道のりは困難を極め、去年の打ち上げ失敗では悪夢を見た。しかし、技術者たちは諦めることなく、「Return to Flight(リターン・トゥ・フライト)」を合言葉に突き進み、見事な復活劇を見せた。
これは、幾度も襲いかかる困難に負けず、挑戦を続けた技術者たちの記録だ。
▼ロケット開発競争の切り札「H3ロケット」 成功の鍵を握るのは新型エンジン「LE-9」
10年前から開発が始まったH3ロケットは、激化する世界のロケット開発競争に打ち勝つための日本の切り札だ。当初の開発費は1900億円。信頼性とコストダウンが使命となった。
この一大プロジェクトの責任者に任命されたのは、JAXAの岡田匡史(まさし)。愛知県知立市出身の岡田がこの世界に飛び込んだきっかけは、勉強嫌いだった中学生のとき、アメリカ・アポロ計画のロケット打ち上げを偶然テレビで見たことだった。
そんな岡田が「H3ロケット成功の鍵を握る」と語るのが、新型エンジンLE-9だ。
JAXA H3ロケットプロジェクトマネージャ 岡田匡史:
「約25年ぶりの大きな設計見直しをしている。我々としては新しい気持ちで取り組んでいる。このLE-9エンジンなしでは、H3ロケットは成り立たない」(2017年11月取材)
岡田が期待を寄せるLE-9。その開発は、愛知県で着々と進められていた。
▼「不安はどんなにやっても残る」 LE-9の全てを把握する男が迎えた最初のヤマ場
重量2.4トン、全長3.75メートル、従来と比べて推力は約1.4倍にパワーアップした新型エンジンLE-9の開発は、愛知県にある三菱重工の小牧北工場で行われていた。設計したのは、三菱重工の前田剛典(たけのり)。同僚から「歩くトリセツ」と呼ばれる、LE-9のすべてを把握する男だ。
2018年9月、LE-9はエンジンと燃料タンクをつないで行うBFT試験のため、秋田県の山中にある田代試験場へ運ばれた。ここで最初のヤマ場を迎える。プロジェクトマネージャの岡田も「特に(BFT試験の)初回のエンジン着火は非常に重要なハードル」と語る。設計者の前田は、試験に向けて着々と準備を進めていた。
三菱重工 LE-9エンジン設計者 前田剛典:
「(BFT試験で)最低限したいのは、エンジンを立ち上げて、所定の秒時燃やして、停止させること。不安はどんなにやってもちょっとは残ってます」(2019年1月取材)
2019年1月、いよいよBFT試験が始まった。コントロールセンターで大勢の技術者が見守る中、エンジン着火のカウントダウンが進んでいく。すこぶる順調なように見えたが、突然「緊急停止」のアナウンスが室内に響いた。燃料タンクの圧力に異常が認められたのだ。
このまま試験は中止になってしまうのか…。しかし、前田をはじめ、その場にいる誰もが諦めていなかった。2時間半後、再びカウントダウンがスタート。すると、張り詰めた空気を打ち破るように、すっかり暗くなった山中がパッと明るく照らされた。無事、エンジンに着火したのだ。目標の燃焼時間をクリアし、エンジン停止。コントロールセンターに歓声が上がり、ようやく前田も笑顔を見せた。
三菱重工 LE-9エンジン設計者 前田剛典:
「まだスタートだと思うんですけど、無事に試験を終わらせることができて、本当に安心しました。火が付いてデータが出てきて、燃焼の映像が出てきた時は震えました」
最初のヤマ場を技術者たちの執念で乗り越えた瞬間だった。
▼2度の延期と打ち上げ失敗 足踏みが続いた日本の新型ロケット開発
2019年12月。ここまでH3ロケットの開発は順調だった。ロケット先端部分の衛星を守るカバー“フェアリング”が開くかどうかの試験も成功し、岡田の表情からも自信が見て取れた。
ところが、打ち上げを半年後に控えた2020年9月、突然、延期が発表された。新型エンジンLE-9に不具合が起きたのだ。徹底的な原因究明と燃焼試験が続くが、事態は一向におさまらず、2022年1月には2度目の延期を発表。打ち上げは2年遅れとなり、開発費用297億円が追加された。
ようやく打ち上げが行われることになったのは2023年2月のことだった。種子島には全国からロケットファンが押し寄せ、打ち上げの瞬間を見ようと待ちわびていた。
しかし、H3ロケットが飛び立つことはなかった。補助ロケットに着火せず、打ち上げは中止となった。岡田は会見で、打ち上げを楽しみに待ってくれていた子どもたちを思い涙を見せた。
それからわずか1か月後の同年3月、再挑戦の機会が訪れた。カウントダウンが始まり、課題であった1段エンジンLE-9も無事着火。機体は宇宙へ向けて飛び立ち、今度こそ打ち上げは成功したかのように見えた。
しかし、最悪の事態が起こってしまう。
「ミッションを達成する見込みがないとの判断から、指令破壊信号を送信しました」
管制棟に指令破壊のアナウンスが流れ、技術者たちは静まりかえった。1段エンジンは機能したが、2段エンジンに着火せず、H3ロケットは指令破壊されたのだ。岡田は頭を抱えて崩れ落ちた。ただただ呆然とし、もう涙を見せることすらできなかった。
新型ロケットが指令破壊される異例の事態となり、日本の新型ロケット開発は足踏みを続けることになった。
日本の打ち上げがストップする中、アメリカではスペースXのイーロン・マスクや、アマゾンドットコム創始者のジェフ・ベゾスが、派手な打ち上げを繰り返していた。中国も負けていない。10年前と比べると成功した打ち上げは5倍になっていた。
一方、日本は、2022年のイプシロンロケット失敗をはじめ逆風が続き、2023年の打ち上げ成功もわずか2回にとどまった。
▼「世界に誇れるエンジンになった」 失敗を希望に変えて再びスタートラインへ
2023年10月、愛知県の飛島工場では、H3ロケット2号機が入ったコンテナが塩と御神酒で清められていた。いよいよ次の打ち上げに向け準備が始まったのだ。愛知県で積み込まれた機体は3日間の船旅で種子島へ運ばれた。
同年11月、打ち上げ3か月前となり、機体に1段エンジンLE-9を取り付ける作業が行われていた。去年の失敗後、「出口の見えない闇をさまよっているよう」と話していたプロジェクトマネージャのJAXA岡田だったが、8か月ぶりに会ったその表情には、笑顔が戻っていた。
岡田が「世界に誇れるエンジンになってきている」というほど、LE-9は万全のようだ。打ち上げ失敗の原因となった2段エンジンも、トラブルを起こした可能性のある部品の交換が行われた。不安や課題をひとつひとつ潰しながら暗闇の中を歩み続け、ようやく出口を見つけたようだ。
2024年1月、打ち上げ1か月前、ロケットの先端にRTF(リターン・トゥ・フライト)という文字が刻まれた。打ち上げに失敗した後、技術者たちが合言葉にしていたものだ。機体に記されたその文字は、全国のファンが寄せた3000ものメッセージで形作られていた。力強い後押しを受け、共に宇宙へと飛び立っていく。
打ち上げ4日前には、機体にふたをするクローズアウトという作業が行われた。
JAXA H3ロケットプロジェクトマネージャ 岡田匡史:
「エンジニアと会話しても不安感はあまりなくて、やり切ったというすがすがしい感じ。ただ、1回失敗してしまっているので、本当に何が起きるのか分からない。今度は何も起こらないでほしい、やり尽くしたんだから」
そして、2月17日 午前9時22分55秒。去年の失敗を希望に変えて、日本の未来を背負って、H3ロケットは飛び立った。
大気を切り裂き、機体は宇宙に向けてぐんぐん進んでいく。ここまでは順調だが、まだ気は抜けない。今回の大きな目的はふたつ。前回着火しなかった2段エンジンを計画通り着火・燃焼させること。そして、計画通り停止させることだ。管制棟の空気が張り詰める中、2段エンジンの着火を確認。それから約10分後、ついに…。
「第2段エンジン 第1回燃焼停止」
2段エンジンの停止を知らせるアナウンスが響き渡った。ついに打ち上げに成功したのだ。管制棟に割れんばかりの拍手と歓声が上がった。喜び抱き合う者、握手を交わす者、ガッツポーズをする者、誰もがみんな、涙と笑顔で顔をぐちゃぐちゃにしていた。もちろん、LE-9設計者の前田も例外ではない。
三菱重工 LE-9エンジン設計者 前田剛典:
「長かったという感じです。これを1年前にやりたくて頑張ってて、今日、みんなで喜べたのが何よりうれしいです」
プロジェクトマネージャの岡田は、仲間たちと喜びを分かち合った後、打ち上げ成功を報告する記者会見を開いていた。会見で終始笑顔だった岡田は、最後に力強くこう語った。
JAXA H3ロケットプロジェクトマネージャ 岡田匡史:
「ロケットの失敗はやっちゃいけないこと。ただ、失敗があるとものすごくエンジニアが強くなる。この1年で強くなったエンジニアに『後はよろしく頼むぞ』という思いでいる」
度重なる延期、そして失敗からの見事な復活劇。しかし、H3ロケットはスタートラインに立ったにすぎない。これからどんな活躍を見せてくれるのか。ここからが勝負だ。