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平安時代から続く“渡し船”、大雨被害から約9ヶ月ぶりに運航再開 愛知・豊橋市

2024年3月4日 19:08
平安時代から続く“渡し船”、大雨被害から約9ヶ月ぶりに運航再開 愛知・豊橋市

記録的大雨による川の増水で、流されてしまった“渡し船”。運航休止から約9ヶ月、新しい船となって復活を果たした。1000年以上もの間、豊橋市民の“交通手段”として親しまれてきた渡し船は、再び新たな歴史を刻み始めた。

豊橋市民に1000年以上親しまれる“牛川の渡し”

愛知県豊橋市を流れる豊川の両岸、大村町と牛川町をつなぐ“渡し船”。船頭が竹竿で川底を押して進む全国的にも珍しい人力の船で、そのルーツは平安時代までさかのぼるという。

豊橋市の人々に“牛川の渡し”として親しまれてきた渡し船。実は約9ヶ月もの間、運休が続いていた。昨年6月、記録的な大雨で豊川が増水。渡船場に停船していた渡し船「ちぎり丸」は、係留していたロープが切れ、流されてしまっていたのだ。

「ちぎり丸」船頭の荒津圭伺さんは、昨年6月の大雨の日のことを日誌に記録していた。「6月2日 警戒レベル4になったので退場します」「4時45分 ちぎり丸確認できず」など日誌に記された船の状況。豪雨で流された「ちぎり丸」は、昨年11月に渡船場から25㎞も離れた田原市の港で見つかった。

先代の船「ちぎり丸」が作られたのは、約27年前の1997年。それから廃船になるまで、渡船場の位置は変化しながらも、多くの人を運び続けてきた。豊橋市の人々にとって、身近な交通手段のひとつでもある“渡し船”。「ひょっとしたら、このまま渡し船がなくなっちゃうかもという心配しました」と、荒津さんは豪雨後の心境を振り返りました。

再開に向け、カヌーで船を漕ぐ自主練

迂回すると車で10分かかる道を5分でつなぐ渡し船。豊橋市が管理する“市道”であることから、約900万円かけ新しい船を作ることになった。先月、渡船場には、運航再開に向けて準備を進める荒津さんの姿が。竹をブラシで洗い、船を漕ぐ際に使用する“竹竿”を作っていた。

長さ7mにもおよぶ竹竿。消耗品のため、毎年船頭の荒津さん手作りしていたのだ。青い竹を火であぶり強度を高めていくが、1本作るのに丸1日かかるそう。「せっかく新品の船が来るので、完璧の状態で来た人に喜んでもらえるように、準備をすすめています」と話す荒津さん。運休中には体力と感覚が衰えないよう、勤務時間外にカヌーで船を漕ぐ自主練を行うなど、運航再開に向けて準備を重ねてきた。

100人以上の市民が祝福!渡し船が運航再開

2024年3月3日、ついに“牛川の渡し”は運航を再開。新しい船の名前は、以前と同じ「ちぎり丸」。手すりやイスの土台などは、廃船になった船のものを再利用している。また渡船場では、再び船が流されることがないよう、船を係留する柱を長くするなど対策が施されていた。

約9か月ぶりの運航のはじまりを見届けるべく、船渡場には豊橋市民100人以上が集合。そのなかには、豪雨で船が流されてしまった日、遠足で“渡し船”を体験するはずだった豊橋市内のこども園に通う園児たちの姿も。園児たちの手には、楽しそうに船に乗る様子が描かれた絵。運休の間、園児たちは渡し船について調べるなど、再開を待ち望んでいたのだ。

渡船場は夕方まで再開を祝う人々で溢れていた。こども園の子供たちは「初めて乗ったら気持ちよかった」、「楽しかった」など初めての渡し船を満喫。また、以前船を通勤に利用していた女性は、「まるで昨日のことのように、あのブランク(運休)を感じさせない。もう荒津さんには話しましたけど、明日からまた(通勤に)利用します」と笑顔をみせた。

荒津さんの首元には、渡船場に訪れた人々からプレゼントされた花輪がかけられていた。街の人々の温かい言葉の数々に荒津さんは、「ありがたいよね。船乗ってくれる人は、本当にいい人ばっかりなんで。この先“牛川の渡し”、まだ先が長いぞという実感がしました」と嬉しさを滲ませた。

1000年以上市民に愛されてきた「牛川の渡し」。新しい船と共に、新たな歴史を刻んでいく。

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