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阪神・淡路大震災から30年 翌日の夜明け前に現地入りした福岡市の救助隊員 苦い記憶と教訓

2025年1月18日 8:31
阪神・淡路大震災から30年 翌日の夜明け前に現地入りした福岡市の救助隊員 苦い記憶と教訓

阪神・淡路大震災が発生した当日に、福岡市から現地に派遣された救助隊員がいます。30年前の記憶と経験はその後、災害対応を強化するためのいしずえとなりました。今の私たちが学ぶべき教訓とは。

30年前の1995年1月17日、兵庫県を震源とする最大震度7の地震が発生しました。この大震災で亡くなった6434人のうち、およそ8割は家屋の倒壊による圧死や窒息死で、1割近くは火災によって亡くなりました。

発生当日、福岡市消防局から神戸市に派遣された救助隊員がいます。現在、南消防署の副署長を務めている山本学さん(58)です。

■南消防署・山本学 副署長
「当時、国内でよそ(福岡市外)から応援をするという体制がしっかりとできておらず、自宅で派遣されるのを待っていた。」

福岡市から現地に向かった最初の部隊の1人だった山本さんが、神戸市に入ったのは翌日の夜明け前でした。

■山本さん
「ほとんどの人が寝ている状態で、そのまま建物の中に閉じ込められた。この辺りで寝ていただろうというところを探りながら掘り進んで、中からその人を助け出すという作業を行っていった。生存されている方を助けることはできなかった。」

山本さんたちは、倒壊した建物に取り残された人の救助活動を想定していましたが、被災地で求められたのは目の前の火を消すことでした。

■山本さん
「クレーンが付いた大型の救助車両を現地に持って行ったが、あちこちで火災が発生していて、現地の消防から『消火活動できる車はありますか』と聞かれて『持ってきておりません』と。」

後日、消防車が到着しましたが、別の問題が明らかになりました。

■山本さん
「よそ(市外)の消防本部と福岡市の消防本部が使っているホースの規格が違って、一緒に(消火)活動するのが難しかった。」

水道管が破裂して消火栓が使えないケースもあり、山本さんは改めて水の大切さを痛感したといいます。

国は、この大震災をきっかけに災害対応を見直し、全国相互の応援が可能となるよう規格の統一などが進められました。さらに、災害時に人命救助にあたる高い技術を持った新たな部隊が誕生しました。

■山本さん
「『緊急消防援助隊』という制度ができて、被災地の消防本部だけでは対応できないような災害があった時に、全国から応援を集める体制ができた。」

福岡市消防局には現在、51の「緊急消防援助隊」が組織され、隊員は197人です。日々、厳しい訓練を重ね、これまでに熊本地震をはじめ豪雨災害の被災地などで、多くの命を救ってきました。

様々な災害の被災地を見てきたプロの視点から、市民に向けて備えの必要性を発信しているのが福岡市民防災センターです。そこに「命を守る食事」について紹介するコーナーがありました。

■奥村誠悟記者
「チキンライスやビーフンなど、おいしそうな料理がずらっと並んでいますが、全て災害時に役立つ調理法で作られています。」

「防災レシピ」は、備蓄品を耐熱性のポリ袋に入れ、カセットコンロで湯せんすることで食べることができる料理です。洗い物やゴミが少ないほか、別のメリットもあります。

■福岡市民防災センター・大石啓介さん
「災害時は水は貴重なものになりますので、水を節約するという点でおすすめの調理法となっています。」

さらに、給水車が来た時に水を入れる容器の備えも大切だといいます。

こちらは2023年に福岡県が実施した、水の備蓄に関するアンケート結果です。4人に1人が「備蓄なし」と回答しており、その理由としておよそ15パーセントの人は「すぐに災害は起きないから」と回答しています。

1月13日に宮崎県沖の日向灘で発生した地震では、2024年8月以来、2回目となる南海トラフ地震臨時情報が発表されました。

国は15日、南海トラフでマグニチュード8から9クラスの巨大地震が、今後30年以内に発生する確率を80パーセント程度に引き上げました。その日は確実に近づいていると指摘しています。

6434人の命を奪った阪神・淡路大震災から30年の節目となる17日、自分や大切な人の命を守るための備えを見直すきっかけにしてみてはいかがでしょうか。

※FBS福岡放送めんたいワイド2025年1月17日午後5時すぎ放送

最終更新日:2025年1月18日 8:36