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【様々な困難を乗り越え…極太の麺が特徴】福島県民熱愛グルメ「なみえ焼そば」を深掘り

2024年5月13日 21:30
【様々な困難を乗り越え…極太の麺が特徴】福島県民熱愛グルメ「なみえ焼そば」を深掘り
震災、原発事故を乗り越えて、いまや福島県民熱愛グルメとなった「なみえ焼そば」。

その魅力を直川貴博アナウンサーが深掘りしました。

太平洋に面した福島県浪江町のとっておきが…なみえ焼そばです。

「道の駅なみえ」へ向かうと…全身ソース色で現れたのは、浪江町のご当地ヒーロー「焼きそばマン」です。

ご当地ヒーロー焼きそばマンは、SNSやイベントなどで、なみえ焼そばをPRしています。

道の駅にある食堂「フードテラスかなで」です。

なみえ焼そばの基本は…ラードをしいた鉄板に、具材は、シンプルにモヤシと豚肉だけ、そして使用する麺は、極太のゆで麺です。

最後に、ウスターソースなど、4種類をブレンドした濃厚でコクのある甘辛い自家製ソースを加え完成します。

なんといっても大きな特徴は、この極太の麺で、麺の太さは、約5ミリ。

なみえ焼そばの麺を一手に引き受けている製麺所=「旭屋 相馬工場(福島県相馬市)」を訪ねました。

なみえ焼そばが誕生したのは、約65年前、一次産業が盛んだった浪江町で、農業や漁業の労働者向けに食べ応えと腹持ちの良い食事をと、太い麺で考案されたと言われています。

最近では、鶏ガラなどでとったスープに焼そばをそのまま入れた、その名も「なみえ焼そばラーメン」が生まれています。

いまや、多くの人に知られるようになった「なみえ焼そば」ですが、これまで様々な困難を乗り越えてきました。

浪江町は、2011年の東日本大震災と原発事故で、町全体が、一時、避難指示エリアになりました。

13年が経過し、避難指示は、少しずつ解除になりましたが、なみえ焼そばを作る店主たちは、高齢化や避難生活の長期化で店の再建が困難に…

その浪江町から、60キロ以上離れた二本松市へ避難し、店を再開した人もいます。

1976年創業の食堂「杉乃家」、店を切り盛りするのは、店主の芹川輝男さんと妻の春子さん、そして、息子の勇慈さんの親子3人。

芹川さんは、二本松市に避難してきてから、約4か月後に二本松市で店を再開しました。

杉乃家の芹川輝男店主は、みんなが「絶対に、そのまま埋もれてはダメだと、二本松で何とか店を探すから、店を出せ」と応援してくれたことが力になったと話します。

杉乃家のなみえ焼そばは、中華鍋を使用し、豚肉、もやしを強火で一気に炒めます。

隠し味に使う醤油ダレは、あら塩などで作った自家製で、コクが出るといいます。

そして、極太の麺と甘辛いソースを絡めれば、杉乃家のなみえ焼そばの完成です。

二本松市に店を構えて、まもなく13年ですが、浪江町の人だけでなく、県内外からも多くの人が訪れる人気店になっています。

杉乃家の芹川輝男店主は「元気なうちは、ここでなみえ焼そばを作って、みんなに喜んで貰うということで頑張る」と話しました。