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2月6日に88歳で亡くなった「世界のオザワ」 26年前に鳴門市でタクトをふるったあの日【徳島】

2024年2月14日 19:00
2月6日に88歳で亡くなった「世界のオザワ」 26年前に鳴門市でタクトをふるったあの日【徳島】
アメリカのボストン交響楽団や、ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めるなど、国際的に活躍した指揮者小澤征爾さんが2024年2月6日に亡くなりました、88歳でした。

世界中の人々を魅了してきた「稀代のマエストロ」が26年前、徳島県鳴門市でタクトをふるったあの日のことを振り返ります。

明石海峡大橋が開通し、四国と本州が一本の高速道路で結ばれた年


「神戸側、淡路側、両側から出発したパレードが真っ青な海の上で出会いました」

1998年4月5日、明石海峡大橋が開通し、四国と本州が一本の高速道路で結ばれました。

この67日前、鳴門市で行われた一大イベントがありました。

「世界のオザワ」が鳴門の地に


「もうお会いできることが幸せというか」
「もう楽しみで楽しみで、きのうもなかなか寝つけませんでした」

神戸鳴門ルートの全通を祝って行われた、小澤征爾さん指揮による「第九」の演奏会。

世界のオザワ」は、今はもうない高速船に乗ってやってきました。

(小澤征爾さん(当時62歳))
「どこでやっても『第九』は僕たちにとってはすごい大事な曲なんだけど、ここは違う意味もあるから、やってみないとわからない。でも、地元の人たち、コーラスを一生懸命練習してたというから、それはすごい楽しみですね」

ベートーヴェンの交響曲「第九」は、第一次世界大戦中、鳴門市の板東俘虜収容所に収容されていたドイツ兵捕虜たちによる演奏が、アジア初演とされています。

人道的な運営方針をとる松江豊寿所長が、捕虜たちに自由で文化的な活動を許したのが「第九」の初演につながりました。

そんな鳴門の地で第九のタクトをふるうのは「世界のオザワ」にとっても特別なことだったに違いありません。

本番前日 1998年1月27日


演奏会の会場となったのは、鳴門市文化会館

(小澤征爾さん(当時62歳))
「(「みんな集まって練習してます」)あ、もう、やってるんですか」

本番の前日、合唱団のメンバーと初めて顔合わせをした小澤さんは、さっそく指導を始めました。

「フロイデ(喜び) フロイデ(喜び)」

メンバーは、県内の人を中心にオーディションで選ばれた男女65人。

「フロイデ(喜び)」

(小澤征爾さん(当時62歳))
「急がないで」

「アー・レメンシェン(すべての人々を)」

(小澤征爾さん(当時62歳))
「アー・レメンシェン(すべての人々を) みんな みんな アー・レメンシェン アー・レメンシェン」

「ただ一言、感激です。大変のせてもらい、非常にリラックスできました」
「小澤先生の世界にのまれてしまったというか、風が小澤先生という感じでした」

歓喜の歌

熱のこもった合唱指導は1時間続き、いよいよ明日は本番です。

本番当日 1998年1月28日


そして、迎えた本番当日。

滅多にお目にかかれない世界的指揮者が紡ぐ「第九」の世界に浸ろうと、会場は満員の聴衆で埋め尽くされました。


~神戸鳴門ルート全通記念「第九演奏会」~
小澤征爾 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


徳島県の人を中心にした徳島全通記念合唱団も晴れ舞台に立ち、「歓喜の歌」を高らかに歌い上げました。

「第九」アジア初演の地・鳴門での圧巻の演奏は、訪れた約1500人の観客を魅了しました。

その演奏に、大きな拍手が絶えることなく送られました。

演奏を終えて...刻まれた新たな「第九」の歴史


「もう終いの方は、自分が歌い終わったら涙が出てきました。(Q.どんな思い出になりましたか?)もちろん一生の思い出になったと思います」
「一生の思い出どころか、代々語り継ぐ思い出というか、心の家宝に」

小澤征爾さん、私たちは、私たちが大切にしてきた鳴門の「第九」の歴史に、未来へとつながる新たな1ページを刻んでくれたあなたのことを決して忘れません。


鳴門で「第九」の指揮をとった当時、小澤さんは62歳。

この4年後にクラシック音楽界の世界最高峰となるウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任しています。

まさに指揮者としての絶頂期に実現した奇跡のコンサートでした。

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