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災害復興を歌で後押し 熊本を愛した八代亜紀さん ふるさとでは突然の別れを惜しむ声

2024年1月10日 18:43
災害復興を歌で後押し 熊本を愛した八代亜紀さん ふるさとでは突然の別れを惜しむ声
「舟唄」など数々のヒット曲で知られる八代市出身の歌手、八代亜紀さんが、12月30日に亡くなりました。73歳でした。日本を代表する歌手として活躍する一方、熊本地震や熊本豪雨の被災地を何度も訪れるなど、いつもふるさとを気にかけてくれた八代さん。県内からは別れを惜しむ声が聞かれました。

(みなさんご紹介いたします。熊本出身、八代亜紀さんです!)
3年前の2021年10月、KKTの番組「てれビタevery.」に出演した八代亜紀さん。代表曲のひとつ「舟唄」をアカペラで披露してくれました。

九州産業交通(今の九州産交グループ)に入社し、バスガイドを経て、1971年に歌手デビューした八代さん。独特の歌声と高い歌唱力でヒット曲を連発しました。

突然の訃報に地元の八代市では。

■女性
「ショックでした。まさかと思って…。いつも出演するラジオ番組を 聞いていたんですけど」
「お亡くなりになったのは寂しくて辛いんですけど、苦しさからも辛さからも解き放たれていらっしゃるんじゃないかと、ご冥福をお祈りするばかりです」

1980年には「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞。日本を代表する演歌歌手となりました。

( ただいま~)
2004年11月には、出身地の八代市で新曲披露会を開催。ふるさと・熊本を愛し、幾度となく歌声を披露しました。
近年は、熊本地震や熊本豪雨の被災地にも訪れた八代さん。傷ついたふるさとの姿に心を痛めながらも、歌声で復興を後押ししました。

2004年、熊本で初めて開かれた八代さんの絵画展。趣味の絵画ではその表現力が評価され、フランスの国際的な美術展で5年連続の入選を果たすなど、アーティストとしての才能も発揮しました。

所属事務所によりますと、八代さんは去年9月、膠原病の一種で指定難病の抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎を発症。療養を続けていましたが、12月30日に亡くなりました。

■キャバレー「ニュー白馬」 池田義信社長
「びっくりと残念とまさかという感じです」

こう話すのはキャバレー「ニュー白馬」の池田義信社長。デビュー前の八代さんは、この店のステージで歌を披露していました。
■キャバレー「ニュー白馬」 池田義信社長
「八代の宝ですよ。うちの店の宝です。それを亡くしたのは本当に信じられないくらいショックです。お疲れさん、安らかにおやすみなさいと言うしかないですね。ありがとうございましたと言うしかないです」

八代さんが描いた絵をふるさと納税の返礼品にしていた八代市では。
■八代市 中村博生市長
「心からお悔やみを申し上げます。八代のPRは全国的に発信していただいたという思いが強いですね。本当に感謝の気持ちでいっぱいです」

2013年から八代さんが毎週電話出演していた地元ラジオ局の番組「今日も八代亜紀晴れ」で共演していたパーソナリティの前田美紀さんは。
■前田美紀さん
「接していくうちに、亜紀さんの暖かさとか八代を思う心が私自身にも伝わりましたし、それを聞いているリスナーのみなさんにも伝わっていたんじゃないかと思っています」

明るく、誰にでも優しい性格で愛された八代さん。その歌声は、これからも県民の心に残り続けます。