被災地に元気与える学生ボランティア 氷見
能登半島地震の被災地でボランティア活動に取り組む学生たちを支援しようと、氷見市の住民が滞在する拠点を提供しています。
「被災地には学生の元気さが必要」と話す住民の思いを、岡川記者が取材しました。
崩れた塀を撤去する作業のようす
「じゃあ右から持ちますね。せーの!」
「先降ります」
「はーい、一緒に降りよう、いちに、いちに」
3月1日、地震で大きな被害を受けた氷見市内で住宅の崩れたブロック塀を撤去していたのは、東京のNPO法人、国際ボランティア学生協会=IVUSAのメンバーです。
IVUSAは、1月から週末を中心に、氷見市と石川県珠洲市でボランティア活動を続けています。
メンバーの多くは、関東や関西の大学に通う学生です。
東京都市大3年 小川翔世さん
「お宅の方って、毎日過ごされている中で崩れてしまった様子を見た時にすごく自身のことを思い出して不安になってしまったり、心が落ち着かなくなったりというところも出てくると思うので、私たち大学生だからこそ、被災された方の安らぎというか、少しでも落ち着いてもらえたらなと」
この日、メンバーは崩れた塀の石を持ち運びやすい大きさに砕き、トラックに積み込んで市内の災害ごみ置き場へ運ぶなど精力的に活動しました。
そんな学生たちに自宅を開放し、寝床や食事場所を提供しているのが、この地区に住む指崎泰利さんです。
指崎さんは東日本大震災以降、宮城県山元町の被災者と交流を続けていて、特産品のいちごの販売や、復興支援コンサートの開催などを行ってきました。
元日の能登半島地震では自宅が被害を受けるなど、自身も被災者となり、突然襲ってくる災害の怖さを改めて知ったといいます。
指崎泰利さん
「もう呆然ですね。もう何にも言葉が出ないぐらい。帰ってきたら玄関に入れないんですね。至る所で棚が倒れる、ガラスが割れる、もうどうしていいかわからない。考える余裕もなかったですね。被災するっていうことはこういうことなんだ、みたいな」
そうした中、交流のあった宮城県のボランティア団体から「IVUSAが活動拠点を探している」という連絡が入りました。
地震から11日後には、指崎さんは全国から集まった学生たちを自宅に招き、自宅の隣の建物も活動拠点として提供しました。指崎さんの亡くなった母親が8年前まで営んでいた食堂です。
店を畳んだ後、厨房は荒れ放題となっていましたが学生たちはきれいに片付けてくれたといいます。
指崎泰利さん
「僕も死ぬまでにこれ片付けられるんだろうかと思うくらいの、そういう散らかり方でした。本当にもう彼らには感謝しかない。本当に、天国の母も喜んでると思う」
きれいに片づいた元食堂の厨房は今、炊き出しの準備にも活用されています。
IVUSA本部事務局 箭野純貴さん
「他の災害であれば体育館や地域の公園をお借りして、そこにテントを立てたり、という形になるので、こうやって雨風をしのげるだけではなくて、ご飯をつくれる場所や、物を置かせていただく場所を提供いただいているというのは、我々にとっては非常にありがたいです」
学生たちの活動は、壊れた家屋の復旧作業だけに留まりません。
埼玉大3年 小熊日花さん
「ある種“孫”みたいな感じで扱ってくださるので、ちょっと距離を敢えて近くお話させていただいたりとか、心のケアとかお話聞くってだけでもすごく変わってきますし、学生ならではで『被災地に元気を置いてこよう』っていうのは一つモットーとしてやっている部分でもあります」
指崎泰利さん
「被災地にはそれが一番いいと思う。この辺は限界集落に近い、65歳以上の方がほとんどみたいな所なんですけど、若い学生が来て力仕事何でもやってくれる。それも本当にありがたいですけれども、一番ありがたいのはやっぱりあの元気ですね。我々も頑張ろうと思えるようになります」
学生ボランティアが被災地にもたらした笑顔の輪。
支え合いの活動はこれからも続いていきます。
「被災地には学生の元気さが必要」と話す住民の思いを、岡川記者が取材しました。
崩れた塀を撤去する作業のようす
「じゃあ右から持ちますね。せーの!」
「先降ります」
「はーい、一緒に降りよう、いちに、いちに」
3月1日、地震で大きな被害を受けた氷見市内で住宅の崩れたブロック塀を撤去していたのは、東京のNPO法人、国際ボランティア学生協会=IVUSAのメンバーです。
IVUSAは、1月から週末を中心に、氷見市と石川県珠洲市でボランティア活動を続けています。
メンバーの多くは、関東や関西の大学に通う学生です。
東京都市大3年 小川翔世さん
「お宅の方って、毎日過ごされている中で崩れてしまった様子を見た時にすごく自身のことを思い出して不安になってしまったり、心が落ち着かなくなったりというところも出てくると思うので、私たち大学生だからこそ、被災された方の安らぎというか、少しでも落ち着いてもらえたらなと」
この日、メンバーは崩れた塀の石を持ち運びやすい大きさに砕き、トラックに積み込んで市内の災害ごみ置き場へ運ぶなど精力的に活動しました。
そんな学生たちに自宅を開放し、寝床や食事場所を提供しているのが、この地区に住む指崎泰利さんです。
指崎さんは東日本大震災以降、宮城県山元町の被災者と交流を続けていて、特産品のいちごの販売や、復興支援コンサートの開催などを行ってきました。
元日の能登半島地震では自宅が被害を受けるなど、自身も被災者となり、突然襲ってくる災害の怖さを改めて知ったといいます。
指崎泰利さん
「もう呆然ですね。もう何にも言葉が出ないぐらい。帰ってきたら玄関に入れないんですね。至る所で棚が倒れる、ガラスが割れる、もうどうしていいかわからない。考える余裕もなかったですね。被災するっていうことはこういうことなんだ、みたいな」
そうした中、交流のあった宮城県のボランティア団体から「IVUSAが活動拠点を探している」という連絡が入りました。
地震から11日後には、指崎さんは全国から集まった学生たちを自宅に招き、自宅の隣の建物も活動拠点として提供しました。指崎さんの亡くなった母親が8年前まで営んでいた食堂です。
店を畳んだ後、厨房は荒れ放題となっていましたが学生たちはきれいに片付けてくれたといいます。
指崎泰利さん
「僕も死ぬまでにこれ片付けられるんだろうかと思うくらいの、そういう散らかり方でした。本当にもう彼らには感謝しかない。本当に、天国の母も喜んでると思う」
きれいに片づいた元食堂の厨房は今、炊き出しの準備にも活用されています。
IVUSA本部事務局 箭野純貴さん
「他の災害であれば体育館や地域の公園をお借りして、そこにテントを立てたり、という形になるので、こうやって雨風をしのげるだけではなくて、ご飯をつくれる場所や、物を置かせていただく場所を提供いただいているというのは、我々にとっては非常にありがたいです」
学生たちの活動は、壊れた家屋の復旧作業だけに留まりません。
埼玉大3年 小熊日花さん
「ある種“孫”みたいな感じで扱ってくださるので、ちょっと距離を敢えて近くお話させていただいたりとか、心のケアとかお話聞くってだけでもすごく変わってきますし、学生ならではで『被災地に元気を置いてこよう』っていうのは一つモットーとしてやっている部分でもあります」
指崎泰利さん
「被災地にはそれが一番いいと思う。この辺は限界集落に近い、65歳以上の方がほとんどみたいな所なんですけど、若い学生が来て力仕事何でもやってくれる。それも本当にありがたいですけれども、一番ありがたいのはやっぱりあの元気ですね。我々も頑張ろうと思えるようになります」
学生ボランティアが被災地にもたらした笑顔の輪。
支え合いの活動はこれからも続いていきます。