米軍は戦艦大和を徳山沖で撮影し追跡…そして翌日撃沈~米軍公開資料をもとに戦争を考える
ことしは戦後80年…アメリカ軍などが残した資料を通し戦争を考える講演会が周南市で行われました。
講演会は、周南文化協会が開いたもので市内に住む戦史研究家の工藤洋三さんが講師を務めました。
工藤さんはこれまで何度もアメリカにわたりアメリカ軍が残した資料などを通して空襲について調査を続けています。
アメリカ軍は1945年4月6日、徳山沖で戦艦大和を撮影していました。
(工藤洋三さん)
「ずーと追跡されて翌日沈められるんですね、戦艦大和は。 徳山で写真を撮影したのはある意味勲章ものだと」
アメリカ軍は、事前に偵察を行い、都市構造によって爆弾の種類も変えていたといいます。
(工藤洋三さん)
「日本の家屋の特徴とか調べて空襲を受ける前から運命が決まっていた、 なんで途中でやめれなかった…戦争というのはいったん始めるとなかなか終わらない、やめられない」
戦後80年のことし。工藤さんはこれまで入手した写真をパネルなどにし公開していきたいと話しています。