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「なんで入院できなかったのか…」地震でやけどを負った5歳の男の子が死亡 母親がつらい胸の内を語る 能登半島地震

2024年1月11日 11:35
「なんで入院できなかったのか…」地震でやけどを負った5歳の男の子が死亡 母親がつらい胸の内を語る 能登半島地震

海をバックにピースする石川県志賀町の中川叶逢(なかがわ・かなと)くん5歳。
地震でやけどを負い、4日後に息を引き取りました。

岬さん:
「オムライスとかからあげとか好きでしたね。ママ作ったご飯おいしいって言って、すごく優しい子でした。なんで危険な状態なのに入院させてもらえなかったのかなというのはちょっとひっかかりますね。」

こう語るのは母親の岬さん。愛する息子を亡くした悲しみの中、つらい胸の内を語りました。

元日の夕方、志賀町の親戚の家で、石油ストーブで餅を焼いていた叶逢くんと岬さん。震度7の揺れが襲い、やかんの熱湯がかかり、叶逢くんは、おしりなどにやけどを負いました。

岬さん:
「ずぼんを脱がせたら皮膚がむけてるので、皮膚のちぎれたやつにぎりしめて『痛い、これなーに』って。水を出して冷やそうかなと思ったんですけど断水で出なくて」

すぐに救急車を呼びましたが断られ、車で病院を目指そうとするも道路にはひび割れが。さらに、高台への避難を呼びかける大津波警報が。

岬さん:
「『ママやっぱ電話して(救急車)こないでいいから高台逃げよう』って言ってて」

すがる思いでもう一度119番をして、ようやく病院に搬送されました。しかし…

岬さん:
「入院させてもらえんくて。かわいそうでした。すごい泣いてました。痛いって…」

医師からは「やけどは軽傷ではないが重傷でもない」と言われ、入院を断られたといいます。

揺れが続く中、病院のロビーのソファーで一夜を明かした叶逢くん。1月3日になって41度の高熱が。
高熱に苦しむ中、4日に再び病院に行きましたが、診察を待つ間に叶逢くんの呼吸は止まっていました。


岬さん:
「部屋があくまでずっと救急の入り口で待っていて。もう息がとまっていて、顔もちょっと青白くなっていて。色が変わってて。もう息がとまっていることが分かって。」

集中治療室で治療を受けましたが翌日、死亡が確認されました。

岬さん:
「なんで私は軽傷で叶逢は重傷なのかな。(熱湯が)私に全部かかってたら無事だったとか考えたりします」

記者:「大きくなったら、なにになりたいと言っていましたか」

岬さん:「自衛隊とか救急隊とか警察官になりたいとか、ヒーローみたいになりたいって
言っていましたね。守るような仕事。」「もどってきてほしいですね。」

私たちの取材に病院は、「現在、経緯を検証中」と回答しています。